人権の潮流
「ヤングケアラー」の特集をNHKテレビで見た。数年前から新聞で取り上げられていたが、映像を通してそのリアルな実態をはじめて知り、目がクギづけになった。
病身の母親に代わり、男子中学生が料理・家事の大半を担い、夕食のあとかたづけが終わるのは深夜。親の介護を30年間してきた40代の男性は、自分の進学や就職を考える余裕はなかった。母を見送ると、「自分も人生を閉じようか」と思ったという。
このように手伝いではなく、介護や家事を大人に代わって担うヤングケアラーは7人に1人だという。たわいない話題で盛り上がったり、真面目に将来の夢を語り合ったり・・思春期が失われていないか。
ヤングケアラーはなぜ相談しないのか。
NHKの調査では、73%はだれにも相談しないという。その理由は「相談しても意味がない」(29%で最多)、「他人に相談しづらい」など。
いじめと同じように友だちや先生には、かえって相談しにくい。そうすることが「恥ずかしい」「言ってもわかってもらえない」と思っているのだろうか。
もっと気になるのは大人の対応である。学校や自治体はヤングケアラーの存在に気づかなかったのか。筆者の自治体でもそうした統計はなかった。
日本の子どもは幼い時から、し烈な受験競争に巻き込まれ、成長に大切な「子ども期」が失われているという。ヤングケアラーも、まさにそうである。
子どもにとって学びや遊びの時間がなかったり、同世代との交流がなく孤立することは重大な人権の問題である。子どもや女性、障害者を含め私たちのすべての権利は国際的に保護されている。それが「国際人権条約」である。子どもの権利条約、女性差別撤廃条約など名称は知っていても、具体的にどのような権利があり、どのような場合に人権侵害に当たり、どこへ救済を求めたらよいか、わからない。その結果、人権条約は身近に活用されず、「絵に描いた餅」になっている。
筆者が以前に大学生を対象に行った調査では、高校までに人権について学んだのは1割弱だった。学習指導要領には「人権」の科目がない。地域や学校が人権教育に熱心なケースもあったが、多くは人権を重視する教員が個人的な熱意と工夫で総合学習や道徳、特別授業、自由研究に採り入れていた。
人権は、教育活動全体を通じて学習するものである。個人の意見を尊重する、性や国籍の違いで差別しないなど日々のクラスの運営、授業の進め方などを通して習得する。
筆者の経験から、人権はなにもしないで自然に身につくものではない。
海外では人権教育を主に担当するのは「国内(家)人権機関」である。人権の専門家やNGOを除き、この存在をはじめて知る人も多いだろう。広報・啓発、被害の相談・調査、国への勧告、公務員やメディアの研修など幅広く人権問題を担当し、実質上、国の人権の最高機関である。
1993年に「国内人権機関の地位に関する原則」(パリ原則)が国連で採択された。この一番の特徴は「政府からの独立」である。悲惨な戦争の反省から、「政府も人権を侵害する」として最初に構想されたのは国連創設直後である。
そのため国内人権機関は大学教員、NGO、弁護士などで構成され、政府職員は除く。判断の基準は、個人の考えや政府の人権に対する方針ではなく、あくまでも「人権条約の規定」である。この点は後述する国連で条約の審査にあたる委員も同じである。
国内人権機関の職員研修は、その世界組織の「国内人権機関世界連盟」(GANHRI)と各地域組織が国連と協力して実施する。人権条約の規定の詳細や解釈について学び、課題や経験を持ち寄って共有する。GANHRIの加盟国は、2022年4月現在120か国である。主な未設置国は日本、米国、中国。
世界連盟と地域組織はホームページで加盟国や世界の最新の人権ニュースを伝えている。ロシアのウクライナ侵攻では、ウクライナ国内人権機関やGANHRIが人権被害の実態を刻々と世界に発信している。
国連のガイドラインやGANHRIの調査から、国内人権機関の実際の任務と活動について人権教育と条約審査を例に見てみよう。
<人権教育>
人権教育は国内人権機関の最も重要な任務である。人権条約で保障される基本的な権利について、ホームページで説明し、わかりやすい教材を作成して学校や市民教育で教える。特に人権侵害を受けた場合、どう対処し、どこに相談したらよいか重視する。
日本の学校では、「○○はダメ」といった道徳色が強く、「○○ができる」といった権利について教えないと指摘される。髪や下着の色まで厳しく規制する
「ブラック校則」はまさに人権の問題。当事者の生徒を中心に人権について学び、話し合って決める格好なテーマだ。単に知識や規則の押しつけではなく、生徒の主体性を尊重し育む教育こそ必要である。
同様に重要なのが、学校・教育委員会、入管施設、警察など公的機関に対する人権教育である。いずれも
人権を保護し保障する責任がある。日本では国会議員のLGBT差別発言、入管施設での外国人死亡、外国人技能実習生への人権侵害、省庁の障害者雇用の水増し・セクハラ、いじめ事件の隠蔽など公的機関による人権問題が多々ある。
いずれとも国際基準である「人権教育及び研修に関する国連宣言」に沿って行われなければならない。
<条約審査>
人権条約に加入しているだけでは市民の人権は守られない。女性差別撤廃条約がよい例だ。日本は1985年に批准。世界経済フォーラムによる世界の男女格差順位は、調査開始時の2006年は79位だったが、2021年には156か国中120位と劇的に順位を落とした。
主な条約には定期的な国連審査がある。政府は条約の順守状況と課題をまとめた政府報告書を審査する各委員会へ提出する。NGOも審査に不可欠なアクターとして独自の報告書を提出。日本の場合、国内人権機関がないだけにこのNGO報告書はより重要である。個人の資格で選ばれた委員が審査し、政府に対して勧告を出す。例えば女性差別撤廃委員会は、国会議員などの一定数を女性に割り当てる「クオータ制」を2009年から、「夫婦別姓」を2003年から日本に導入するように再三勧告している。
審査の大もととなる政府報告書が事実と異なったり、国連勧告がなかなか実施されないという課題を長年抱えていた。試行錯誤の結果、審査過程でも次のように国内人権機関が中心的な役割を担うようになった。
ヤングケアラーのように基本的人権が保障されず、しかも声を上げられない社会的弱者は少なくない。すべての市民の人権を守るために国際人権条約を活用するには、日本独自の人権観ではなく国際基準の取り組みが欠かせない。
人権教育や条約審査では国内人権機関が中心的役割を担う。その設置を日本は1998年から一貫して勧告されている。日本は法務省の人権擁護制度などで対応していると説明するが国際社会の理解はえられない。前述したような「身内」による人権侵害に必ずしも厳正に対処できないからだ。実際に、この間に日本の男女格差の世界的順位は大きく後退している。
「政府から独立した監視機関」が今日の日本の最大の課題ではないか。人権は経済、財政、社会保障などに密接に関連し、大きく左右される。その政策を決める肝心な国会は、女性議員が1割と異常なほどジェンダー・バランスを欠いている。スウェーデンなどのように法案を「人権」の視点から国内人権機関(国会オンブズマン)が厳正に事前チェックしてはどうか。そのためにも国内人権機関の設置は必須である。