MENU

ヒューライツ大阪は
国際人権情報の
交流ハブをめざします

  1. TOP
  2. 資料館
  3. 国際人権ひろば
  4. 国際人権ひろば No.175(2024年05月発行号)
  5. 大学キャンパスにおける表現の自由

国際人権ひろば サイト内検索

 

Powered by Google


国際人権ひろば Archives


国際人権ひろば No.175(2024年05月発行号)

特集:公共から排除されるもの

大学キャンパスにおける表現の自由

髙山 佳奈子(たかやま かなこ)
京都大学教授、京都大学職員組合副委員長

京大タテカン撤去の実態

 京都大学では長年、キャンパス周辺の「タテカン文化」が伝統かつ観光資源になっており、学生団体によるタテカンのほか、教員の出す学会や公開シンポジウムの掲示も、大学関係者にとどまらず来訪者や地域住民にとって重要な情報発信となっていた。筆者の所属する京都大学職員組合も、遅くとも1960年からタテカンの掲示を続けてきた。現在、吉田キャンパスを囲んでいる石垣は、タテカンを安全に掲示することができるように整備されたものである。

 ところが、2018年5月13日には学生らのタテカンとともに、また2020年6月16日には単独で、職員組合の掲示ボードが大学により強制撤去された。この措置は当初、「京都市屋外広告物等に関する条例」に基づく京都市の指示を受けたものだと思われていたが、現在、そうではなく、実態は大学による検閲と弾圧であった疑いが強まっている。

 当初2017年11月14日に京都大学施設担当の佐藤直樹理事名で、京都市条例の遵守を求める「キャンパス周辺への立て看板等の設置について」という通知が出され、同年12月19日に達示「京都大学立看板規程」が出された。また強制撤去後の団体交渉では京大総務担当森田正信理事が、強制撤去の理由は京都市条例であるかのような説明を行っていた。仮にこのこの説明が正しかったとしても、もともと京都市条例は、商業広告によって歴史的景観が隠されてしまうことを防ぐ趣旨で制定されている。憲法で保障された表現の自由や営業の自由を制限するには、他の人権を守る必要性(公共の福祉)がなければならない。広告物の内容が気にくわないという理由で排除することはできない。京大のキャンパス周辺のタテカンを撤去しても、何の歴史的景観も現れないから、条例がこのような場所についてまで表現を規制するとすれば憲法違反である。

 ところが、京都市および京都大学に対する情報開示請求の過程で、京都市と京都大学との間の当初の協議では、京都市屋外広告物条例が援用されていなかったことがわかった。実際、2018年5月13日には、キャンパス外周ではなく、敷地内部に立ち入った場所にあった職員組合の掲示ボードまでが強制撤去されていた。2023年10月26日に筆者が京都大学施設部に対し、京都市のいう「屋外広告物合計面積の制限は、京都大学立看板規程および京都大学立看板規程実施要領では全く考慮されていないという理解で合っていますでしょうか?」という質問を送ったところ、同11月2日に施設部は、「京都大学立看板規程と京都大学立看板規程実施要領は、いずれも本学敷地内における立看板の設置の適正化を目的として、制定・運用しているものです」と回答し、京大立看板規程は条例と関係がないことを認めた。要するに検閲だったのだ。

 だが、何しろ十数回にわたり実施された京都市と京都大学との間の協議の記録は、情報開示請求をしても内容部分がすべて「黒塗り」のため、撤去の本当の理由は今のところ不明である。黒塗りに対して、職員組合はさらに異議申立の行政手続を開始しているが、おそらく学生団体への弾圧が書かれているのだろう。


no175_p8-9.jpg

(上)職員組合のタテカン
(下)大学によって強制撤去された後


京都市条例による表現規制の違憲性

 このように、京大で起きたことは、タテカンを撤去して「垣根の景観」を守る、といった性質のものではなかった。学生のタテカンが美しくないから撤去されたわけではない。学会やシンポジウムのタテカンまで出せないようにすることは、京都の景観を害し、利用者の社会的階層の高さを目指す「ジェントリフィケーション」にも反するだろう。したがって本特集の文脈でいえば、見た目が問題であったかのような誤解を防ぐ必要がある。京大は、長年認めてきた労働組合や学生の表現の自由を突如はく奪しただけで、京都らしい景観の保護には何の関心もないのだ。

