肌で感じたアフリカ
「ブルンジ」という国をどのくらいの人が知っているだろうか。
ブルンジ共和国は、東アフリカの内陸にある、四国の約1.5倍の面積の小国である。在留邦人はたったの10人前後で、あまり日本人にも馴染みがない国だろう。ブルンジは隣国のルワンダと一つの国だった歴史もあり、民族構成もルワンダと全く同じフツ・ツチ・トゥワ、言語もルワンダのキニャルワンダ語と似ているキルンディ語を話す。両国とも1962年ベルギーから独立して以降、フツとツチの争いが長年繰り広げられ、ジェノサイドも発生しているが、国際的な注目・支援を集めたルワンダと異なり、ブルンジでの悲劇は注目を浴びなかった。そういった背景もあり、かつて同じ国だったルワンダとブルンジの発展には現在でも大きな差が見られる。
2015年にはンクルンジザ大統領(当時)の三期目出馬表明に伴う反対派によるクーデター未遂がきっかけで治安が悪化し、多数の難民がタンザニアなどの隣国に逃れるなどの事態が起きたものの、現在治安は落ち着いてきている。しかしながら未だに一人当たりのGDPは307米ドルで、世界最下位の192位(IMF 2023)であるなど、最貧国のままである。
私は、ルワンダでおもにJICA海外協力隊として2年半を過ごした後、学生時代にインターンをしていた認定NPO法人テラ・ルネッサンスの職員として、2017年~2022年の4年半にわたりブルンジに駐在し、同国での活動に取り組んだ。
実際に暮らしてみたブルンジは、これまで抱いていた負のイメージとは異なり、世界で3番目に深いと言われるタンガニーカ湖を筆頭に、自然や文化が豊かなことに加えて人々も穏やかで勤勉な人が多い。街を歩けば、外国人が珍しいのか多くの人に話しかけられ(からかわれることもあるので疲れる時期もあったが)、いつも行く市場では顔見知りのおじさん・おばさんと他愛のない会話を楽しみ、週末の朝には心地よいキリスト教の賛美歌が聞こえてくるなど、ゆっくりとした時間が流れる国であった。もちろん大変なことも多々あったが、駐在を終えた今振り返ると、自身の人生において大切な時間だったと感じている。
ブルンジとコンゴ民主共和国の間にあるタンガニーカ湖。
美味しい魚も獲れ、景観もよく筆者のお気に入りスポット。
私の所属先のテラ・ルネッサンスは、「すべての生命が安心して生活できる社会(世界平和)の実現」を目指して2001年に設立され、現在は主にアジア・アフリカの計9カ国で、主に紛争被害者などの支援に加え、啓発、政策提言を展開している。支援の現場では「一人ひとりに未来をつくる力がある」と信じ、現地の個人と組織の「自立」と「自治」の促進を目的に、すべての個人の可能性を追求することを活動の基本としている。
テラ・ルネッサンスがブルンジでの活動を本格的に始めたのは2014年。開始後すぐに前述のクーデター未遂が起こって政治的に不安定な状況が続いたり、国際NGOの活動停止令、新型コロナウィルスの影響など様々な障壁があったが、現在も活動を継続している。
着任以降、私が主に担当した事業では、1993年からの紛争により家族を失うなどした紛争被害者やストリートチルドレン、シングルマザーを対象とし、彼・彼女らが自らの力で収入を得て生活を良くしていけるよう、職業訓練や収入向上支援を通した自立支援を行った。
職業訓練の内容は、対象者のニーズやマーケットの状況などをもとに選定し、養蜂、窯業、養豚、洋裁、ヘアドレッシングなど、様々な訓練を現地スタッフ指導のもと実施した。加えて、対象者は今日・明日生きることに必死なため、すぐに収入が得られなくとも安心して訓練に参加できるよう、訓練参加率に応じて食料や石鹸などを支援する生活支援を行った。他にも、各対象者の状況に耳を傾けるカウンセリングや、周囲との関係性を強化するコミュニティワーク(注などを通して、ただただ収入を得るための職業訓練に留まらず、包括的に自立支援を行った。
「どうして異国の地でこんなことをしているのか」と、周囲から聞かれることがよくあった。
