人権の潮流
5月19日から21日、G7広島サミットが開催された。私たち国際NGOは、G7首脳へ政策提言をするC7(Civil=市民7)のメンバーとして、約1年前から広島の市民グループの皆さんとともに貧困や債務問題、気候危機、国際保健、人道支援など幅広いテーマで政策提言書をまとめ、サミット中は広島で活動をした。今回、C7は「核廃絶」に特に力を入れ、被爆者や被爆2、3世の世代も含め多くの市民が参加した。G7に届けようと広島市民がつくった平和の折鶴は、5万羽を超えた。
サミット2日目、ウクライナのゼレンスキー大統領の広島訪問が現地にも知らされると、世界各国からのメディアも、我々市民の間でもこの話題一色となった。
「核廃絶の議論はちゃんとされるんだろうか」
ある広島の方は心配そうに話していた。
G7首脳によるコミュニケ(共同宣言)と合わせ、核軍縮に焦点を当てた「広島ビジョン」はその懸念通りの結果となった。核を保有する米英仏3カ国を含むG7が、被爆地から「核兵器のない世界」へのメッセージを発信する意義はもちろん大きい。また韓国の現役大統領の広島訪問は今回の尹錫悦(ルビ:ユン ソギョ ル)氏が戦後初めてだ。大統領は在日韓国人の被爆者とも面談し、歴史的な意味を持つ機会ともなった。
しかし広島ビジョンには、核軍縮に向けた具体的な目標設定やスケジュールはなく、核兵器禁止条約にも触れられていない。さらに核兵器は「防衛目的のために役割を果たし、侵略を抑止し、戦争や威圧を防止する」と核抑止を正当化する記述は、被爆地の願いに背くと多くの人が疑問視した。
G7のためにカナダから帰国した、被爆者でありノーベル平和賞受賞者でもあるサーロー節子さん(91)は、市民との共同記者会見で「首脳たちは広島まで来て、これだけしか書けないのか。死者にとって大きな罪だ」と厳しく断じた。
核兵器廃絶だけでなく、市民社会が提言し続けてきた課題についても、特段の進展は見られなかった。G7広島サミットの最終日となる21日、広島市青少年センターで私たちC7は記者会見を実施、20日に発表されたG7首脳宣言および関連する声明を含め、G7広島サミットの成果についての評価を発表した。評価は5段階としたが、事務局メンバーの発案で、「晴れ」「曇り時々晴れ」「曇り」「雨」「土砂降り」とした。
「核廃絶」ワーキング・グループ(以下、WG)は、前述の通り首脳宣言は核兵器の廃絶を求めるものになっていないと厳しく評価した。特に、核軍縮に関する声明でロシアによる核の威嚇を非難しつつも、自分たちの核兵器については「防衛目的」また「抑止目的」だといって正当化しているとして、「雨」と評価した。
「気候危機と環境正義」WGは、気候変動の影響を不均衡に受けている脆弱な立場の人々の適応策・損失と損害対策の強化が急務であると提言書で述べている。首脳コミュニケはこの点に触れており、また公正な移行や再生可能エネルギー拡大などの記述もあった。しかし、化石燃料についての記述など、市民社会が求める成果とは遠いものであったとして「曇り」と評価した。
私自身がコーディネーターを務めた「公正な経済への移行」WGは、最も低い「土砂降り」と評価した。首脳コミュニケは、全体として途上国の直面する課題解決より、G7の視点で設定された「経済安全保障」が強調され、文面では「協調」が謳われているものの、実際には世界に分断とブロック化をもたらす危険性をはらんでいる。特に、喫緊の課題である途上国の債務問題については、G20による「共通枠組み」や債務データの正確性向上について、「G20への期待」が述べられるのみで、G7としての具体的コミットはない。経済安全保障については、「市場歪曲行為」「悪意ある行為者」など、中国を想定し、「グローバルサウス」を取り込みながら半導体などの戦略物資・鉱物資源のサプライチェーンを中国から切り離すことが目指されている。しかしこうしたデカップリングは、環境・社会的負荷を特に途上国にさらに強いるものとなる。さらに、ビジネスと人権の分野でも、「国連ビジネスと人権に関する指導原則(UNGPs)」などの国際基準に言及した取組の姿勢が弱くなり、2022年までの人権デューディリジェンスの義務的措置の必要性についても、言及がなくなるなど後退している。
