特集:「ビジネスと人権」をめぐる最新の動向
国連「ビジネスと人権に関する指導原則」(以下、指導原則)が人権理事会にて全会一致で採択されてから10年の節目となる2021年、人権理事会のビジネスと人権ワーキンググループ(以下、ワーキンググループ)が主催する第10回国連「ビジネスと人権フォーラム」(以下、フォーラム)が11月29日から12月1日に開催された。
コロナ禍や気候危機といったグローバルな課題に直面している中で、経済活動と人権・環境の尊重をつなげることが必要であり、指導原則はその拠り所としていっそう重要性を増している。今回のフォーラムは、「ビジネスと人権の次の10年に向けて~指導原則の実践のための行動を加速し拡大するために」をテーマに、指導原則ができてからこれまでの10年を振り返り、SDGsの達成目標年にあたる2030年までのこれからの10年に向けて、指導原則が求める対応と国や企業の実践のギャップをどのように埋め、方針と実践の一貫性を担保するかが議論された。
2016年に国連ジュネーブ本部で開催されたフォーラムに初めて参加して以来、5年ぶりの参加となったが、10周年を迎えた指導原則がこれまで果たしてきた役割と意義の大きさをあらためて実感し、不確実性が増すグローバル社会において指導原則の考え方が必要となる場面がさらに増えていくことを予感することとなった。
2021年のフォーラムは、140カ国から3,033名の参加登録があり、うち、企業が29%、市民社会組織が約25%、アカデミアが約25%、国際機関から10%と報告された。前年に続き、オンライン開催となり、さまざまなステークホルダーが登壇して、開会・閉会の全体セッション、25の個別セッションが開かれた。前年とほぼ同じ規模となったが、2019年までは国連ジュネーブ事務所の6~7つの会議場で一日に20を超えるセッションが同時並行で開かれており、それと比べると、全体的にコンパクトに設計されていた。
それぞれのセッションは、ワーキンググループメンバーがモデレーターを務めるものが多く、多国間や地域、国での規制や企業の取り組みを促進するための枠組みの議論、市民社会組織の動きの報告などが中心となっていた。企業からのパネリスト参加が少なく、企業に早急な対応を求める市民社会組織との議論はほとんど見られなかった。
2016年のフォーラムでは、例えば、責任ある原料調達をテーマとして、バッテリーの原料となるコバルトの採掘における人権問題を指摘するアムネスティ・インターナショナルと、問題を提起されたアップル、資源採掘に携わるグレンコア等が登壇するセッション等があり、課題解決に向けた対話が実践されているのを目の当たりにして、フォーラムがまさに議論のプラットフォームであることを実感できた。オンライン開催でさまざまな制限があったのだろうが、こうした市民社会組織と企業との議論が2021年のフォーラムでは見られなかったことは残念である。
ビジネスと人権ワーキンググループは、これまでの10年を振り返るレポート「ビジネスと人権に関する指導原則から10年~最初の10年の実績評価」を2021年4月に、これからの10年のロードマップ「UNGPs 10+ ビジネスと人権の次の10年のためのロードマップ」をフォーラム初日に発表した。
実績評価では、すべてのステークホルダーの共通の枠組みとして、指導原則が一定の役割を果たしたものの、指導原則で求められていることが実行できているか、方針と実践に一貫性があるかといった点で、課題が残るとしている。
実績評価をふまえたロードマップでは、グローバルな課題への対応において指導原則を「羅針盤」として活用することを含む8つの行動分野が示され、各行動分野には達成すべき目標が示された。
ロードマップには、① 戦略的な方向性、② 保護・尊重・救済、③ 横断的な重要点の3つのテーマからなる8つの行動分野が示されており、指導原則に沿った取り組みの主体となる国や企業が、多国間や業界で連携し、ライツホルダー(権利保持者)との対話を進めながら、国際機関や市民社会組織、労働組合、弁護士、アカデミア等のさまざまなステークホルダーと協働し、指導原則に書かれたことを実行することが期待されている。
指導原則ではさまざまなセクターによる協働が求められているが、その観点で重要なのが、③ 横断的な重要点の行動分野の一つとなっている「行動分野5:ステークホルダーエンゲージメントの促進」である。そこでは「目標5:保護・尊重・救済を強化するための有意義なステークホルダーエンゲージメントの実施を確実にすること」が掲げられており、企業は、人権に影響を受ける個人やコミュニティ、国や企業の動きをモニタリングする労働組合、人権・環境活動家、市民社会組織等をパートナーとして受け入れることが求められている。こうしたパートナーシップによって、人に対するリスク、特に脆弱な立場に置かれるライツホルダーに対する人権への影響を把握することが、ステークホルダーを中心とする資本主義や持続可能な発展、誰一人取り残さない脱炭素社会への公正な移行につながっていくとされている。
フォーラムの個別セッションでは、さまざまなテーマで活発な議論が行われた。法律や制度といった社会・経済システムに組み込まれた歴史的・構造的なジェンダーや人種による差別・格差、企業の事業活動により土地や伝統的な生活を奪われる先住民族や不正義に声を上げる人権・環境活動家の保護、企業の利益追求のための不当なロビーイングや活動家をつぶすための訴訟への対応、テクノロジーや防衛産業に関わる企業の責任、中小企業の指導原則の実践と支援などが議論された。気候変動については、どのセッションでも人権への影響が言及され、気候変動対応における社会的・経済的影響に配慮した公正な移行が急務であることが感じられた。また、人権に影響を受けた人びとが司法・非司法的な救済によりよくアクセスできることが重要であることが確認された。こうした動きを加速するために、国際的な、または国の規制と企業の自主的な対応のスマートミックス(適切な組み合わせ)のあり方が議論されていた。
2005年に国連事務総長特別代表に任命されて「ビジネスと人権」に取り組み、「保護・尊重・救済」の枠組みをつくり、2011年国連人権理事会への報告書で「ビジネスと人権に関する指導原則」を提示した、ハーバード大学のジョン・ラギー教授が2021年9月に他界され、フォーラムではその功績と人柄を偲ぶセッションが設けられた。
バリューチェーン全体における人権侵害への企業の責任を問う枠組みが求められる中で、企業・労働組合・業界団体・市民社会・政府・国際機関などとの対話を重ね、すべてのセクターに支持される共通の枠組みを構築したラギー教授の忍耐強さ、人権侵害の被害者への救済に対する思いが、アイルランド元大統領で元国連人権高等弁務官のメアリー・ロビンソン氏やユニリーバ元CEOのポール・ポールマン氏等により語られ、あらためて指導原則の意義の大きさが確認された。
指導原則が世に出てから10年が経ち、さまざまな国際基準に組み込まれ、国による法規制や企業による実践が進みつつあり、市民社会が共通言語に基づく対話を企業に求めることができるようになってきた。一定の成果が出たことを見届けるように亡くなったラギー教授が指導原則に託した思いを、ビジネスと人権のアクター(実践者)として受け継いでいきたい。
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責任あるビジネスの実現に向けた企業とライツホルダーとの対話促進を目的に、2020年7月に創設したビジネスと人権の実践のためのプラットフォーム。
情報発信や企業の取り組みのサポートを行っている。
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