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国際人権ひろば No.166(2022年11月発行号)

特集:「性と生殖に関する健康と権利」と中絶

進化してきた世界の中絶とこれから変わるべき日本の中絶

塚原 久美(つかはら くみ)
中絶問題研究家

現代の女性と避妊、中絶

 現代の"女性(1"にとって避妊と中絶は不可欠なものになっている。100年前、多くの女性は10代で婚姻して次々と子を産み、更年期も知らずに40代で亡くなっていた。母乳育児の期間も長かったので月経が止まっている年数は長引き、生涯の月経周期は50回程度だったと言われている。ところが、栄養状態や環境が改善された現代の女性の多くは、初経が早まり、閉経が遅くなって寿命も延び、もはや子産みだけが人生の中心ではなくなった。初産は平均30歳と後ろ倒しになり、生涯に産む子の数はせいぜい2人で授乳期間も短くなった結果、生涯の月経周期は450回ほどにも達するという。
 毎月、子宮内膜がはがれて落ちる月経数の急増で子宮内膜症などの病気も増えているため、避妊薬を服用して人為的に月経を抑制し、中絶が必要な場合はできる限り早い段階に薬で中絶する(流産させる)方が心身への負担は軽くなる。一方、未婚で性関係をもつことや女性の社会参加は全世界的な現象である。産むか産まないのかを自分で決め、産む場合にも人生のどのタイミングで産むのかを自分で調整するのは当然であり、万全ではない避妊のみならず、安全な中絶も不可欠だというのが今や世界の常識になっている。

安全な中絶の歴史

 この変化が始まったのは20世紀の後半。1960年のアメリカで経口避妊薬(ピル)が承認され、女性たちは自分一人で妊娠を調節する道が拓かれることになり大いにエンパワーされた。1960年代から1970年代にかけて世界各地の女性解放運動(ウィミンズリバレーション)は、「妊娠」の呪縛から解放されようと、まずは避妊薬の獲得を目指し、それが実現すると、引き続き中絶の合法化を目指した。キリスト教倫理の強い欧米諸国で中絶は厳禁とされてきたが、1967年のイギリスで解禁されたのを皮切りに、1970年フィンランド、1973年アメリカ、1975年フランス、1976年西ドイツなど各国で次々と合法化されていった。
 欧米の医師たちは、長く続いた中絶禁止時代に、違法の堕胎師による「搔爬(そうは)」(子宮内膜を細長い匙状の道具で搔き取る方法)の失敗で子宮に穴が開いたり、感染症にかかったりして運び込まれてくる患者たちを大勢見ていた。そのため、合法化された中絶で搔爬を用いるということは論外だとして、欧米の医師たちはより安全な中絶方法を探し回った。その結果、アメリカで違法の堕胎師が考案したプラスチック製のカーマン式カニューレと呼ばれる管に白羽の矢があたり、これを電動吸引機または手動吸引器の先端に取り付けて子宮の内容物を吸い出す「吸引法」が欧米の合法的中絶のスタンダードになった。1970年代のことである。
 その後、外科的処置を必要としない経口妊娠中絶薬ミフェプリストン(以下、「中絶薬(2」と略す)が開発され、1988年に中国とフランスで世界で初めて承認された。薬による中絶は、妊娠初期なら非常に高い確率で「妊娠」の進行を止め、人工的に流産を引き起こす。中絶薬は従来の外科的中絶に代わりうる画期的な方法として一世を風靡し、現在は約80カ国で使われている。
 薬の安全性を疑う中絶反対論者も多かったため、中絶薬については山ほどの臨床試験が行われた。その結果、安全性と確実性についてエビデンスレベルの高い研究結果が積み重ねられていき、「中絶薬」は2005年にWHO必須医薬品リスト入りを果たし、2019年にはWHO必須医薬品中核(コア)リスト(WHOが選んだ数百種の必須医薬品のうち、最低限のヘルスケアのために必要不可欠な医薬品を厳選して収録したリスト)に移管された。中核リストに入った薬は、専門家の監視下でなくても服用できるほど安全で、効果が高く、コストも低いことを意味している。実際、WHOが2022年3月に発行した『中絶ケア・ガイドライン』では、妊娠12週までの初期については、産婦人科専門医のみならず、すべての医師、助産師、看護師、准看護師、薬剤師等でも安全に中絶薬を取り扱えるとしている。

