人権の潮流
超高齢社会に入り認知症は、日本の社会全体の課題となっている。また、世界も高齢化に向かっており、「加齢」を最も大きなリスク要因とする認知症は、地球規模で捉えることが必要な時代を迎えている。このような動向を踏まえ、改めて認知症について考えてみたい。
認知症は、脳の細胞が病気や外傷によって障害がもたらされ、日常生活に支障をきたすことが、概ね6か月以上続く状態をさす。認知症を起こす病気には、様々な種類がありアルツハイマー病はその中で最も多く60~70%を占める。高齢化の進行に伴いその数は急増しているが、確実な予防法と治療法はまだ発見されていない。
2021年、初期のアルツハイマー病根治薬ADUHELM(アデュヘルム)がアメリカではじめて承認された。しかしながら対象が限定されていることや効果について今後も継続的な研究を要すること、治療費用が年間約1150万円かかることなどの課題があり、日本では継続審議となった。予防や治療が未確立なことに加え、「認知症の人は何もわからない」「人格が崩壊する」といった誤った認識や差別も根強く、人権にかかわる多くの問題が存在している。
(1)世界の概況 ~3秒に1人ずつ認知症の人が増えている~
現在、認知症の人は世界で6000万人、約3秒に1人の割合で新たに発症していると推計され、2050年には1.5億人以上に達すると見込まれている。また、その70%が中低所得国の人々であり、社会保障や医療などが確立していない地域での対応が懸念されている。とりわけ、中国14億、インド12億をはじめ膨大な人口を抱えるアジア圏ではすでに急速な高齢化が進行しており、深刻さを増している。
(2)国際機関の取り組み
このような現状と将来の危機的状況を解決するため、各国際機関も動きを強め、WHOは、加盟国に認知症国家計画の策定を求めるとともに「リスク軽減のためのガイドライン」に基づく啓発を行っている。しかし、若年人口が多い国々では、近い将来必ずやってくる高齢化と認知症に対する認識は、政策担当者にも医療関係者の間でもまだ高まっていない。さらに、世界中を覆いつくしたコロナ禍は、認知症施策を停滞させている。
(3)国際アルツハイマー病協会加盟団体の活動
一方、コロナ禍においても、世界109ヵ国・地域の民間認知症団体の連合体である国際アルツハイマー病協会(ADI)は、活発に活動を続けている。各国の加盟団体はロンドンの本部と連携しながら、それぞれの状況に即して当事者への支援や政府への提言を行っている。高所得国の団体は、国や企業とのパートナーシップを結び、専門職による支援を行っている一方、発展途上国の多くの団体は、家族介護者による献身的な活動と篤志家の寄付に支えられている。なかには、災害や親族の不幸は認知症の人が原因であるとして攻撃したり、人里離れたところに置き去りにして帰宅できた人だけが生き残れるという因習が現存している国もある。
他の社会問題同様、国家間による格差が拡大している今、公的国際機関の役割はもちろんのこと、最貧国からいわゆる主要国までを束ねる民間の国際機関の働きの強化が必須である。その意味で全世界の国々を対象として、コロナ禍での認知症の人への支援、途上国を対象とした介護技術トレーニング、政府への提言のバックアップなど多様な活動を行っているADIの役割は大きい。今回のウクライナ軍事侵攻に際しても、直ちに現地と連絡を取り支援の輪を広げた。日本では、「認知症の人と家族の会」が加盟しており、超高齢国の当事者団体として、その役割に期待が寄せられている。
(1)高齢者の6人に1人が認知症
現在、日本では、認知症の人は約600万人、また、前駆症状といわれる軽度認知障害のある人がほぼ同数と推計され、何らかの認知機能障害を持った人は1000万人を超えると推測される。また、家族や友人、知人に認知症の人がいる場合や、医療介護福祉関連の専門職、ボランティアを含めると、日本では大多数の人が、認知症に関わりがあるといっても過言ではないだろう。
(2)日本の認知症施策 ~世界のフロントランナー~
日本は世界の中でも最も早く認知症施策に取り組んだ国の一つである。1960年代から、高齢者福祉の中に認知症がとりいれられ、2000年の介護保険法では、認知症の人に特化したサービスが含まれた。2004年、世界に先駆けて「痴呆」という差別的意味を含む呼称を、より医学的な症状の表現に近い「認知症」に改めた。この名称変更は、その後の認知症に対する社会の認識を大きく変えた。英語の「Dementia」の語源は狂気、知性を失うという意味のラテン語であり、中国語では「失智」、そしてその他の国でも「愚かもの」の意味を含む言葉が使われている。各国で差別を含まない用語への変更が必要だという動きはあるものの、いまだに実現していない。
