人権の潮流
緊急避妊薬(通称アフターピル)とは、妊娠可能性のある性行為からなるべく早く、72時間以内に服用することで、高い確率で妊娠を阻止できる薬のことだ。WHOは、日常的に使うホルモン避妊法を使用できない女性を含め、全ての女性が安全に効果的に使用できる薬として、特にコロナ禍では薬局での提供を推奨している。また緊急避妊薬は、WHOの指定する必須医薬品リストにも掲載されている。必須医薬品リストとは市民の優先すべき医療ニーズを満たす医薬品が、保証された品質と適切な情報とともに個人とコミュニティが手頃な価格でいつでも利用できるようにと作成されるリストだ。実際、緊急避妊薬は現在世界約90ヶ国で数百円から数千円程度で薬局入手が可能だ。
一方、日本では価格は6,000円から2万円ほどと高額で医師からの処方箋が必要である。現在はコロナ禍で特例的・時限的措置としてオンライン診療での処方箋入手が全面的に許されているが、入手へのハードルは依然として高い。これまで「#なんでないの プロジェクト」とNPO法人ピルコンが行った調査を通じ、主に3つのハードルが見えてきている注1。まず物理的ハードルとして、休日や夜間では対応している医療機関が少なく72時間以内に病院に行けなかったり、また近隣に医療機関がないといった問題がある。オンライン診療の場合、支払いのためのクレジットカードがない、配達の関係で72時間以内に服用できないといった問題もある。次に心理的ハードルとして、病院受診やプライベートの性行為について話すことへの抵抗感、医療従事者からの叱責や説教への不安、周囲の人の視線や偏見への不安などが挙げられる。三つ目に、費用のハードルもある。先述の通り、費用は保険適用外の6,000円から2万円で、夜間や休日はさらに高額になることもある。性暴力被害の場合はワンストップ支援センターや警察への届出などによって無料になることもあるが、場合によってはなんらかの条件が必要だったり、そもそも性被害にあって相談すること自体のハードルが高い。このような状況において、私たちが行った調査では緊急避妊薬のアクセスに障壁があると答えた人の割合は96.3%にのぼっている注2。
これまでも、国内で緊急避妊薬の薬局販売の可否について議論がなされたことはあった。2017年の「医療用から要指導・一般用への転用に関する評価検討会議」だ。「要指導・一般用への転用」とは、薬剤師による対面販売を意味し、Over The Counter(オーバー・ザ・カウンター)の略語で、「OTC化」とも呼ばれる。このとき国は「緊急避妊薬のOTC化」について、市民の意見を聞くパブリックコメントを募集した。その際には、1ヵ月間で集まった全348件中、賛成が320件、反対は28件で、なんと9割がOTC化に賛成の意を示していた。しかし「時期尚早」を理由に緊急避妊薬の薬局での提供は否決された。
他にも2019年には、緊急避妊薬は例外として初診からのオンライン診療を認めるか否かという議論がなされている。結果的には例外的なオンライン診療が承認はされたものの、転売や悪用の防止のために薬を薬剤師の前で服用させる「面前内服」や「妊娠が回避できたか確認するために『3週間後に産婦人科を受診』」などといった条件がついた。ちなみに、WHOは、「緊急避妊薬を医学的管理下におく必要はない薬」とし、国際産婦人科連合も、「医師によるスクリーニングや後日のフォローアップは基本的に不要」としている。ここでも本件における日本のガラパゴス化が見て取れる。
私はこれまで「#緊急避妊薬を薬局でプロジェクト」の共同代表として、同じく共同代表のNPO法人ピルコン代表の染矢明日香さん、産婦人科医の遠見才希子さんと共に、緊急避妊薬へのアクセス改善に向けて、議員会館での院内勉強会の開催や実態調査、オンライン署名を通したアドボカシー活動などを行ってきた。その一環として今回、厚労省に緊急避妊薬のOTC化を検討して欲しいとの要望を提出し、2021年10月4日に開催された「医療用から要指導・一般用への転用に関する評価検討会議」(以降、検討会)では、要望者として発言することが許された。
