アジア・太平洋の窓
2022年5月のフィリピン大統領選挙は、フェルディナンド・マルコス・ジュニア氏(64)が、有権者全体の半数を超す約3,162万票を獲得し、2位のレニ・ロブレド氏(57)に2倍以上の差をつける歴史的な勝利をおさめた。
愛称はボンボン。6月30日の就任式には、「投票した3,100万人の一人」と書かれた赤いシャツを誇らしげに着た人たちが、会場の外にまであふれた。
「私の父は、彼の前のどの政権よりも多くの道路をつくり、多くの米を生産した」。就任演説でボンボンは自らの父の功績をたたえ、「息子にもできるだろうか。私は逃げません」と聴衆に宣言した。
ボンボンが強調する父とは、1965年から20年以上にわたりフィリピン大統領の座についたフェルディナンド・マルコス氏だ。マルコスは強いリーダーシップで、インフラ整備や農業振興策を進め、海外の要人とも密接な関係を築いた。
一方で、共産主義者の台頭を理由に戒厳令を布告し、反発する人々を拷問などで抑圧、死者・行方不明者は2,300人以上にのぼった。不正蓄財や取り巻きの汚職も問題になり、独裁者とも呼ばれた。1986年2月の民衆蜂起「ピープルパワー革命」で、長男ボンボンを含む一家はハワイに追放された。
マルコスの死去後、帰国を許された妻イメルダや長女アイミー、ボンボンらは政界に返り咲き、ついに大統領府に舞い戻った。
就任演説でボンボンは、「私は過去についてではなく未来について話すためにここにいる」とも語った。100億ドルともいわれる不正蓄財の問題も解明されない中、前だけを向くとは、ずいぶん都合のいい話に聞こえる。
だが選挙結果を見る限り、フィリピンには「マルコスを許すな」という人よりも、 「息子にチャンスをやれ」と考えた人が多かったようだ。
選挙活動中も、ボンボンは「インフラ整備の黄金期」といった、父マルコスの前向きなイメージだけを売りにした。
ボンボンのキャンペーンソング「バゴンリプナン(新しい社会)」は、マルコスが1972年に戒厳令を布告した後、「新社会の建設」をPRするために作った曲をロック調にアレンジしたものだ。
「あの曲を聞くと高校時代に歌わされたことを思い出す」。戒厳令下で逮捕され、警察から暴行を受けた男性(62)はそう話した。人権侵害をうけた人たちへのボンボン側の配慮は見られなかった。
大統領就任後も「おやじの背中」を追う姿勢は鮮明だ。7月25日の施政方針演説では、「成長と雇用の推進力」として農業を真っ先に挙げた。農相も兼務するほど熱心なのは、農業は父マルコスのレガシー(功績)の一つだ、と考えているからだ。ボンボン政権が発表した、米の収量アップを目指す政策「マサガナ(豊富な)150」は、マルコス政権が1970年代に実施した「マサガナ99」にならったものだ。
世界的なコスト高、終わらないパンデミックと課題だらけの中で、まずマルコス時代の政策の新バージョンに着手し、「黄金期」を取り戻す姿勢をアピールしているのだろう。
フィリピンの人たちは、なぜボンボンに票を投じたのか。朝日新聞を休職して現地に短期滞在した私は、2022年4~5月、支持者に理由を聞いて歩いた。その内容はさまざまだった。
ボンボンの動画撮影チームの男性(43)は、10代の頃からマルコス元大統領の支持者だ。学校では毎日停電が起き、家は貧しかった。でも当時のラモス大統領(1992年~98年)は「外遊ばかり」で、人々の苦労に寄り添っているように見えない。「マルコス時代はよかったと話す両親の話は正しいと思うようになった」。両親はマルコス家に近く、政権から土地の分配も受けたという。
マルコス追放後、社会がよくなった実感はない。ありついた清掃員の仕事では、一日400円ほどしか稼げなかった。「道路や病院、原子力発電所までつくったマルコスをみな『泥棒』と呼ぶが、彼こそ国民のことを考えたリーダーだった」。リベラルな政治家に強い不信感を抱き、ボンボンを支持した。