また、この時期から、「認知症の人自身の意思を尊重する」ことの重要性が認識され、認知症の分野でも"Nothing about us without us"(当事者抜きに当事者に関わることは決めない)の理念が注目され始めた。「支援を受ける存在」として捉えられていた認知症の人が「主体性を持った存在」であることに、社会がやっと気付き始めた。続いて2005年「認知症を知り地域をつくる10ヵ年」が国の施策として開始された。これは、市民に正しい理解を広め、認知症になっても安心して住める地域づくりを目指している。研修受講により「認知症サポーター」として登録され、その数は現在1360万人を超えた。この取り組みは、海外からも注目され、"Dementia Friends"として、各国で展開されている。また、日本は、関係省庁の共同による国家計画を早期に策定した国であり現在は「認知症施策推進大綱」に基づいた計画が進行中である。災害、コロナ禍、不況など厳しい状況のもと、その場しのぎでない、より有意義な施策の実施のために、今まで以上に市民社会の参画が重要になっている。
(3)日本における認知症の課題 ~環境整備の遅れ~
前述のように、日本は、認知症への取り組みを早くから進めてきた。しかし、想定以上の高齢化の進行と認知症の特性に関連した様々な課題に直面している。認知症の人の安全と尊厳にかかわる事柄として、記憶の低下による行方不明、周囲との交流の喪失による孤立、自動車運転や消費者トラブル、デジタル化の進展による生活上の不具合、軽度の人への支援の不足等々。また、介護者に関しては、介護離職、遠距離介護、老々介護、高齢者虐待などが挙げられる。
また、コロナ禍により、治療への理解が必要な医療現場における認知症の人への対応の難しさがいっそう明らかになった。この問題は常に存在していたが、医療のひっ迫により、「認知症を理由とした入院拒否」や「感染防止のための拘束」が顕在化した。介護の分野でも、慢性的な人材不足、医療との連携不足がさらに深刻な形で現れた。
しかし、これらは、認知症の人の問題でもなく、またサービス提供側の問題でもない。認知症の人のニーズに沿った社会システムと環境の整備が遅れているためなのだ。
私たちは、人類が経験したことのない高齢社会、認知症とともにある社会を生きている。より速く、より多く、より強くというこれまでの社会の価値観を変えることが必要だ。課題は多い。しかし、振り返れば私たちは前進してきた。日本でも、認知症の人が鍵のついた部屋にとじ込められた時代があった。また、支援がないため介護に疲弊した家族がやむなく認知症の親を送った病院で拘束を受け、寝たきりのまま亡くなるケースが全国各地で起こった。それでも、1963年の老人福祉法や1986年の痴呆性老人対策本部の設置などを契機として、認知症の人と介護者の人権を問う社会に変化してきた。およそ60年にわたる本人や家族、専門職、行政など多分野の人々の努力の積み重ねである。
日本と同様、世界中で、様々な努力が続けられている。認知症の本人や介護者からの声は徐々に力強さを増し、それを受け止める人々も増えている。一人一人が、認知症を自分事として意識し、社会の在り方を見直すことによって「認知症になっても安心して暮らせる社会」すなわち「すべての人にとって安心して暮らせる社会」に近づくことができると信じている。
<参考サイト>
・国際アルツハイマー病協会レポート2021
https://www.alzint.org/resource/world-alzheimer-report-2021/
・厚生労働省社会保障審議会 介護保険部会(第78回)資料
https://www.mhlw.go.jp/content/12300000/000519620.pdf
・厚生労働省 みんなのメンタルヘルス
https://www.mhlw.go.jp/kokoro/know/disease_recog.html
・厚生労働省 認知症施策推進大綱
https://www.mhlw.go.jp/content/000519053.pdf