人権の潮流
日本では数年前から、「第3次生理ムーブメント(生理ブーム)」と呼べる状況が続いている。これは、「生理についてもっとオープンに語ろう」という動きのことで、例えば、漫画家の小山健さんによる『ツキイチ!生理ちゃん』(ウェブメディア『オモコロ』で連載後、KADOKAWAから単行本として刊行。2019年に二階堂ふみさん主演で映画化)のヒットや、生理用ナプキンの普及に努めた男性を描いたインド映画『パッドマン』の公開、ユニ・チャーム社による「#NoBagForMe(ノーバッグフォーミー)」プロジェクトなどがわかりやすい例である。
「#NoBagForMe」とは、直接的には「生理用品を購入する際の紙袋や不透明袋(中身が見えない袋)は不要」というメッセージだが、もっと広く、生理用品の扱い方にも選択肢があるということを訴えている。大手生理用品メーカーによる大々的なキャンペーンは、社会に少なからず影響を及ぼしたと考えられる。
日本におけるこうしたムーブメントの背景には、国内外を問わないフェムテック注市場の拡大、SNSの発達によって女性たちが声を上げやすくなったこと、世界的な「生理の平等化」の動きなどがあった。「生理の平等化」とは、「生理のある誰もが当たり前に生理用品を入手できる状態」のことで、昨年国内で注目された「生理の貧困」対策は、まさにこれにあたる。
第3次生理ムーブメントによって、月経タブー視が急速に解消し、そこへコロナ禍が重なったことで、「生理の貧困」問題が可視化されたと言える。
そもそも月経はなぜ、長い間タブー視されてきたのだろうか。
一つは「血穢(経血の穢れ)」に基づく「月経不浄視」の影響である。世界の主要な宗教が、女性は月経があるがために穢れた存在であると説いており、今も月経中の女性を小屋へ隔離する慣習や、月経中の女性は舟に乗ってはいけない、食品を加工してはいけないといった決まりが世界各地に見られる。
ネパールでは「チャウパディ」と呼ばれる隔離の風習が続けられており、隔離中に暖を取ろうと火をおこした女性が、煙に巻かれて死亡するといった痛ましい事件が毎年発生している。すでに法律で禁じられ、罰則規定も設けられているが、「月経中の女性が家にいると火事になる」あるいは「病人が出る」と信じられているため、なかなかなくならない。
日本では、平安時代に「式」(『貞観式』や『延喜式』など)において「血穢」が規定され、月経が「穢れ」扱いされるようになった。そして、月経不浄視に最も影響を及ぼしたと考えらえるのが、室町時代に中国から伝わった偽経「血盆経」の信仰である。
「血盆経」信仰とは、「女性は月経や出産の際、経血で地神や水神を穢すため、死後、血の池地獄に堕ちるが、血盆経を唱えれば救済される」という教えのことで、仏教の各宗派が女性信者を獲得するために唱導した。日本でも先述の月経小屋や、乗舟の禁止など月経不浄視に基づく慣習が全国的に見られたが、血盆経信仰が熱心に行われた地域では、特に顕著であった。
こうした慣習は、明治に入って間もなく(1872年)、政府によって禁止される。きっかけは、お雇い外国人による抗議だったと言われている。同時に政府は、「富国強兵」のスローガンを実現するため、女性の生殖を管理する必要があった。そのため、「不浄視」を否定し、西洋医学に基づいて、「正しい月経の在り方」を説く方向へと月経観を転換したのである。
医師や教育者らは、「女性は月経があるがために心身が不安定である」したがって「女性は学業や職業に向かない」ということを繰り返し唱えた。つまり、月経が性別役割分業の根拠とされたのである。「女性の犯罪や自殺は、月経時に多い」という俗説も、この時期に盛んに説かれた。
政府の方針に基づいて、月経不浄視に基づく慣習が廃れる一方で、1960年代まで月経小屋が使用されていた地域もあった。使い方には変化が見られ、経血を処置するときだけ利用するといった限定的なものになっていた。
1960年代に月経小屋の慣習がほぼ消滅したのは、この時期に使い捨て生理用ナプキンが登場し、経血処置が格段に楽になったこと、産小屋と兼用であった月経小屋が、施設分娩が一般化したことにより不要となったことなどが影響していると考えられる。
日本で月経タブー視が劇的に変わったのは、生理用ナプキンが登場した1960年代である。「元祖使い捨てナプキン」と言える「アンネナプキン」を発売したアンネ社は、「月経は当たり前の生理現象であり、恥ずべきこと、忌むべきことではない」という方針のもと、ラジオ、テレビ、新聞、雑誌などに、斬新的な広告を次々と打った。これによって、長い間月経に付せられてきた「穢れ」「汚い」「暗い」「陰鬱」などのイメージが一気に解消された。
快適で便利なナプキンは女性たちから熱烈に歓迎され、アンネの製品を真似た後続会社は300にも及んだ。それらは徐々に淘汰され、残ったのが現在のユニ・チャームである。アンネ社は親会社の経営不振などにより、1993年に吸収合併されてしまったが、女性の活動範囲を広げたナプキンの発売や月経観の大変革など、功績は非常に大きい。
さて、今も「血穢」を理由とした「女人禁制」が存在することから、月経は「不浄である」「忌むべきものである」という考え方が、完全に払拭されたとは言えない。しかし、「血穢」を念頭に月経をタブー視する人は、特に若い人では少ないのではないだろうか。現在、月経を「隠したい」「恥ずかしい」と考える最大の理由は、それが「シモのこと」、性に関することだからであろう。
「月経は単なる生理現象なのだから、恥ずかしがるのはおかしい」と言うのは易いが、羞恥心には個人差がある。初経教育や生理休暇、生理の貧困対策など、生理にまつわる問題の解決を図る際には、羞恥心への配慮が必要である。
長い間、月経は「穢れ」「タブー」として扱われてきた。近代以降は、「女性は月経があるがために心身が不安的である」「女性の犯罪や自殺は、月経時に多い」、したがって「女性は学業や職業に向かない」ということが、繰り返し説かれた。
こうしたことから、初経教育やその後の啓発活動において月経を語る際には、上に述べたような「意味づけ」をしないことが大事だとわかる。
そして、「月経にまつわる不調には個人差がある」「現在は、医学的にコントロールが可能である」「生理用品や不調への対処には選択肢がある」ということを伝えることが、最低限必要であろう。
最後に「生理の貧困」対策の今後について述べたい。「生理の貧困」はコロナ禍によって顕在化したが、それ以前から存在した。見えなかっただけである。したがって、コロナ禍が過ぎ去っても継続的な支援が望まれる。
また、筆者が特に問題視しているのは、「子どもの生理の貧困」である。ネグレクトによるもの以外に、父子家庭で父親に生理用品が欲しいと言い出しづらいというケースや、家計が苦しいため遠慮して言い出せないというケースもある。いずれも家庭内のことなので、外からは見えづらい。
生理用品がないために登校できないということになれば、勉強や進学にも支障が出る。ナプキンを取り換える回数を減らし、限界まで当て続けたり、不衛生な代用品を使ったりすることで、感染症を引き起こす恐れもある。何より、経血漏れを意識しつづける生活は、子どもたちの自尊心を傷つける。生理用品を気兼ねなく使える環境を整えることは、人権の観点からもとても重要なのだ。子どもは大人よりも声を上げづらい。その声をどう拾っていくかが、「生理の貧困」対策の今後の課題である。
注:
女性特有の健康課題を解決するテクノロジーや、それを使った製品・サービスのこと