人権の潮流
東京都足立区の公立中学校で、大学の教員と協働しながら、人権を基盤とした包括的性教育実践を創り上げて12年目を迎える。正確な情報、科学の知識に基づき、子どもたち自身がより安全な行動を選択する力をつけること、トラブルがあった時、適切な情報、相談や支援にたどりつくことを目指すこの実践は、子どもたちをめぐる社会的課題の解決につながる必要な学びでもある。この「包括的性教育」は、「性について真剣に向き合い、考え合う」経験でもあり、性を肯定的にとらえ、大人との信頼関係を構築することにつながる。
1年生のはじめの授業では、クスクス笑ったり下を向いたりする生徒がいるが、次第に「大切なこと」と認識するようになり、真剣な眼差しとなってくる。そして3年生になると、性について真剣に考え、語り合い、性をポジティブに受け止めることが当然のこととなっている。
学校で包括的性教育を実施することは大きな意味がある。友達の多様な意見に耳を傾けることで、性を幅広く捉えることができる。そして、性について悩みの尽きない思春期の子どもたちに「相談してもいい」という安心感が生まれる。
また、足立区は「貧困問題」を真正面から取り上げ、何とか解消したいと、様々な施策を打ち出している。「意図しない妊娠」、「性感染症」の回避はもちろん、自身の性のあり方を考えさせることは豊かな人生を育むことにつながり、「貧困の連鎖」を断つためにも必要な教育である。
学習内容は1年生で「生命誕生」「女らしさ・男らしさを考える」、2年生で「多様な性」、3年生で「自分の性行動を考える~避妊と中絶~」「恋愛とデートDV」。また、保健体育科保健分野の1年生「性機能の発達」「月経」「射精」「性と情報」、3年生「性感染症」「HIV/エイズ」の検証授業を繰り返してきた。
<授業を進める上で大切にしてきたこと>
2003年、都立七生養護学校(現、都立七生特別支援学校)で行われていた性教育に対して、ある東京都議会議員から苛烈な攻撃がされてから、「性教育」という言葉が教育界から消えたといっても過言ではない。その後、七生養護学校の教員、保護者らが起こした長い裁判の末、原告が2013年に全面勝訴した。
しかし2018年、本実践「自分の性行動を考える~避妊と人工妊娠中絶~」を、同議員が「学習指導要領を逸脱している」と学校名と校長、授業者を名指しで攻撃した。しかし、実践を見守ってくれていた足立区教育委員会は「この教育は必要」と主張し、「大切な教育」という世論の声も上がり、賛同署名がたくさん集まった。最終的に東京都教育委員会は「今後の対応」ということで、「保護者に了承をとった上で学級や学年単位で行ってもよい」ということになり、現在も継続して授業を行っている。
この授業はいつも3年生の3月に学級ごとに行う。生徒たちの「事前アンケート結果」を見ると、避妊と中絶の知識が大変乏しい。その一方で「高校生になれば性交渉をしてもよい」と答える生徒の割合は、毎年半数近くいる実態を見て、「性の安心安全」を獲得してから卒業させたいという思いをもっている。
授業は人間と他の動物の性行動の違いを知り、「高校生の性交渉は許されるか」「もし、妊娠したらどうするか」についての代表者による討議を行った後、間違いが多い「避妊方法、人工妊娠中絶」のアンケート結果を見ながら正確な情報を確認し、困った時は相談する大切さを伝えるという内容である。
避妊や中絶を教えると、「子どもの性行動が活発になる」と思い込んでいる人がいるが、これはまったく反対である。授業後のアンケートでは、確かな情報を得、仲間と深く考え合うことで「性行動に慎重になる」という結果が、毎回数値として出る。また、「ガイダンス」の中で紹介されている国際的な研究成果においても、包括的性教育によって、「初交年齢」(初めての性交渉)が上がる、性交渉をするパートナーの数が減るといった結果が出ている。やんちゃな生徒が「童貞最強!」と一言感想を書いてきたことがある。彼は、ディスカッションで友達に意見されたことで、自分の性行動に対して「真剣に考えよう」と思ったのだろう。大人が話す以上に友達の言葉は胸に響く。性について真面目に、本音で仲間と話し合うことの大切さを身に染みて感じた。
また、この授業を攻撃されて以降、授業後の生徒たちに「この学習は必要か」というアンケートをとっている。授業を評価するのは大人ではなく、生徒である。毎回、9割以上が「必要な学習」と生徒たちは評価する。「生きていく中で絶対に必要」「知識があるからこそ、ちゃんと考えられる」と前向きなコメントをたくさん寄せ、これを支えにしながら授業を続けている。
避妊と人工妊娠中絶については高校2年生の保健体育で扱われる。しかし、進学しない、中途退学する生徒もいる。義務教育の段階で正確な情報を得、考え合う経験をすることは必要であり、大人の責任でもある。
(授業の風景から)性機能の発達 思春期のからだの変化を考える
授業に「完成形」はない。授業は生徒の実態、時代によって創られるものであり、常にアップデートしていくことを心がけていく必要がある。
変容は子どもだけでなく、教える側の大人も同じである。「自分自身が生きやすくなった」「性をポジティブに受け止められるようになった」と積極的に授業に取り組む教員が増えてきた。生徒のニーズに応じた授業を進めることで、生徒との関係性もよくなり、やりがいも感じる。性の学習を進めていくことで、子どもが変わる、大人が変わる、それは誰もが過ごしやすい「学校」を創ることにつながる。
「性の学び」を必要と感じている教員はたくさんいるが、カリキュラムを組んで実施している学校は少ない。バッシングによって現場の萎縮があることも大きい。また、現場は多忙であり、授業を行うことを求めていくことに限界を感じるところもある。今後、地域と協働しながら進めていくこと、そして現学習指導要領で科学的な面が十分示されていない「はどめ規定」(中学校では「性交」や「セックス」など妊娠の過程は教えない)の撤廃も必要である。これらを実現させるために、実践の成果とともに、「大人への性の学び」を広げていくことに今後、尽力していきたい。
12年間の実践をまとめたものを研究者とともに「本」にした。包括的性教育を進めていく上で、初めて取り組む教員にも役立つようにきめ細かく情報を提供し、授業のヒントも盛り込んだ。ぜひ、手に取って活用してもらいたい。
樋上典子、艮香織、田代美江子、渡辺大輔著『実践 包括的性教育』
(エイデル研究、2022年11月)
注:ユネスコ編、浅井春夫、艮香織、田代美江子、福田和子、渡辺大輔翻訳『国際セクシュアリティ教育ガイダンス【改訂版】ー科学的根拠に基づいたアプローチ』(明石書店、2020)