 もっとも、2021年春に京都大学職員は、タテカン強制撤去が違法であるとして、京都市と京都大学法人に対する民事訴訟を提起しており、その中では、当初口実とされた京都市条例またはその適用が憲法違反であるという主張もしている。原告側の主張は大きく分けて「労働者の権利」と「表現の自由」という2つの基本的人権を論拠にしている。

 裁判で一応争点になっている京都市条例は、京都の歴史的景観を守るという目的において正当だが、これにそぐわない規制方法を含んでいるため、違憲の問題を含む。まず、歴史的建造物など保護されるべき景観のない場所で屋外広告物を規制することは目的との関係で無意味だから憲法違反である。学術・教育活動のタテカンまで出せなくなったことは大学の街たる京都の景観を損なっている。筆者は定例の学術活動に基づき毎年公開シンポジウムのタテカンを百万遍門に出していたが、出せなくなってから来場者が減った。これは教育・研究活動への直接的な打撃である。そもそも京大では学生団体によるものも含んでタテカン文化自体が歴史的観光資源となっていたのだから、それを規制すれば条例の趣旨に真っ向から反することになる。

 次に、垣根の景観を守るのだとしても、掲示物の面積制限の決め方がおかしい。屋外広告物規制は、景観を守る利益と、その他の自由との間のバランスを取らなければならないため、原則として掲示をゼロにすることはできず、面積制限を行うことになる。京大吉田キャンパスに面する今出川通北側には、1区画あたり15平方メートルまでの商業広告が出せることになっており、それに従って看板が出ている。ところが南側の京大は一度に見渡せないほどの「区画」が続き、全く何の看板も出せていない。景観を問題とするなら、地面を通行する歩行者や乗り物から見える範囲が基準となるはずで、「距離〇メートルにつき△平方メートル」のような形になっていなければならない。現在の規制方法は事実上大学を狙い撃ちする内容になっている。

労働者の権利のはく奪

 京大法人が強制撤去の直接の根拠としているのが京都大学立看板規程だが、その1条は「立看板の取扱いは、京都大学(......)又は部局が設置するもの(......)を除き、この規程による」、2条1項は「立看板の設置は、京都大学学内団体規程(......)により総長が承認した団体が行うものに限る」となっているから、適用対象は学生団体である。労働組合は総長の承認団体ではないから該当しない。組合はこの規程が作られるにあたって何の説明も受けておらず、意見聴取の機会も与えられず、規程ができた後にも現在に至るまでその通知を受けていない。

 しかし2度目の撤去後に組合が大学法人に申し入れた団体交渉の場において、大学側は、組合の掲示ボードの設置が労使慣行として確立していたことを明言している。明言しようがしまいがこれは数十年にわたる公知の事実である。それにもかかわらず問答無用で一方的に撤去が行われたことは労働者の権利の侵害である。

京大吉田寮スラップ訴訟との共通性

 京大のタテカン撤去は、何らの口実すらない検閲そのものであると述べた。労働組合の裁判はまだ第一審の口頭弁論が続いているところ、タテカン撤去と同時期に起きた、京大吉田寮からの学生排除の動きについては、2024年2月16日に京都地裁が、大部分の居住者について大学側の訴えを斥ける判決を下した。こちらは事件が控訴審に係属している。原告・被告が逆になっているが、学生・教職員の団体と大学法人とが合意によって運営してきたことが大学によって一方的に反故にされた点で、両事件は共通する。いわゆるスラップ訴訟(strategic lawsuit against public participation)とは、元は名誉毀損だとの言いがかりをつけ表現活動を弾圧する裁判をいうが、それまで認めてきた学生の自治を奪い黙らせようとする吉田寮裁判は広義でこれにあたると考えられる。

 この間、文教関係閣僚のほとんどが旧統一教会に関係していたことが判明しており、背景に何があったのかについて疑念が深まるばかりだが、時間はかかっても、行政手続と裁判を通じてすべて解明していきたい。