特集:ビジネスと人権の現在地
国連ビジネスと人権作業部会が主催し、2023年11月27日から29日に開催された第12回国連ビジネスと人権フォーラムに参加する機会を得た。本フォーラムは、国連「ビジネスと人権に関する指導原則」(以下、指導原則)に沿った人権への負の影響の予防・軽減、救済の実践を広めることを目指すもので、政府・国際機関・企業・労働組合・市民社会・弁護士・アカデミア等のマルチステークホルダーが参加して、国際的または地域的枠組み、国や産業界、個々の企業、市民社会や市民一人ひとりのそれぞれのレベルでの取り組みを議論する場となっており、毎年11月の最終週に開催されている。以下、主要な論点を紹介したい。
2023年のフォーラムのテーマは、「人権保護義務・人権尊重責任・救済の実践における効果的な変化に向けて」とされ、指導原則に沿って国や企業が人権への負の影響に対応することで起きた変化を捉え、そうした変化がライツホルダー(権利保持者)の救済につながる有効なものであったか、どのような対応がさらに必要なのかを検証することが目的となっていた。
2022年に続き、対面とオンラインのハイブリット形式で開催され、初めて英語の手話通訳と字幕表示が一部で導入された。144カ国から3,993名が参加登録し、その内訳を見ると、企業32%、市民社会組織30%、アカデミア12%、各国政府8%、国連機関6%、国内人権機関3%、先住民の人々2%と発表された。企業と市民社会組織の内訳は例年と変わらず、企業の参加はオンラインが多かったようである。
企業の参加者の中では、コンサルティング会社や弁護士事務所等、企業の取り組みを支援する組織が増えている印象があった。企業が指導原則に沿った対応を実践する際に、国際人権基準等に関する専門的な知見を持つこうした組織の支援を得るニーズが高まっていることが背景にあると考えられるが、事業を通じた人権への負の影響を予防・軽減するための人権デュー・ディリジェンスを実践している企業自身の声があまり聞こえてこなかったのが残念であった。
2023年のフォーラムは、開会・閉会、世界人権宣言75周年記念セッションを含む3つの全体セッションと36の個別セッションで構成された。個別セッションでは、地域(アジア・太平洋、アフリカ、中東・北アフリカ、ラテンアメリカ・カリブ地域、中央・東ヨーロッパ、西ヨーロッパ)、ライツホルダー(障害者、女性、性的マイノリティ、移住労働者、先住民の人々、人権擁護者、子ども、ユース)、人権課題(ジェンダー、人身取引・現代奴隷、人種差別、環境・気候変動、サプライチェーン・公共調達、テクノロジー・AI)、セクター(採掘、製薬、金融、広告)ごとにテーマが設けられ、議論がなされた。障害者の権利についてはこれまでのフォーラムでも取り上げられていたが、採用・雇用、職場環境等における障害者の権利を取り上げたセッションが初めて設けられた。
多くのセッションで企業の事業活動によって影響を受けているライツホルダーやそうした人々の視点に立つ市民社会組織や労働組合が登壇し、被害を訴え、是正・救済を求めた。こうした人権侵害が社会的な構造によって生み出されていることから、既存のシステムからの転換が必要であることが指摘された。一方で、文化や制度に深く根ざしている構造的な問題に企業だけで対処するには限界があり、ライツホルダーを含めたマルチステークホルダーとのパートナーシップの下で取り組んでいくことの重要性が強調された。また、人権保障システムを機能させていくには、国の人権保護義務の履行が前提となることが確認された。
しかしながら、人権侵害を生み出す構造や人権保障システムについての専門的な議論が進められることで、実際に影響を受けているライツホルダーが十分に議論に参加できない場面があった。また、大企業の取り組みを中心とした議論では、中小企業が取り残されることが懸念された。
世界人権宣言の採択から75年となる2023年のフォーラムの開会セッションでは、フォルカー・トゥルク国連人権高等弁務官が登壇し、世界人権宣言が2つの世界大戦とホロコーストによる破壊と苦しみに対して、文化や歴史を超えた普遍的な価値である「人権」を明確にし、社会の進歩に大きな役割を果たしてきたと述べた。一方で、気候危機やAI(人工知能)による脅威、地政学的な緊張や紛争によって、世界が再び分岐点に立っていることを指摘した。
75周年を記念する全体セッションでは、ナダ・アルナシフ人権副高等弁務官が、世界人権宣言は世界が直面するさまざまな課題に対する強力な羅針盤ではあるものの、そこに掲げられた人権の実現にはまだ程遠いと述べた。パネリストからは、世界人権宣言を基盤とする指導原則の考え方は国や企業に理解されつつあるといえるが、実践は追いついておらず、法規制も不十分であることが指摘された。また、世界が直面している気候変動やテクノロジーと人権といった新しい課題への対応においても指導原則は適用可能であることが確認された。
2023年のフォーラムでは、環境・気候変動と人権が中核的なテーマの一つとなった。開会セッションでは、環境分野のノーベル賞といわれるゴールドマン環境賞を2021年に受賞した、Climate Integrate代表理事の平田仁子氏が登壇し、社会的に脆弱な立場に置かれている人々が気候変動に伴う異常気象や災害によって深刻な被害を受けているにもかかわらず、先進国のCO2排出量は依然として多く、企業の責任が十分に問われていないと指摘した。
環境・気候変動と人権をテーマとしたセッションでは、チリやボリビアにおける水力発電のためのダム開発や、インドネシアにおける脱炭素技術に不可欠な鉱物であるニッケルの鉱山開発といった、脱炭素社会への移行に伴う再生可能エネルギーへの転換によって影響を受けるライツホルダーの声が多く聞かれた。また、2022年の国連環境総会で合意された国際的なプラスチック規制条約の2025年までの締結に向けて、企業によるプラスチック原料・製品に含まれる化学物質の情報開示や、製造から利用、廃棄までのライフサイクルにおける人権デュー・ディリジェンスの実施を規制に含む必要性が議論された。
清潔で健康的かつ持続可能な環境への権利に関する国連特別報告者であるデイビッド・ボイド氏は、気候危機が脆弱な立場に置かれやすい人々の脆弱性をさらに高めていることを指摘し、環境への権利を軸に構造的な問題に対処すること、企業や投資家による短期的な利益の追求を見直すことを求めた。
移住労働者の権利をテーマとした2つのセッションでは、アジアやラテンアメリカといった移住労働者の送り出し国、欧州や日本といった受け入れ国の課題が議論された。移住労働者の多くが就労のために多額の斡旋料を仲介業者に支払い、債務を抱えて出国していることが指摘された。また、違法な雇用契約も多く、在留資格がない場合、受け入れ国では十分な法的保護を受けられず、救済へのアクセスも確保されていないという実態があり、そうした状況には地域差がないことが確認された。送り出し国と受け入れ国の連携による移住労働者の保護が重要であり、受け入れ国では在留資格にかかわらず労働者が保護されるよう、入国管理と分けて雇用・労働の問題に対応するべきであるという指摘があった。
アジアの移住労働者の問題として、本フォーラムで初めて日本の外国人技能実習制度の問題が取り上げられ、保護を求める中国やベトナム、カンボジア等からの技能実習生を支援している岐阜一般労働組合の甄凯氏が登壇した。また、技能実習生を含む外国人労働者に日本での生活や就労に関する情報を発信し、相談窓口を提供する「責任ある外国人労働者受入れプラットフォーム(JP-MIRAI)」による取り組みが官民連携で進められていることがJICA(国際協力機構)によって紹介された。