人権の潮流
筆者は2018年~22年、中国上海市を拠点に新疆ウイグル自治区を6度訪れた。自治区を巡っては、中国共産党政権による少数民族ウイグル族への強権統治が世界的な人権問題として注目される。だが、現地の人権状況の実態把握は難しい。米欧や日本などの外国人記者が取材しようとしても、中国の警察当局が妨害してくるからだ。
最初の1年間は、社費留学で上海市内の大学や語学学校で中国語を学んだ。この間、一度自治区に行ったが、「留学ビザ」で滞在していたためか、目に見える当局者の尾行はなかった。2019年に上海支局へ赴任後は就労ビザの「記者ビザ」となり、自治区を訪れると取材妨害に遭った。
特に外国人記者は、中国にとって都合の悪い情報を発信しかねないとして、警戒対象となるからだ。記者の行動は基本的に全て監視されている。自治区の空港に着くと、出口で警官が待ち構えていたこともあった。飛行機のチケット購入には、旅券番号が必要で、搭乗便をすぐに把握できる。
現地では、私服警官2~6人が尾行につき、記者が帰りの便に搭乗するまで続く。宿泊先の部屋の前まで来て一晩中見張る。この間、住民に声をかけても、警官が近づくとみんな口を閉ざす。外国人と接触したウイグル族は分離・独立を警戒する当局から拘束される恐れがあり、こちらも慎重にならざるを得ない。
新疆ウイグル自治区アクスで、「民族団結は各民族人民の生命線」と
中国語とウイグル語で書かれた交差点の横断幕(2021年3月、筆者撮影)
写真撮影もままならない。西部アクスでは、ウイグル族の大多数が信仰するイスラム教の礼拝所・モスクなどで写真を撮ると尾行する警官がカメラを奪い、写真を削除した。モスクには「中華民族の偉大な復興という中国の夢」と中国語とウイグル語で書かれた巨大な看板が掲げられていた。
取材妨害に関しては、中国政府が外国メディアに報道されたくない実態が存在するからだとの見方は根強い。厳しい情報統制が敷かれるなか、自治区を逃れて日本も含めた海外で暮らす亡命ウイグル族らは、自らの体験を世界に発信し、迫害の存在を訴えている。
ウイグル族らへの人権弾圧の実態把握は難しいものの、自治区に行くことによって、その一端を感じることはできた。
筆者は、中国に赴任前、海外に住むウイグル族の友人から手紙を言付かった。自治区にいる家族へ宛てたものだ。友人は数年前から家族との交信が途絶えている。海外と関わりがある人物は、イスラム過激主義対策を理由に設置した再教育施設に収容される恐れがあり、実際、友人の家族の一人も施設に入ったという。
そのため、互いに悪影響を与えないよう連絡を控えているとのことだった。筆者は結局手紙を渡せていない。先に述べた当局の尾行や監視があるからだ。約束を果たせていないことは悔しいが、手紙さえ届けられないという事実は、ウイグル族が置かれている実態を物語っていると言っていい。
それでも、一度だけ尾行の気配がない時もあった。訪問先のウイグル族は、日本人記者だと告げると家に招き入れてくれた。急いでドアと窓を閉め、見ず知らずの筆者に抱きついたまま肩をふるわせて泣き崩れた。やはり海外の家族との連絡が途絶えている人だった。家族の身を案じ、「連絡できない」と泣き続けた。
部屋にはほかにも家族数人がいたが、みんなおびえた顔で息を潜めて暮らしているように見えた。この出会いでウイグル族への弾圧は少なからず存在すると確信することができた。現地に行くことが大事だと痛感すると同時に、取材によるウイグル族への影響が心配で、怖さも抱え続けている。
中国で9割超を占める最大民族・漢族と宗教や文化が全く異なるウイグル族との衝突は繰り返されてきた。2009年7月には、区都ウルムチで大規模な暴動が起こり、当局発表で197人が死亡し、1,700人以上が負傷した。
習近平政権がテロ対策を名目にウイグル族への監視を一層強化したのは、2014年4月にウルムチ南駅で起こった爆破事件がきっかけとされる。習氏が「テロリストを完全にたたき潰せ」と厳命したからだ。過激思想に染まったウイグル族の再教育を目的とする「職業技能教育訓練センター」も設置された。
