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国際人権ひろば No.170(2023年07月発行号)

人権の潮流

奇跡のような勝訴だった。ウガンダLGBTQ女性の裁判勝訴と難民認定を振りかえって

田中 恵子(たなか けいこ)
NPO法人RAFIQ(難民との共生ネットワーク)代表理事

はじめに

 2023年3月15日大阪地方裁判所は、ウガンダのLGBTQ女性の「退去強制令書取消訴訟」と「難民不認定取消訴訟」の勝訴と「法務大臣に難民認定するように義務付ける」判決を言い渡した。3月30日の控訴期限までに国は控訴しなかったので、勝訴が確定した。その後、4月19日に法務大臣の難民認定証を受け取ることが出来た。
 彼女は、2020年3月に難民認定申請を行っており、約3年かかりやっと安心した生活を目指すことが出来るようになった。
 私の団体「RAFIQ」は、2020年3月に大阪入管で彼女に出会い、3年に渡り難民申請手続きとメンタルを含めた生活支援を行ってきた。
 生活支援が必要な理由は、彼女は3年間「仮放免」の状態で、仮放免者は身体拘束をされていないが、「檻のない収容所」状態の為だ。まず就労が出来ない。在留カードがないので、住民登録が出来ない。証明するものがないので携帯電話の契約や銀行カードが作れず、住居を見つけるのもとても大変だった。

奇跡(ミラクル)が重なった

ミラクル①「収容後2週間で出会えた。」
 大阪入管に収容後、約2週間で彼女に面会することが出来た。私たちは月1回面会を行っているが、この1回の時のチャンスがなければ1か月以上遅れてしまう。面会が出来たのは、同国人の女性の面会を行っていたことと、彼女が難民支援協会(JAR)に早めに電話を入れた為だ。JARとRAFIQは連携しており、関西ケースは連絡が来るようになっている。
 最初の支援は、LGBTQであるために隔離されており、他収容者とは会えない状態だった。またその理由も説明されていなかった。
 私たちは、前年も同じケースがあったことから、隔離への抗議と共に一般居室に行けるように「要望書」を提出した。理由の説明もなく、次の週には一般の居室に移動した。

ミラクル②「約2ヶ月で仮放免が出来たこと」
 彼女と何度か面会し「難民の可能性が高い」と判断し、支援対象者となった。その後、「仮放免」の支援を行った。RAFIQの加盟しているFRJ(1は法務省との間に、「空港において庇護を求めたものに対する住居の確保等の事業」(2を行っており、彼女が空港で難民と言っていたことを確認し、この対象者にすることが出来た。仮放免の保証人は私で、住居はRAFIQのシェルターだ。保証金も必要だった。
 仮放免が出来ると、時間制限なく聞くことができ、資料の取り寄せ、出身情報の検索など難民申請の支援は格段に進む。

ミラクル③「素晴らしい弁護士2名が受任してくれた事」
 早急に弁護士を見つける必要があると思ったが、難民を担当している知り合いの弁護士はたくさん兼任していてとても忙しいそうで申し訳なく思っていた。
 関東弁護士会が「6月20日世界難民の日記念 入管・難民法律相談会」を行っている。弁護士受任の相談も受け付け、都道府県の弁護士会に紹介していただける取り組みがある。これまでにも利用させていただいていたが、ここに相談したところ、大阪の2人の弁護士が受任してくださった。
 この2人は、RAFIQとは始めの方でしたが精力的に彼女の問題に取り組んでくださった。この2人に出会えたことで、難民申請手続きの支援が進んだ。

ミラクル④「RAFIQの法的支援の体制が整い始めていた事」
 RAFIQは市民の団体だが、数年前から法的支援の体制を作りメンバー2~3人が一人の難民を担当し、信頼関係を強化しながら難民申請手続きの支援を行い始めていた。今回もこのメンバーたちが通訳や翻訳、出身国情報、聞き取り等を行い弁護士のサポートを行う事が出来た。

ミラクル⑤「裁判官が誠実な人であったこと」
 難民裁判は残念ながら裁判官に左右された結果が出ている。担当された裁判官は誠実な方のようだった。コロナ禍で裁判が行われたが、私たちは毎回傍聴を呼びかけたくさんの方が傍聴していた。その様子を見てか、裁判時の説明がどんどん分かり易くなり、説明時間も長くなってきた。こちらの準備書面の内容もしっかり検討されていたようだった。

