人権の潮流
2022年は、人間の尊厳と平等を求めて、被差別部落の人たちが「全国水平社」を結成し、水平社宣言(1を掲げて100年を迎えた年である。奈良県御所市の水平社運動発祥の地に開設された「水平社博物館」(2は、この節目の2022年3月にリニューアル・オープンし、新たな歩みを進めている。水平社博物館は、部落問題をはじめとするさまざまな人権問題の解決につながることをめざしてこれまでも博物館の活動を進めてきたが、特に若い世代が学ぶ場になることを願って展示内容を大幅に刷新した。駒井忠之館長に、自身の水平社宣言への思いとともに、あらためて水平社博物館がめざす役割を語っていただいた。
1922年3月3日、京都市公会堂での全国水平社の創立大会で高らかに謳われた全国水平社創立宣言(以降、水平社宣言)は、日本で初めての人権宣言であり、また被差別マイノリティによる人権宣言としては世界初であるとも言われています。この文書が今なお輝きを放って私たちの心に響くのは、差別を許さないということのみならず、被差別者自身の解放を謳っているからです。差別は、当事者をして当事者に卑下意識を持たせ、自己否定に追い込みます。水平社宣言は「特殊部落民よ団結せよ」、「吾々がエタである事を誇り得る時が来たのだ」と、今では差別語だと言われる言葉をあえて使っていますが、私には、被差別マイノリティが自らの社会的アイデンティティを受けとめ、人間としての尊厳を回復しよういうメッセージから湧き出た表現だと思います。
だからこそ、水平社運動は、当時の朝鮮における被差別民「白丁(ペクチョン)」による「衡平社(ヒョンピョンサ)」運動との交流・連帯が生まれたし、アイヌ、ハンセン病回復者、ウチナーンチュ(沖縄の人々)など被差別当事者の共感を呼んだのでしょう。残念ながら、ジェンダーの視点で読むと、「男らしき産業的殉教者」や「兄弟」というような男性たちによる男性たちだけへの呼びかけを意識した表現があり、水平社の限界も感じます。しかし、そうした女性の地位が著しく低くおかれた時代にあっても、婦人水平社の運動が立ちあがり、尊敬すべき女性活動家の闘いがありました。
水平社博物館は1998年に全国水平社の発祥の地である奈良県御所市柏原で開設されました。水平社宣言は、全国水平社の創立者の一人、西光万吉によって起草されますが、柏原は阪本清一郎、西光万吉、駒井喜作などの創立者を輩出した地であり、この地は水平社運動の原点といえるでしょう。
私は、柏原で生まれ育ちましたが、10代の頃は部落民であることを否定したい気持ちがずっとあり、自分のアイデンティティに悩んでいました。中学校では同和教育がおこなわれていたし、放課後には部落の子どもたちが集まる場所もあったのですが、大学に入学しても自分がみじめな存在にしか思えませんでした。
しかし、水平社博物館の前館長やこの博物館の事業活動を支えようとする人たちとの出会いによって自分が変わっていきました。部落差別という現実を前にして、人権を暗く重いものとしか捉えられずにいたのが、そうではなく、人権は一人ひとりのすべての人が幸せになるためにもっている権利であることが確信できたのです。人権がまもられる社会の実現に尽くしている人たちとの対話が、凍り付いていた私の心を溶かしました。多くの人たちとこの思いを共有したいと考えた私に、水平社博物館の開館時から学芸員として運営にかかわる機会が与えられました。
2015年から館長を引き継ぎましたが、開設準備から含めて水平社博物館と共に4半世紀を歩みました。部落問題以外の人権課題も企画展で取りあげる機会がありましたが、さまざまな差別の根源は同じであることも痛感しました。
今回の展示内容のリニューアルに際し、大きく二つの点を大事にしました。一つは、中学生にわかる難易度にすることです。同時に、出会いの間口を広くするために、固くて重くて暗いという「人権」や「差別」の固定化されたイメージを変えようと努めました。水平社運動からはじまる部落解放の理念とつながるようマンガや絵本や歌の歌詞なども積極的に展示し、自分の知っていることとつなげて、人権や差別について興味・関心を持ってもらおうというものです。もう一つは、以前の展示は、戦前の水平社解消までの資料が中心だったのですが、戦後の部落解放運動や現在の部落差別を含めた人権の課題も扱うことにし、内容の幅を拡げました。
部落差別の現状でいうと、2011年には、企画展「コリアと日本-韓国併合から100年」の開催期間中に、「在特会」(在日特権を許さない市民の会)の幹部が博物館前にやってきて、部落民に対する侮蔑的な言葉をスピーカーで連呼するという事件がおきました(民事裁判で水平社博物館側が勝訴し、150万円の損害賠償命令)。
また、奈良県が実施した「人権に関する県民意識調査」の報告書(2018年)(3では、自分の子どもの結婚相手が同和地区出身者であった場合の態度として、33.6%が「問題にしない」と回答していますが、この割合は、2008年度の調査の時の割合(33.5%)とほぼ変わっていません。インターネットで誤った情報が流布されていることの影響に加え、結婚における忌避意識などの部落差別は家庭内で連鎖していると思います。
現在も連綿と続く部落差別を断ち切るために、もっと学校教育で水平社博物館を活用していただきたいと思います。私たちも子どもたちが、差別や人権が他人事ではなく自分事になるよう、主体的に学びが深められるようサポートしていきたいです。私の夢は水平社博物館の学芸員をめざす人が、こうした子どもたちの中から出てくることです。また、水平社博物館の運営については当初から一貫して行政からの支援を得ず、民間の自主財源でやっています。財政基盤の強化も継続した課題であり、賛助会員など支援者を募ってやっています。
2015年に、ニュージーランドのウェリントンで開催された「国際人権博物館連盟」(FIHRM)の年次大会に初めて参加し、同年12月に日本の博物館として初めてFIHRMに加盟しました。国際人権博物館連盟は、2010年に英国の国立リバプール博物館の一部である国際奴隷制博物館の呼びかけによって結成された、世界中の人権博物館のゆるやかなネットワーク組織です。私たちは新型コロナ・パンデミックの前までは毎年大会に参加してきました。
また、2016年には、水平社博物館が所蔵する、水平社と衡平社の交流と連帯を示す文書などがユネスコのアジア太平洋地域「世界の記憶」として登録が認められました。日本の植民地下にあった朝鮮半島でも、朝鮮王朝時代の身分差別意識が残存し、明治以降の部落民と同様に法制度上は平等とされたものの、賤民であった「白丁」出身の人々に対する差別は後を絶ちませんでした。衡平社は、水平社結成の翌年1923年に結成されますが、水平社と衡平社がともに公正な社会をめざして運動したという歴史の事実は、難しい政治情勢が続く東アジアにあっても、平和と人権の実現に勇気を与えるものです。
水平社宣言のしめくくりの「人の世に熱あれ、人間に光あれ」は水平社宣言の理念を象徴しています。人間の尊厳と平等が実現される社会を希求して闘った民衆の足跡は、世界で共有するべき財産であり、今後とも広く国際的にその存在を発信していきたいと考えています。
1:
「水平社宣言」
http://www1.mahoroba.ne.jp/~suihei/sengen.html
2:
水平社博物館のウェブサイト
http://www1.mahoroba.ne.jp/~suihei/
3:
『人権に関する県民意識調査報告書』奈良県,平成30(2018)年3月
https://www.pref.nara.jp/secure/196054/tyousahoukoku1.pdf