米欧は、センターについて「強制収容所」であると主張している。米政府は2019年発表の人権白書で、収容者は80万~200万人に上ったと指摘した。中国政府は、「職業訓練をすべて終えた」と発表したが、収容人数など詳細はほとんど明らかにしていない。
筆者は2021年、オーストラリア戦略政策研究所が衛星写真などを根拠に収容施設と指摘した380か所のリストを頼りに、自治区西部のカシュガルから続く砂漠地帯を車で約3時間走った。
研究所が「管理が最も厳しい収容施設の一つ」と分析する巨大な建物を見つけ、近づこうとすると地元住民らに「公の土地だから入れない」と道を阻まれた。建物には、「知識があれば運命が変わる、技能があれば夢がかなう」との中国語のスローガンが見えた。
車でしばらく周りを走っていると、建物を遠目に見つめる赤い服を着たウイグル族の女性がいた。気になったので声をかけると「夫が中にいる」とだけ答え、電動バイクで去って行った。
習政権は、共産党への忠誠を信仰より上に置く「宗教の中国化」も進める。自治区では2017年以降、モスクをイスラム過激思想の温床と警戒する当局によって、モスクの少なくとも16,000か所が損傷を受け、8,500か所は解体されたとの報告がある。
2021年6月、カシュガルの土産物店でウイグル族の男性店員が店内の四隅に設置された監視カメラを気にしながら、隣のモスクが数年前に当局に閉鎖され、宝石店に改装されたと教えてくれた。カシュガル近郊の別のモスクでは、イスラム教の象徴である三日月が取り外され、「愛党愛国」と書かれた赤色の看板があった。
自治区の中でもウイグル族の人口比率が高いことで知られる南西部のホータン地区では同じく同年6月、民族の伝統建築を模したデザインの店舗兼住宅が次々と誕生していた。完成した建物には改築前の土壁造りの古い住居と改築後の比較写真が掲示され、「感恩共産党」との言葉が添えられていた。
地元政府が2016年から進める再開発事業で、漢族に比べて著しく劣っていたウイグル族の生活環境や水準を向上させる趣旨だ。習政権は、自治区の1人あたり可処分所得を増加させ、貧困から脱却したとして新疆統治を自賛している。
中国語教育の強化も進められ、「いつかウイグル族は消えてしまうかもしれない」と話すウイグル族もいた。高齢者は中国語がわからない人も多く、中国語を滑らかに話せないだけで漢族から罵声を浴びせられる場面も目にした。
新疆ウイグル自治区カシュガル郊外で、「愛党愛国」が掲げられたモスク。
イスラム教の象徴である三日月は取り外されている(2021年6月、筆者撮影)
ウイグル族らへの「強制労働」も指摘されており、2022年7月には、国連人権理事会の小保方智也・現代的形態の奴隷制に関する特別報告者が、自治区における農業や製造分野でウイグル族らへの強制労働が行われていると結論づけた報告書を提出した。
さらに国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)は8月31日(日本時間9月1日朝)、自治区で「深刻な人権侵害が行われてきた」と指摘する報告書を公表した。31日で任期満了のミチェル・バチェレ国連人権高等弁務官が退任する直前の発表となった。
バチェレ氏は5月、人権高等弁務官として17年ぶりに現地を視察したが、中国側に行動を制限され、人権状況の全体像を把握できなかったことを認めていた。中国政府は、報告書について、米欧の「でっちあげ」に基づくものだと反発している。
報告書では、職業技能教育訓練センターを巡って、収容者への拷問や虐待などの疑いについても信憑性があるとした。各国のビジネス界に対しても企業活動にあたって人権尊重の責任を果たすように求めている。
冒頭で実態把握は難しいと紹介した。だが、中国が人権侵害はないと主張するのであれば、尾行や監視による取材妨害をせずに自治区での取材を認めるべきではないか。国連が人権侵害を認めた以上、あきらめずに情報公開を訴えていく必要があると感じている。