ミラクル⑥「彼女が最後まであきらめなかった事」
 最初の頃の彼女は、泣いてばかりでとても「か弱い」感じだった。質問した事のみに答えていた。難民不認定の決定や、審査請求の棄却を聞くととても落ち込んでおり、どのように「なぐさめて」いいものか、こちらの方が戸惑っていた。しかし、裁判が進むにつれ、自分の事態と日本の裁判制度を理解してくれた。
 この間、RAFIQも彼女の気持ちを支える様々な生活支援を行った。その結果、10時半から15時までかかった「本人尋問」では自分の言葉でしっかり質問に答えることが出来た。
 それでも、判決の前は1週間ほど不安で寝ていないと言っていた。裁判後の記者会見では「いつも震えていた」と答えていた。彼女の気持ちを考えるとこの3年間はとても大変だったと想像できる。


no170_p12-13_img1.jpg勝訴が確定した日、大阪入管前での原告と弁護士とRAFIQ担当者

彼女の難民認定までの過程で日本の難民問題が明らかになった

 彼女が難民認定されなかった問題は、日本の難民問題の課題の多くが含まれている。箇条書きで項目を挙げる。

  • 空港で「難民」と言ったが「怪しい外国人」は入管職員が収容できるという全件収容主義で収容された。
  • 空港で難民申請が出来なかった。
  • インタビューは、母語のルガンダ語ではなく、公用語の英語でおこなわれた。
  • インタビューは、代理人の同席が不可。可視化も行われていない。
  • 3月に難民認定申請を行ったが、1か月で不認定になった。(収容中で資料を提出できなかった)
  • 審査請求が不実施で、終結通知(異議申し立ても不認定)が出された。
  • 弁護士が資料を提出し、審査請求の再開を申請したが、実施されなかった。
  • 母国の状況を考えると2度目の「難民申請」を行うしかなかった。
  • 裁判で「勝訴」しても認定するのは法務大臣なので時間がかかった。難民認定までは在留資格がなく就労も不可である。(前例で最短2ヶ月と聞いたのでオンライン署名(3を開始した。)
  • 裁判の論点としては、「国からの迫害」と「地域住民からの迫害」を主張した。勝訴したが、「地域住民からの迫害」は認められなかった。LGBTQ難民は、親族も含めた地域住民からの「迫害」を怖がっている。
  • これらの事を就労不可という不安定な経済状況の中で行わなければならない。RAFIQは支援物資等で支援したが、生活費は難民事業本部(RHQ)(4からの給付金を申請し受給を受けた。

 しかし、受給対象は「難民申請中」又は再申請の時は「難民不認定取消し訴訟中」のみだ。申請してもすぐには受給されない。その為、審査請求が棄却されたその日にストップした。また、訴訟に勝訴した3月15日にストップした。
 今回の難民認定は、それぞれのところの難民支援の取り組みのネットワーク等が良い方向で連携出来たことによる奇跡のような認定と思っている。
 6月9日に「入管法改正案」が可決成立した。この女性が裁判で勝訴していなかったらどうなるのか考えてみた。2回目の難民認定申請を行っており確実に送還対象者になる。彼女が送還を拒否した時の選択肢は2つになる。一つは、「送還忌避罪」が適用され刑務所に収監される。もう一つは、強制送還される。ウガンダでは、3月に世界最悪とされる「反LGBTQ法」が議会で可決し、5月29日に大統領が署名し成立した。このような国にも送還が可能になったのである。
 これからも彼らの命と人生に関わることの重みを感じながら、ひとり一人の難民に寄り添った確実な支援を続けていく思いを強くしている。

RAFIQ(在日難民との共生ネットワーク)ウェブサイト: http://rafiq.jp./


2020年 2月末 入国、関空で収容
関空入管~大阪入管へ
3月4日 難民認定申請
3月10日 初めての面会
4月2日 不認定
4月8日 審査請求
同日、退去強制令書発布(送還可能に)
4月20日 仮放免
8月 口頭審理不実施通知
同日、(難民)手続き終結通知
10月 退去強制令書取消訴訟
12月 審査請求棄却(難民不認定確定)
2021年 6月 難民不認定取消し訴訟
2023年 3月15日 裁判勝訴 → 3月30日 勝訴確定
4月19日 難民認定


1:「なんみんフォーラム」FRJ:http://frj.or.jp/

2:「空港において庇護を求めたものに対する住居の確保等の事業」http://frj.or.jp/news/news-category/form-frj/3788/

3:オンライン署名:https://www.change.org/uganda_nanmin

4:難民事業本部(RHQ):https://www.rhq.gr.jp/
  難民認定申請者に対しての給付金 1日1,600円 家賃最高4万円(4月から6万円に)