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国際人権ひろば No.175(2024年05月発行号)

人として♥人とともに

「損失と損害」基金へのジェンダー主流化

三輪 敦子(みわ あつこ)
ヒューライツ大阪所長

 2023年は日本も過酷な夏の暑さを経験しましたが、この年の世界の平均気温は産業革命前と比較して1.38度の上昇を記録しました。地球温暖化が気候変動、そして気候危機と名前を変え、深刻さの認識が深まりはしても、解決への道筋は全く見えていません。国連気候変動枠組条約が毎年開催する締約国会議(COP)では、国際機関や各国政府が脱炭素への決意を表明しますが、公約を具体的かつ実質的に実現するための取り組みは十分ではありません。

 そのような状況を変えるための方策として期待されているのが「損失と損害」基金(Loss and Damage Fund)です。「損失と損害」基金は、2022年のCOP27で創設が決まり、2023年のCOP28で運用に向けた合意がなされました。気候危機への対応は、温室効果ガスの削減等により現状に対応する「緩和(mitigation)」、緩和策だけでは避けられない事態を想定し対応策を推進する「適応(adaptation)」、そして「適応」策でも対応が困難な状況を踏まえた「損失と損害(Loss and Damage)」の3側面が重要と考えられています。

 日本も毎年のように激甚災害に見舞われ、社会、経済インフラが深刻な被害を受け、そして人の命が奪われていますが、世界の被害も深刻です。パキスタンは、2022年に国土の3分の1が水没する大洪水に見舞われました。ソマリアやケニアは、過去最悪と言われる干ばつに襲われています。小島嶼(しょうとうしょ)開発途上国(Small Island Developing Countries:SIDS)と呼ばれる大洋州を始めとする国々は、海面上昇により地域社会や生計手段喪失の危機にさらされています。

 2021年のCOP26では、開会式に大洋州やアフリカの国々のユース女性が次々に登壇し、「海面上昇により先祖代々の土地が失われつつある。生活の見通しが立たない」「このままでは子どもを産むことなど考えられない」と窮状を訴えました。財政基盤が脆弱な「途上国」と呼ばれる国々にとっては特に「損失と損害」に対応するのは容易なことではありません。

 「損失と損害」基金は、こうした状況を踏まえて創設されることになります。基金に対しては「先進国」の貢献が決定的に重要です。日本政府は1,000万ドルの拠出を表明しましたが、ドイツとアラブ首長国連邦の1億ドル、英国の5,100万ドル、米国の1,750万ドルと比較しても、さらなる貢献が望まれます。2023年12月段階で総額7億2,500万ドルの拠出表明がおこなわれたと報道されていますが、アムネスティ・インターナショナルを始めとする国際NGOは、必要な金額には遠く及ばないと批判しています。加えて、意思表明が実際の拠出に結びつくよう注視する必要もあります。また、これまでの基金の議論のプロセスでは人権への言及はありません。

 基金の運用にあたっては、気候危機の影響を不均等に受けるにもかかわらず、意思決定から取り残されてきた女性の声に耳を傾けて支援を決定する必要があります。「途上国」と呼ばれる国の多くでは、毎日の生活で使う水や燃料(薪)を確保するのは女性の仕事です。家族が食べる食料の生産が女性の責任である場所もたくさんあります。気候危機による環境の悪化で、これまでより長い距離を歩かないと水や燃料が手に入らない場所が増えています。女性が1日2,3時間以上を水くみに費やす地域も少なくありません。こうした状況は女性の過重労働につながり、健康を損なうケースもあります。子ども、特に少女が母親を手伝う場合には、少女の就学機会喪失に結びつきます。

 国際NGO、オックスファムは、「アジアにおける損失と損害のジェンダー側面」という冊子のなかで、女性は有償、無償のケア労働の多くを担っているため、気候災害後に新しい場所に移住するという選択が男性に比べて容易ではないなど、女性と男性で影響には差異があることに目を向けるべきであると述べています。こうした影響は、障害女性、先住民族女性、低所得層の女性には、さらに顕著に表れます。複数のアイデンティティが重なりあうことにより交差的・複合的な差別と不平等を経験している女性の声を丁寧に聞くことの大切さが関係者に理解され実行される必要があります。

 SIDSを始め、CO2をほとんど排出してこなかった国々が気候危機により甚大な影響を被っているという事実を踏まえ、気候正義という観点が強調されるようになっています。世界第5位のCO2排出国(2020年)であり、化石燃料に支えられて繁栄を謳歌してきた日本には、現在の気候危機の解決に応分の貢献をする必要があります。それは日本を含む世界と地球の未来をつくり、地球上に生きる人たちの人権を守るための責任です。


参考:

Oxfam International(2023)"Briefing Paper: Gendered Dimensions of Loss and Damage in Asia": https://policy-practice.oxfam.org/resources/gendered-dimensions-of-loss-and-damage-in-asia-621556/