イロコスノルテ州の事務員の女性(23)は、「ボンボンがかかげる統合こそフィリピンに必要。フィリピン人はそれぞれ好きなことを言い、分断ばかりで恥ずかしい」と話した。マルコスが戒厳令下で報道機関に圧力をかけたことは「よかった」という。「当時の人は安心して暮らせた。今は政府の悪い面が報じられ、怒りを感じてばかり」。まとまりや規律が保ちにくい国で、強く大きなものの手にすべてをゆだねたいという願いにも聞こえた。
マルコス時代を切り離して見る若い世代もいた。13歳の少女は「マルコス元大統領は腐敗があったので好きじゃない。ボンボンは父よりもいい大統領になろうと頑張っている」と、投票権がなくても集会で応援していた。
2022年4月20日、ミンドロ島での集会で「マルコスを戻せ」「6年を最大限に活用して」と掲げる人たち(筆者撮影)
驚いたこともあった。ボンボンに投票すればマルコス家のお金が手に入る、といった見返りを期待する支持者に何度も会ったのだ。
南部ダバオの女性(79)は、「ボンボンが大統領になるとマルコス家の金の延べ棒が手に入るらしい。経済のために使われたらいいと思う」。マニラの女性(63)は、「マルコスが手に入れた山下財宝は人々のものだ」と話した。
山下財宝とは、旧日本軍大将の山下奉文がフィリピンに隠したといわれる財宝伝説だ。マルコスの妻イメルダは、不正蓄財を追及された1992年、メディアに、「山下財宝をふくめ第2次世界大戦後に手に入れたもので、国庫から横領したものではない」と発言したことがある。
イメルダは2013年にも、テレビで財産を国に渡す考えを聞かれ、「フィリピンだけでなく世界にですよ」と答えている。こうしたあいまいな発言を取り上げたTikTokやYouTubeの番組を通じ、マルコス家の財産にまつわる幻想が広がっていった。
ボンボンは、有権者が期待するマルコス家の黄金について「私は見たこともない」と否定している。それでも大統領選の直前には、「ボンボンが当選すればマルコス家の財産の9割が国のものになる」と書くフェイスブックまであった。意図的なうそも、ボンボン票につながった面があっただろう。
ミンドロ島の農家の男性(64)は、「みんなマルコスに魔法を期待している。マルコスに望むのは黄金だけ。それがあればフィリピンはまた偉大になれる」と話し、「数年で手に入らなければ、あちこちで抗議運動が起きるだろうよ」とまで言った。なんともドライ、現金だ。
ボンボンを支持した人たちは、是々非々で今後のかじ取りを判断していくだろう。もっとも現地の記者に言わせれば、期待はずれで抗議されようと「マルコス家はなーんにも気にしないでしょうけどね」。
ピープルパワー後の社会への失望の中、「マルコス時代はよかった」という言説がじわじわと支持され、ボンボンを大統領に押し上げた。当時を知る人が減り、ソーシャルメディアでさまざまな情報があふれる今、フィリピンでは歴史的な事実とは何か、ますますわかりにくくなっている。
8月には、マルコス家が全面協力し、1986年の国外追放前の72時間をマルコス側の視点で描いた映画「メイド・イン・マラカニアン」が封切られた。上院議員が「マルコス側の声も聞くべきだ。アキノとマルコスの見方は違う」と発言するなど、これまで認識されてきたことは、ピープルパワーの象徴だったアキノ元大統領らが流した一方的な情報だ、とする見方も強まっている。
ただ、カウンターカルチャー(対抗文化)ともいえる動きもあった。この映画にぶつけるように、戒厳令下で政府の取り締まりに抵抗した若者を描くミュージカル映画「KATIPS」が同日公開されたのだ。
「意見を戦わせることは分断を生む」と考える風潮は、今の日本にもある。それでも民主的な方法で、フィリピンの人々は必死に意見を表明し合っている。ただ、それぞれ自分が支持する側の映画しか見ようとせず、さらに分断を深めていることは、皮肉なのだが。