特集:人権と戦争に関する国際的な基準(ルール)
国際法上、「戦争」とは開戦宣言のような戦意の表明によって生じる法状態をいう。しかし、これでは戦意の表明のない「事実上の戦争」(たとえば1931年の満州事変など)は法的に禁止できないことになる。そこで、第二次世界大戦後に設立された国際連合(以下、「国連」)は、「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使をいかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国連の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない」(国連憲章2条4項)と規定し、不戦条約(1928年)が用いていた「戦争」に代えて「武力行使」の用語を用いるようになった。この規定により、国連の加盟国は自衛権に基づく武力行使と国連憲章第7章の安全保障理事会(以下、「安保理」)が決定した軍事的措置を除き、すべての武力行使が禁止された。
これまで、武力紛争法は、条約が採択された場所にちなんでハーグ法とジュネーヴ法と呼び分けられてきた。ハーグ法とは主として戦闘の手段と方法の規制を目的とした法規則であり、ジュネーヴ法とは傷病者や捕虜、文民など武力紛争犠牲者の保護を目的とした法規則である。しかし、赤十字国際委員会(ICRC)が1971年の「国際人道法の再確認と発展」に関する政府専門家会議で「国際人道法」という用語を用いて以来、ハーグ法とジュネーヴ法を合わせて国際人道法と呼ぶ。
国連憲章は、「基本的人権と人間の尊厳及び価値......に関する信念をあらためて確認」(前文)し、 「人種、性、言語又は宗教による差別なくすべての者のために人権及び基本的自由を尊重するよう助長奨励することについて、国際協力を達成すること」(1条3項)を国連の目的に掲げた。こうした国連体制の下で、国際人権規約や人種差別撤廃条約などさまざまな国際人権条約が締結され、国際人権法が発展した。武力紛争においては、こうした国際人道法と国際人権法が相互補完的に適用される。
2022年2月24日、ロシアは「特別軍事作戦」と称するウクライナ侵攻を始めた。翌25日、安保理において、米国とアルバニアによって、ロシアの侵略は国連憲章2条4項に違反するとし、ロシアはウクライナに対する武力行使を即時に停止し、すべての軍隊を即時、完全、無条件に撤退させることなどを内容とする決議案が共同提案された。しかし、ロシアの拒否権行使によってこの決議は否決された。
ロシアは、今回の軍事侵攻をドネツクとルハンシクの「ロシア系住民」保護のための武力行使として国連憲章51条に規定する自衛権で正当化する。ロシアは、その周辺国への軍事介入に際して、しばしば「ロシア系住民」の保護を名目にしてきた。2008年のグルジア(現ジョージア)紛争では、親ロシア派の南オセチア共和国とアブハジア共和国のロシア系住民の保護を理由に軍事介入し、両国の独立を一方的に承認した。2014年2月20日、「ロシア系住民」が過半数を占めるウクライナ領クリミア半島に軍事介入した際も、「ロシア系住民」の保護を理由にあげた。
国際法上、戦争に訴えることの是非に関するルールをユス・アド・ベルム(jus ad bellum)という。今回のロシアのウクライナ侵攻の根拠とされる自衛権は、まったく事実無根のウクライナにおける「ロシア系住民」の集団殺害(ジェノサイド)を根拠にしており、およそ正当化できるものではない。
また、ロシアは、国際人道法に違反する武力行使を行っている。ミシェル・バチェレ(Michelle Bachelet)国連人権高等弁務官は、2022年4月22日の声明で、すべての当事者に国際人権法と国際人道法、特に敵対行為を規律する規則の尊重を要請した。国際人道法の中で、国際武力紛争に適用されるのが、ジュネーヴ第1追加議定書(1977年)である。
ロシア軍のウクライナにおける軍事行動は、この条約が定める文民たる住民と戦闘員の区別、文民の施設と軍の施設の区別を定め、軍事目標(軍の施設)のみを軍事行動の対象とすることを規定する48条やダム、堤防及び原子力発電所が軍事目標である場合であっても、その結果文民たる住民の間に重大な損失をもたらすときは、攻撃の対象としてはならないと規定する56条に違反する戦闘行為である。こうしたロシアの軍事行動により、国際人権法の中でも最も重要とされるウクライナの市民の生命権が奪われている。
ロシアの軍事行動は、国際刑事裁判所(ICC)規程(1992年)のいう戦争犯罪に該当し、ブチャでの多数の市民の殺害などは8条2項(b)の「文民たる住民それ自体又は敵対行為に直接参加していない個々の文民を故意に攻撃すること」(i)に、ウクライナ各都市の住居への攻撃などは、「手段のいかんを問わず、防衛されておらず、かつ、軍事目標でない都市、町村、住居又は建物を攻撃し、又は砲撃し若しくは爆撃すること」(v)に、人口密集地で少なくとも20回クラスター爆弾を使用したことは、「予想される具体的かつ直接的な軍事的利益全体との比較において、......明らかに過度となり得るものを引き起こすことを認識しながら故意に攻撃すること」(iv)に、子ども12万人以上を強制的にロシア領内に連れ去ったことは、「占領国が、......その占領地域の住民の全部又は一部を当該占領地域の......外に追放し若しくは移送すること」(viii)に、マウリポリにおける産科病院や劇場への空爆は、「宗教、教育、芸術...のために供される建物、歴史的建造物、病院......であって、軍事目標以外のものを故意に攻撃すること」(ix)に、ブチャで14歳から24歳の女性25人が組織的に性的暴行を受けたことなどは、「強姦、性的な奴隷、強制売春......その他あらゆる形態の性的暴力であって、ジュネーヴ諸条約に対する重大な違反行為を構成するものを行うこと」(xxii)に該当する。
2022年4月3日、ウクライナの検察当局は、ロシア軍が撤退した後のブチャを含むキーウ近郊の複数の地域で民間人410人の遺体を発見したと述べた。ウクライナのゼレンスキー大統領は、ロシア軍の行為を「ジェノサイド」と批判し、クレバ外相は、ロシアによる戦争犯罪の証拠を集めるようICCに要請した。これを受けて、同月14日、ICCのカーン主任検察官はブチャを訪れ、戦争犯罪が行われたという「合理的な根拠」があるとして、ウクライナ検察当局と協力して戦争犯罪などの捜査に本格的に乗り出す姿勢を示した。今回の軍事侵攻がどのような形で終結するにせよ、国際社会はこうした戦争犯罪に関与した者を不処罰にするべきではない。なお、ジェノサイドについては、ジェノサイド条約の定義として、「集団自体を破壊する意図をもって」という要件があり、この「意図」の要件がジェノサイドの認定を困難にしている。
ロシアのウクライナ侵攻でわれわれが目撃しているように、戦争は無辜の人々を襲う。ウクライナにおける多数の市民の意図的な殺害を見ていると、自由権規約が定める、「すべての人間は、生命に対する固有の権利を有する」(6条1項)との規定の重要性が改めて思い起こされる。こうした生命権を脅かされている人々にとっての一縷の望みは、国際人権法の考えに裏打ちされた国際法の存在それ自体である。
日本国憲法は、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」(前文)と宣言している。世界人権宣言(1948年)以後の人間の尊厳に対する人権観念の発展は、「人間は永続的な平和を享受する権利がある」との考えを生み出した。そうした中で、人権としての「平和に対する権利」を構築しようという試みが、2016年に「国連平和に対する権利宣言」として国連総会で採択された。今回のロシアのウクライナ侵攻を契機に、改めてこの宣言の意味を真剣に考える必要がある。