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国際人権ひろば No.175(2024年05月発行号)

特集:公共から排除されるもの

奪われゆく都市に抗うベルリンにおけるジェントリフィケーションと抵抗

金津 まさのり(かなづ まさのり)
ベルリン在住、野宿者支援グループ Kalteschutz im Mehringhof
(ケルテシュッツ・イム・メーリンホフ)などで活動

 ベルリンに移住してきて5年になる。いち住民として見聞きした範囲になるが、表題について報告させてもらいたい。移住後まず遭遇したのは、払える範囲の家賃で住める部屋が見つからないという問題だった。最初は短期契約の又貸し物件に住み、大手の賃貸情報サイトで手当り次第に応募を開始したものの、当初無職だったこともあってか何の反応もないこともしばしばだった。職を見つけて働きだしてからは内覧にはたどりつけることが多くなったが、結局部屋が決まったのはほぼ1年後だった。こうした状況の中で家賃高騰反対デモに参加したり、また社会運動のなかで住宅・ジェントリフィケーションの問題が大きな課題になっていることに気づいていった。

高い家賃を払うということの政治性

 引っ越し後、近所を散策していて心に刺さったのは、路上で見た「どうか高い家賃を払わないで」と書かれた住宅問題に関するポスターだった。私たちが住んでいるのはノイケルン地区の旧空港跡地(Tempelhofer Feld)近くだが、かつては寂れた地区だったと聞く。現在は非常に人気のある街となり、2008年に空港が閉鎖されたことが拍車をかけている。高価なレストランやカフェが増えていく一方で昔から営業していた商店は家賃高騰によりどんどん消えていっている。ちなみに同空港跡地の再開発計画は住民運動で阻止され、市民農園等もある広大な公園として憩いの場となっているが、現在また一部を商業・住宅地区に転換しようとする計画が持ち上がっている。

 ベルリン全体に共通することとして、大半のアパートは住人が退去するタイミングでリノベーションを繰り返し、家賃を大幅に上乗せする。所有者使用(Eigenbedarf)を口実にして追い出しされるケースも多い。所有者やその親族が住むということにすれば一定の条件下で立ち退きさせることが可能になるのだが、実際は賃料を上げるのが目的というわけである。リノベーション後に値上げされた家賃を払えるのはごく一部の層にすぎず、多くの人たちは家族が増えるなどで引っ越ししなければならなくなったとき、郊外に転居せざるをえなくなる。常時明かりが消えているような家もあり、投資目的で保有しているが居住はしていなかったり、Airbnbなど営利目的の住宅の場合も多い。このようにしてアッパーミドルクラス以上のみが住める地域になり、街から多様性が失われていく。引っ越し直後からジェントリフィケーションに自らが加担していることを痛感させられ、せめてそれに抗する運動にはなんらかのかたちで関与していかねばとの思いをもった。

資本主義に圧迫される自治空間たち

 2011年から2017年までベルリンの平均年間家賃は6,840ユーロから11,520ユーロと68%も上昇した(ユーロ/円の年平均レートは2011年:111.06円、2017年:126.70円)。それでもミュンヘンなど他の大都市に比べるとやや安い水準であり、ロンドンなど西ヨーロッパの他の大都市と比べればさらに安い。こうした状況がさらなる不動産市場への投機を生んでいるのだが、そこにはベルリンが1989年まで東西に分断された都市であり、再開発がスタートしたのはそれ以降の比較的近年であるという独特の経緯がある。冷戦下で周囲を東ドイツに囲まれた西ベルリンでは労働力が不足したこともあり、現在人気のある地区であるクロイツベルクやノイケルンは当時はトルコなどからの移民労働者も多く居住する労働者階級の街だった。老朽化して放置された空き住居も多く、それらを占拠(スクウォット)する運動の波が数回に渡り起きた。またベルリンの壁崩壊後は混乱のなかで東ベルリンにおけるスクウォットも盛んとなった。スクウォットは新しい生活様式を実験し各種の政治・文化活動が活発に行われる自治空間であり、西ベルリンでは1980年代初頭のピーク時には170軒が占拠され5000人が住んでいたという。これら多数の自治空間を抱える地区は東西ドイツ再統一により突如として統一ドイツの首都の中心に位置することになり、以後激しい再開発の圧力にさらされることとなる。所有の権利そのものを問う運動であったスクウォット運動であるが、行政からの圧力もありほとんどが排除されるか、賃貸契約を結び合法化していく。合法化ののちも「ハウスプロジェクト」として地域に対し重要な役割を果たしてきている場所もまだ多く残っているが、契約更新を拒否され追い出される例もある。一例をあげるとコロナ禍のなか、クィアフェミニストハウスプロジェクトのLiebig34やKOPI Wagenplatz(テント村)、わが家の近所ではスクウォット由来ではないが80年代からの歴史ある左派バーSyndikatなどが強制排除された。いずれも多くの支援者が集まり排除に抗議した。追い出し後も物件は使用されるわけではなく放置されているケースが多く、投機目的の排除であることが伺える。

