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国際人権ひろば No.169(2023年05月発行号)

特集:差別禁止法・国内人権機関・個人通報制度は不可分のトライアングル

個人通報制度の導入を目指して

大谷 智恵(おおたに ちえ)
弁護士、日本弁護士連合会個人通報制度実現委員会委員

個人通報制度は人権救済を図る手段

 重大な人権侵害が行われた第二次世界大戦後、国内の人権問題を当事国の自律に委ねるのではなく、国際的に人権保障を確保するシステムが必要であると国際社会は理解し、国連が設立されるとともに、1948年12月に世界人権宣言が採択された。その世界人権宣言でうたわれた人権保障をより具体化するために、各国際人権条約が採択されてきた。それが自由権規約や社会権規約、女性差別撤廃条約等である。
 これらの国際人権条約に定められている内容を締約国(条約を批准した国家)は守る義務を負う。その義務をきちんと締約国に履行させるための方法として、国際人権条約ごとに設置された専門家の集団である条約機関(自由権規約委員会など)がとれる手段が大きく3つある。1つは、条約機関が締約国の人権状況を定期的に審査する「政府報告書審査」、もう1つは他の締約国が条約違反をしているときに、別の締約国が条約機関に通報し審査してもらう「国家間通報制度」である。そして最後の1つが、「個人通報制度」である。
 個人通報制度は、条約上の人権や自由を侵害された人が、国内で救済手続をすべて尽くしてもなお救済されない場合に、条約機関に通報をし、審査してもらう制度である。

個人通報制度の概要

 個人通報制度は、条約に付随する選択議定書で規定されているもの(自由権規約、社会権規約、女性差別撤廃条約、子どもの権利条約、障害者権利条約)と、条約本体の中に規定されているもの(人種差別撤廃条約第14条、拷問等禁止条約第22条、強制失踪条約第31条、移住労働者権利条約第77条)とがある。前者は選択議定書を批准することによって、後者は規定された条項の受諾宣言を行うことによって、個人通報制度が締約国に対し効力を生じ、当該締約国について個人通報をすることができるようになる。
 通報は、条約上の人権を侵害された個人(条約によっては個人の集団も可)が条約機関にすることができるが、その手続の流れの概略は以下のとおりである。なお、条約によって若干手続が異なることがあるが、以下では自由権規約の個人通報制度(第一選択議定書)を例に述べる。

  1. 通報と登録
     人権を侵害された個人は、自由権規約の条約機関である自由権規約委員会に個人通報を書面で行う。なお、通報は、国連の公用語であるアラビア語、中国語、英語、フランス語、ロシア語、スペイン語のいずれかで行わなければならない。通報は、形式的な審査を受けた後、登録される。
     そして、委員会は、通報の対象となった締約国に通知を行う。通知を受けた締約国は、6か月以内に書面で反論をしなければならない。また、通報者は締約国の反論に対し再反論をすることができる。
     なお、個人通報制度は書面審理であり、反論や再反論、証拠などもすべて上記の国連公用語に翻訳した書面を提出して行わなければならない。
  2. 審査(受理可能性、本案)
     個人通報の審査は、受理可能性の審査と本案の審査がある。受理可能性の審査とは、国内救済手続を尽くしているか、人的や時間的管轄の範囲内かなどの形式的な審査である。本案審査は、自由権規約違反があったかどうかの実体的な審査である。受理可能性がないとして不受理とされると、本案審査は行われない。
  3. 見解
     自由権規約委員会は見解(Views)と呼ばれる決定を出す。自由権規約違反が認められた場合には、あわせて締約国に対し救済措置が求められる。
     なお、この見解は、一般的に法的拘束力を有しないとされている。しかし、締約国が任意に批准した選択議定書に基づく、委員会の権威ある解釈として尊重し、履行されるべきとされている。

日本と世界の状況

 個人通報制度は条約上の人権侵害に対して救済を図るための有効な制度であるが、日本はいずれの条約についても個人通報制度を定める規定の批准や受諾宣言をしていない。そのため、現状ではいずれの人も日本に対する個人通報をすることができない。
 世界の状況を見てみると、G7のうち日本を除くすべての国が、またOECD加盟国のほとんどが何らかの個人通報制度を導入している。アメリカ合衆国は国連の条約の個人通報制度の導入はしていないが、地域人権機構である米州人権委員会に対し通報できる個人請願という同様の制度を利用できる。2023年2月21日現在、自由権規約を批准した国は173か国あり、そのうち117か国が第一選択議定書を批准している。
 日本は、上記のようにいずれの条約についても個人通報制度を導入していないし、アジアには地域の人権機構が存在しないため、他の同様の制度も導入していない。日本は、国際機関に直接人権救済の申立てができる手段を一切持たない希有な国となってしまっている。これでは国際人権条約に規定された権利が十分に国内で保障されているとは言えない。

個人通報制度が導入されるとどう変わるか

 日本では、人権侵害といえる問題が多数あり、さまざまな分野で条約機関や他国から指摘を受けている。しかし、この状況はほとんど改善がみられず停滞しているといってよい。日本が守る義務がある条約に規定されている人権を侵害しているにもかかわらず、条約への理解の遅れや無関心さから対処されず、その結果、国際的な人権基準から大きく遅れているといえる。
 個人通報制度が導入されると、人権を侵害された個人が直接条約機関に判断を求める道が開かれることになる。そして、それだけではなく、下記のとおりその効果は計り知れないものがある。
 日本の裁判所は国際人権条約の解釈や適用に極めて消極的である。しかし、個人通報制度が導入されると、裁判の判決の結果によっては、条約機関への個人通報が予想されることから、裁判所はあらかじめ国際人権条約の解釈や条約機関の見解等の先例を検討せざるを得なくなる。それによって、日本国内の裁判でも国際人権条約に従った判断がなされることが期待できる。
 また、条約機関から個人通報の見解が出されると、国内において報道機関等により広く国民に知られることになり、それによって司法のみならず行政も動くことが期待される。
 このように個人通報制度が導入されると、日本の人権状況が国際的な人権基準に近づき、さまざまな人権問題の改善が期待できる。

一日でも早く個人通報制度の実現を

 日本は、各条約機関の政府報告書審査で何度も個人通報制度の導入を勧告されてきた。国連人権理事会での普遍的定期的審査(UPR)においても多数の国から導入を勧告されている。
 しかし、日本政府は、条約機関の見解が国内裁判所の判決と異なった場合や法律改正が必要とされた場合にどのように対応するかなど、司法制度や立法政策に与える影響を検討していると毎度回答するにとどまり、一向に導入しない。何年経っても「検討している」という回答から進んでいないのである。
 2022年10月に行われた自由権規約委員会の日本政府報告書審査では、審査の最後に議長から、前回の総括所見で勧告された複数の問題に対する締約国の立場が変わっていないように見えることが残念だとの懸念が表されたが、個人通報制度の導入について進展がないこともこのうちの一つである。議長からは、選択議定書の批准の検討の促進を希望すると述べられた。
 個人通報制度は、人権を侵害された個人が直接条約機関に判断を求めることができるものであるうえ、その存在により司法、行政、社会が変わり、日本の人権状況を国際水準に引き上げるための大きな力となりうるものである。個人通報制度を持たない日本は、いまやその制度があることが当たり前となっている国際社会から大きく遅れをとっている。人権問題解消のため、また人権基準を引き上げるためにも、一日も早く個人通報制度が導入されることが必要である。