そこでの結果というのはおよそ2ヶ月経った今も、正直どう受け止めていいのか、分からずにいる。先述の2017年の検討会を思い返せば、今回の検討会は驚くほど前進したものであった。というのも、避妊に関することで当事者および要望者が検討会に発言者として出席できたことは私の知る限り初めてだったし、何より議論全体が「障壁はあったとしても、障壁があることが理由で否決されてはならない」「その障壁をいかに乗り越えるか話し合うべきだ」というOTC化に前向きと受け取れる雰囲気だった。また、日本ではまだまだ理解が薄い、しかしこういった議論には欠かせない「リプロダクティブ・ライツ」を座長が繰り返し口にしていたのも、私には思いがけない喜びであった。
一方で、素直には喜びきれない自分もいる。今回の議論では結果的に、2022年2月までに国が各国の状況を調査し、それをもとに再度検討を進めていくというものだった。前向きな姿勢は見受けられても、いつOTC化が実現するかは正直全く分からないのが現状なのだ。例えば低用量ピルの場合、1970年代以降世界で一般的に使われるようになり、日本でも幾度となく「承認前夜」の文字が新聞で踊ったが、その度に白紙撤回が繰り返され、結局承認されたのは1999年と、国連加盟国で最後の承認となった。その根本には高齢男性に偏った意思決定のあり方など、今も変わらないものがあると私は考察しているが、言い換えれば、今回もそのようにしてずるずると薬局に置かれない状況が続く可能性は十分にあるということだ。意思決定の力がある人たちには、その間に入手したくてもできないで苦しむ女性の存在を、どうか忘れずに、向き合い続けて欲しいと心から願うばかりだし、そのために、今後もできる活動を続けていきたい。
この国が抱える、性と生殖に関する健康と権利に関わる課題は緊急避妊薬にとどまらない。いまだに続く性教育へのタブー視、承認されている現代的避妊法の種類の少なさ、承認されていても高額であるなどの問題が残る日常の避妊、性暴力に関する法律もまだまだ改善が必要だ。人工妊娠中絶に関しても、日本ではいまだに堕胎罪が残っている上、例外的に妊娠中絶を可能にしている母体保護法も、原則配偶者による中絶への同意を求めている点で国連から何度も撤廃勧告を受けているのに変わる気配がない。比較的母体に負担が少なく中絶できる中絶薬は承認の見通しが立ち始めたが、10万円前後と、現在の初期中絶とほぼ変わらない医療費になる可能性もあるという。
一方で国は、「少子高齢化」という「国難」を前にしてか、「産む」選択への支援にはオープンだ(とはいえ、産んだあとのサポートはまだまだ不十分という歪みもある)。「子どもを産むか産まないか、産むならいつどんな間隔で何人産むか」は、国家の都合ではなく個人の選択が優先されるべきで、それらに必要なケアやサポートを必要な時に受けられることなどを「権利」として定めた「性と生殖に関する健康と権利」の実現はまだまだ道半ばであることを実感させられる。
この現状を変えるにはまず、私たち一人一人が自分の持つ権利を知ることから始まるのではないだろうか。私自身は、「性と生殖に関する健康と権利」をはじめ、あらゆる権利、ジェンダー平等やフェミニズムの概念などを知ったことで、非常に生きやすくなったように思う。この社会は「こうあるべき」「そんなの恥」など、無意識のうちの価値観の押し付けが非常に強い。その内面化は、私を息苦しくするばかりだ。そうではなくて、「自分にはこんな権利がある」、「こんなふうに大切にされていいんだ」、「私の選択は尊重されていいんだ」、そう思えることでふっと、息がしやすくなることがある(少なくとも私はそうだ)。「世界人権宣言」、「女性差別撤廃条約」、「性の健康権利宣言」などいずれをとっても、まずは読んでみて、自分がエンパワーされること、それがこれからの現状を変える最初の一歩になっていくのではないだろうか。
※ 注1&2:
これまでの調査結果は、「#緊急避妊薬を薬局で」のサイトに掲載。
(https://kinkyuhinin.jp/project/#project02-2)