中絶薬と「中絶観」

 中絶薬の登場で、より早期にプライバシーの守られた形で妊娠を終わらせられるようになった国々では、人々の「中絶観」も変化している。従来、カトリック教会の影響が強いために中絶が厳しく取り締まられてきたアイルランドやアルゼンチン、メキシコといった国々でさえ、近年、中絶禁止を緩める方向に政策を転換した。
 国連における「中絶」への見方の変化も、各国の変化を支えている。女性差別撤廃委員会は、各国政府に中絶法の改正を求め続けてきた。2016年の社会権規約一般勧告22では、「性と生殖に関する健康に対する権利」の一部として「女性と少女に安全な中絶を保障するべき」だとされ、2019年の自由権規約の一般勧告36では「女性と少女の安全で合法的な中絶への障壁を撤廃するべき」と明記された。中絶は世界中の女性の4人に1人が生涯に一度は必要とする医療処置であるので、今や安全な中絶にアクセスできることは「人権」として保障されている。
 WHOも、今では薬を用いた妊娠初期の中絶を妊娠した当人の「セルフケア」として位置付けている。この考え方は徐々に受け入れられており、COVID-19のパンデミックの際にも、世界では中絶薬のオンライン処方を含めた「遠隔診療」とセットにした「自己管理中絶」が注目を浴びた。2020年3月のWHOの「パンデミック宣言」を受けて、国際産婦人科連合(FIGO)は「パンデミックの最中は、中絶薬を遠隔診療で処方して、女性が自宅で服用できるようにする」ことを各国に提唱した。アイルランドやイングランド、フランスなどがこの方針に従い、一年後、FIGOはこれらの国々の実施データに基づいて遠隔診療と自己管理中絶の成果を高く評価し、「この優れた方法を恒久化するべき」だと宣言した。
 イギリスやフランスなど多くのヨーロッパ諸国では、中絶には健康保険がきくため実質無料である。また、スコットランドやニュージーランドを始め複数の国々で「生理の貧困」対策として月経用品が無料で提供されるようになったのも、子宮をもつ人にとって月経処理は「必要不可欠なケア」と見られているためである。つまり、妊娠するからだをもつ人々の最低限のニーズを満たし、月経や妊娠の負担やリスクをへらすことは、他の人権を保障する前提だと考えられているのである。

日本における中絶の今とこれから

 ところが日本では、100年以上も前の刑法堕胎罪によって今も中絶は原則的に犯罪だとされている。その一方で、一部の中絶について堕胎罪の例外規定を定めている母体保護法が、中絶を求める人とその「配偶者の同意」を得ることを条件に、各都道府県の医師会の「指定医師」に合法的中絶を行う権限を与えている。また、日本では中絶は「傷病」ではないとみなされ「自由診療」扱いであるため、安くても10万円と言われる中絶料金には健康保険が一切きかない。おまけにWHOが「使わないこと」を推奨している旧式の搔爬と呼ばれる術式が今も過半数の中絶で使われているありさまである。
 中国やフランスより30年以上も遅れた2021年12月のラインファーマ社の承認申請時に、日本産婦人科医会の前会長は母体保護法の規定に則って「指定医師のいる医療施設に入院させて厳重管理下で服用させ」、従来の「中絶手術と同等の料金になる」とした。だがWHOの必須医薬品中核リストに入っているほど安全で確実でコストの低い薬を、厳重な管理下において高額に料金設定するのは不合理であり、この薬を必要としている人に対して無用な障壁を作るという意味で人権侵害的でもある。
 科学技術が進歩した現在でも、"女性"しか妊娠出産はできない。女性の人権を貶め、痛めつけるような政策を続けていくようでは、この国は少子化を乗り越えられず衰亡の一途を辿るだろう。中絶薬の承認を機に、日本の中絶をめぐる医療も法律も人々の意識も変革を求められている。


1:話をシンプルにするために、妊娠しうるトランス男性やノンバイナリー等の人も含むものとする。

2:ここでは子宮収縮剤ミソプロストールとセットにしたコンビ薬を「中絶薬」と呼ぶ。