「国際保健」WGは、コロナを超えて新たなパンデミックへの備えを万全に、という触れ込みで、大きな期待とたくさんの人々の努力を背負ってのG7国際保健プロセスだったが、期待外れの結果に終わったと評価した。パンデミックへの備えについては、格差の元凶の一つである知的財産権にG7は手をつけることができず、公正な医薬品アクセスを目指すはずの仕組みが、企業の自発性に依存したものにとどまってしまった。「独占から共有、競争から協力へ」の移行が不可欠だったのだが、広島サミットはせっかくの機会を逃してしまったとして「雨」と評価した。
「人道支援と紛争」WGは、食糧危機を含む人道危機に対して210億ドルの支援表明がなされたことや、教育機会の重要性、教育を後回しにできない基金や国連機関への支援への言及、さらに、仙台枠組みに沿った防災・減災への取組や、先行的行動の強化が含まれたことを評価した。一方、WGが提言してきた課題についての明確なコミットメントがなく、具体性に欠けるものが多いとして、「曇り」と評価した。
「しなやかで開かれた社会」WGは、経済WGと同じく「土砂降り」の評価だった。過去2回のG7で発出されてきた開かれた社会や民主主義に関わる声明が出されなかったこと、G7が求めていた市民が自由に活動できる領域(シビック・スペース)の言及がないことから、世界的に問題視されている縮小する市民社会スペースに対してG7が何も政治的意思を表していないことがその大きな理由だ。さらに国際メディアセンターにおける市民の参画についても不充分で、メディアセンターにあるNGOの活動予定掲示板をも撤去されたことなど、日本政府の市民社会への対応の問題も指摘された。
G7首脳宣言への評価を発表するC7メンバー(5月21日、広島)
各WGからの評価に加え、広島の市民社会による評価もなされたが、結果は「曇り時々晴れ」というものだった。G7サミットが広島で開催されたことには大きな意義があり、各国首脳が平和公園や原爆資料館を訪問したことは率直にうれしく、また日本政府や広島の仲間たちの努力もあった。市民一人ひとりが、世界が抱える問題や多様性を学んだ機会にもなった。しかし、首脳宣言は政治のための政治にしかなっておらず、私たち市民と政府の間に距離感や意識のギャップがあり、何のためにG7サミットを行なっているのか懸念を感じる、との感想が述べられた。
こうした結果からも、私たちは改めてG7の存在を問い直さなければならない。そもそもG7は、1970年代に当時の先進国が集まり、世界の経済・金融情勢や国際通貨制度を議論する場として始まった。国連など国際機関のような条約を基盤とする正統性はない。まさにグローバル・サウスから見れば、G7は債務や貧困問題などを構造的につくりあげてきた側であり、これら国の人々は「勝手に決めるな」とG7を批判し続けてきた。4月に札幌市で開催されたG7気候・エネルギー・環境大臣会合でも、環境NGOはG7の責任と途上国の側に立った「気候正義」を訴えた。
事実、50年前と現在では経済・政治的な力関係は大きく変わっている。G7が世界で占める人口やGDPは減少し、中国、インド、ブラジルなどに追い抜かれつつある。世界はまさに「多極化」にある中、これら新興勢力を含まないG7にはグローバルな課題解決を議論する場としての力がますます弱まっている。
被爆者も市民社会も、広島G7を厳しく見ている。核保有国が核を手放したくないように、G7が築いてきた経済・政治秩序を彼ら自身が省みるのは難しい。これに対して人々の視点から問題提起をしていくことが私たち市民社会の役割である。