人権の潮流
2023年2月6日4時17分(現地時間)、トルコ南東部、シリアとの国境近くのガジアンテプ県を震源とするM7.8巨大地震が発生した。また、その9時間後にもM7.5の余震が起きるなどして、トルコ・シリア両国で死者5万6,000人以上、被災者1,560万人の大災害となった。高層マンションが一瞬にして崩落する衝撃的な映像が流れたこともあり、世界はトルコ・シリアに大きな関心を寄せた。
筆者の所属するCODE海外災害援助市民センターは、1995年の阪神・淡路大震災(M7.2)の際に世界約70の国・地域からご支援をいただいたことで、そのお返しをしようと被災地市民が立ち上げたNGOである。この28年間で世界36の国・地域で66回の救援活動を行ってきた。トルコは、阪神・淡路大震災や東日本大震災でも日本を支援してくれた。
1890年のトルコ(オスマン帝国)特使団のエルトゥールル号が和歌山県沖で座礁した際に串本町の人たちがトルコ人69人を救助したこと、そしてイラン・イラク戦争の最中の1985年、トルコ機がイラン在住日本人215人を救出したことなどは映画にもなっているなど、トルコと日本は支え合いを実践してきた歴史がある。
筆者を含むCODEのスタッフは、今回の地震発災4日後に日本を発ち、ガジアンテプを拠点に激甚地区のカフラマンマラシュやアディヤマン、ヌルダなどの被災地に入った。最低気温がマイナス6度にまで下がる被災地では、建物が倒壊した現場でAFAD(国家緊急事態管理庁)による捜索救助活動が24時間体制で行われていた。そのすぐそばで被災者たちは、わずかな生存の可能性を信じ、たき火を囲んで家族の帰りをじっと待っていた。その輪の中に入れていただいた時、28年前の阪神・淡路大震災の時の記憶と重なった。人はいつもこうしてたき火を囲んで悲しみや痛みを分かち合ってきたんだと紅茶をいただきながら思いにふけった。
筆者たちは、極寒の被災地で衣服などの防寒具やテント、マットなどの救援物資を提供した。そして同時に今後の中長期的な支援のために可能な限り被災者の声に耳を傾けてきた。
被災者一人ひとりが語る言葉からその国や社会の背景が見えてくる。被災者の語った言葉をいくつか紹介する。
倒壊現場でたき火を囲む人たち(カフラマンマラシュ)
ガジアンテプの中学校の授業で「災害から命を守る」講義をする筆者
先日ある街で開催されたNGOネットワークの情報共有会議に招かれた。震災支援にかかわっている参加者からは口々に政府やAFADの対応の遅さ、コーディネート不足や機能不全、被害家屋の危険度判定の甘さなどが報告された。そこで「公平・平等を原則とする政府では必ず取りこぼされる人が出る。だからこそNGOの存在が必要なんだ」と発言させてもらうと、皆大きく頷いていた。参加者の中には「一人ひとりが反省すべきだ」という学生や「過去から学ぶ習慣がない」という方もいた。災害を社会変革のきっかけにすることがここトルコでもまさに始まろうとしていた。
そして今回、仮設住宅に住む被災者たちや災害支援に奔走するNGOの人たちに出会い、その声に耳を傾ける中で「NGOは誰のそばに立つべきなのか」「トルコの市民の視点をどれだけ持つことができるのか」「非政府組織(NGO)は政府とどのように対峙していくのか、非政府=市民の意味を問い続けることこそがNGOである」ことなどを現場で再確認している。
これまで紹介してきたように、CODEは被災者一人ひとりの声に丁寧に向き合い、その言葉から見え隠れする社会背景なども考えながら復興支援を展開している。
現在、トルコの被災地で急ピッチに進むトップダウン復興の中でトルコのNGOが必死にその存在価値を示そうと奔走している。CODEは、そんなNGOたちと連携して仮設住宅の中で母と子どもを対象とした施設建設を検討している。そしてトルコの市民社会の支え合いから多くのことを学んでいる。
(2023年3月30日、トルコ・ガジアンテプにて)