うまくいかなかったことは数知れず。ブルンジ事務所は1人の日本人駐在員が現地代表を担い、10人前後の現地スタッフと共に活動している。ブルンジではある程度年齢層が上の人が代表をすることが多い中で、現地スタッフよりも年齢が若い女性が代表として政府との交渉を行ってもはじめは相手にしてもらえず、悔しい思いをしたこともあった。権力やお金で物事が動く、理不尽な現実も目の当たりにした。グループでのビジネスを通して誰しもが必要としているお金を生み出す中で、仲たがいが発生することも日常茶飯事。元々「援助団体」と言えば物資をくれるものだと思っている人も多い中で、支援対象者自身が主体となって訓練に参加し、収入を得るためにはテラ・ルネッサンスだけではなく本人の努力も必要とされる中で、いかに主体性を奪いすぎずサポートできるか、日々スタッフと悩んだ。やっとグループで開業して収入が得られるようになった矢先、グループの一員が収入を横領し途中で姿をくらませたまま行方が分からず、どうにもできないこともあった。それでも、日々起こる大小様々なトラブルをチームで解決し、それを繰り返す中で対象者たちが、努力をして学んだ技術から収入を得て、それによって自身や家族に貢献して喜んでいる姿を見ると、本当にやってきて良かったと感じる。
忘れられない光景がいくつもある。
「マユ、こんなのが作れるようになったよ、見て!」と訓練中の対象者たちが、次々に得意げに自分で作った洋服を見せる様子。訓練期間中は中々やんちゃだった子が、しっかりと技術を習得して洋裁店を開業し、近隣住民も雇用して一緒に働く姿。以前は十分に食べることができずほっそりとしていたのに、開業後は自分で稼いだお金で好きなものを食べ、健康的に成長していく姿。訓練修了時の修了式で、わざわざ私の方に来て、「あなたに感謝の気持ちを伝えずに家に帰ることはできない。本当にありがとう」と言ってくれたとき。このように、嬉しい、やってきて良かったと思う瞬間が何度もあった。
支援対象者たちの親になった気分で、彼・彼女たちの成長を見守り、その変化に大変勇気づけられた。事務作業が忙しく事務所にこもりっきりで仕事をしたり、対象者が多く一人ひとりとコミュニケーションを取る時間が十分にないときもあったが、こういった一人ひとりの変化を見ることができたことが、私自身ブルンジで頑張ることができた原動力であった。
テラ・ルネッサンスが掲げるビジョンである「すべての生命が安心して生活できる社会(世界平和)の実現」はとてつもなく大きいように感じるが、こうした一人ひとりの変化が重なることで、ビジョンに一歩ずつ近づくことができるのではないかと思う。
テラ・ルネッサンスが各地で事業を展開する際に大切にしている言葉に、「一人ひとりに未来をつくる力がある」というものがある。たとえどれだけ脆弱な立場に置かれたとしても、何かきっかけがあったり、少しのサポートをすれば、自分の力で未来を切り開くことが十分できるということを、4年半ブルンジで活動する中で、しっかりと自分の目で確認をすることができた。また、あくまで主体は支援対象者一人ひとりで、テラ・ルネッサンス(援助団体)は黒子のような形で対象者の可能性を信じ、対象者に何かきっかけを与えたり、ほんの少しのサポートをする役割を担っているということを学んだ。
現在は後任にブルンジ事業を託し、私はテラ・ルネッサンスで他の役割(おもに助成金に関する業務)を担っているが、ブルンジでの経験を糧とし、これからも、世界平和を実現するために、自分自身にできることをやっていきたいと思っている。
洋裁店を開業した支援対象者(手前左)を訪問し、
現地スタッフと共にビジネスの様子を確認している筆者。
注:
ブルンジでは、地域の発展のために住民が無償で労働力を奉仕する"ibikorwa rusangi(コミュニティワーク)"という文化がある。これをアレンジし、対象者間で互いが抱えている問題を知って、労働力を提供することで助け合えるよう、事業内でも実施した。具体的には屋根瓦の運搬や耕作活動などを実施。