弱者を周辺に追いやる都市

 ジェントリフィケーションとレイシズムの関連も切り離せない。ベルリン住民は23%が外国籍であり、移民背景をもつドイツ国籍市民も多い。中心部に住む貧しい非白人の人々は住宅追い出しの圧力に加えて、警察によるレイシャルプロファイリングなどの暴力に日常的にさらされている。2022~23年にはクロイツベルクセンター内への警察署建設に対して抗議運動が起きた。コトブッサートーア地区を象徴する住宅・文化施設・商店が入居する歴史ある建物であり、その真ん中に武装した警官が日常的に出入りし監視を行うことに対して怒りの声があげられた。さらにアフリカ系移民の人々が多く集うゲルリッツァー公園ではドラッグ売買等を理由にして公園の夜間封鎖が現在計画されている。また2023年10月のガザ攻撃開始以降はノイケルン地区のアラブ街であるゾンネンアレーで「反ユダヤ主義」取り締まりの名の下にパレスチナ連帯運動をターゲットとした戒厳令同様の警察巡回・検問がたびたび行われている。


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2023年メーデーにて。ギファイ・ベルリン市長(SPD、社会民主党)の写真に
「家賃が高いって?じゃあ分譲マンションを買いなよ!」と皮肉を述べさせている。


 野宿者が置かれている状況についても述べておきたい。ドイツの他都市に比べてもベルリンの野宿者は多い。2020年の調査では路上生活者もしくは一時宿泊施設にいる人は2000人であり、さらに広義での家がない人は数万人とされる。私が2022年冬から参加している野宿者支援グループ、ケルテシュッツ・イム・メーリンホフでは冬期に毎週1回宿泊場所と食事を提供している。生活保護に類する制度や家賃補助(Burgergeld,WBS)はあるものの、いちど住居を失うとふたたびアパートに住むまでにはいくつものハードルがあり容易ではない。ドラッグの問題なども日本より深刻なのだが、警察や警備員による駅などの居場所からの追い散らしも激しく、当事者から話を聞くと警察などとのやりとりで精神的ダメージを負っている人が多いことに驚かされる。

やり返す取り組み

 最後に対抗の取り組みについても触れる。2020年には家賃高騰に対する運動の高まりに応じて左派連立市政が家賃上限制(Mietendeckel)を導入し一定期間家賃が大幅に値下げされた。しかし翌年最高裁が差し止めを命じ残念ながら中断された。2021年には住民投票運動の結果、3000件以上の物件を保有する大規模不動産保有会社から住宅を最低価格で強制的に買い上げて公有化することが59%の賛成で可決されるという画期的な成果があった。これらの企業が近年公営住宅の民営化に乗じるなどして多数の住宅を所有し、巨利を上げてきたことへの批判が背景にある。しかしその後、具体的に進んではおらず、現在の中道連立市政のもと先行きは不透明である。さらに最近身近で起きた事例としては2023年、住宅を転売され家賃値上げ・立ち退きの危機にあったノイケルンのアパート(Weichsel52)の住民たちが自治会を結成し、先行買取権(Vorkaufsrecht)適用をベルリン市議会に働きかけ可決させ、売却を阻止し行政からの補助金を利用しての共同住宅化を達成した。政治レベルでは状況は厳しいもののこのような草の根の取り組みは多数あり、今後どのような抵抗が繰り広げられていくか注目するとともに微力ながら関わっていきたいと思っている。


<参考文献>