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国際人権ひろば No.176(2024年07月発行号)

特集:原子力発電所事故から13年

福島から母子避難を決断して-13年後のいま-

森松 明希子(もりまつ あきこ)
東日本大震災避難者の会 Thanks&Dream(サンドリ)代表

 私は福島原発事故の放射線被ばくから免れ自らの命と健康を享受するため、13年間、郡山市から大阪市に子ども二人とともに国内避難を続けています。いわゆる「母子避難」で、2011年3月11日(3.11)当時0歳と3歳だった子どもたちは13年間、父親とは福島と大阪とで離れ離れで暮らしています。避難元は放射能汚染があっても強制避難区域に指定されずいわゆる「自主避難」区域とされたため、政府からの保護も救済もほとんどなく、「自力避難」を強いられています。避難費用なども自力で捻出しなければならないため、家族を分散させての避難を続けています。0歳だった娘は、父親と一緒に暮らした記憶がありません。幼児期、月に1度しか会えない父親との別れのたびに号泣していた2人の子どもたちですが、13歳と16歳になった現在は、"なぜ、避難しているのか"十分に理解しています。子どもたちは13年間、福島県が実施している18歳未満の子どもたちが2年に1度受診することができる「県民健康調査」で甲状腺エコー検査を受け続けています。


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郡山市にとどまる夫(子どもたちの父)と大阪市で避難生活を続ける娘
=映画「決断 運命を変えた3・11母子避難」から ©ミルフィルム

 原発事故は終わっていない

 原子力緊急事態宣言が3.11に発令されて以来、その宣言が解除されたことは一度もありません。でも、日本の人々は、原子力緊急事態宣言下に置かれているという自覚もその重大性にも当初から気づいていません。原発事故は終わっていないのに、まるで何事もなかったかのように忘れ去られようとしています。

 原発事故直後から、避難するかとどまるか、客観的な状況を把握したくても、必要な情報は与えられませんでした。他方で、「ニコニコ笑っていれば放射能は来ません」「年間100ミリシーベルトまでは大丈夫」などのプロパガンダも含め、おかしいことにもおかしいといえない雰囲気が作り続けられました。「被ばくはしたくない」「子どもを被ばくから絶対に守りたい」という市民の声は、「復興」「頑張ろう福島」「オールジャパン(ニッポンは一つ)」という大合唱によってかき消されました。

 被ばくを避けるために避難をしたいと主張することは異端とされ、「復興を妨げる厄介な人」「歩く風評被害」「非国民」などと揶揄され、虐げられました。現在では「"風評加害者"にならないように」と加害責任を問われている側(国)が、被害者(市民)を加害者扱いしています。「福島子ども健康プロジェクト」(事務局:中京大学 成元哲研究室)による2013年からの経年のアンケート調査では実際は、多くの住民が、「避難したくても出来ない」「本当は避難できるものなら今からでもしたい」と答えていましたが、激しいバッシングの対象となることを恐れ、言論が封じ込められ続けてきました。

 原発は国策です。唯一の規制権限を持つのも国ですが、ひとたび事故を起こせば犠牲になるのは周辺に住む無辜の人々です。原発に賛成していた人にも反対していた人にも無差別に被ばくの脅威はおそいかかります。そして、親が避難を決断しなければ、子どもは避難することはできず、特に被ばくに最も脆弱な子どもたちが、いちばん犠牲になるのです。国策による犠牲を、とりわけ子どもたちに強いることは許されないと私は思います。

 避難しても地獄・とどまっても地獄・帰還しても地獄

 放射線被ばくに暴露したという客観的事実があるのに、避難についても被ばく防護についても、何の保護や救済もない現状は「避難しても地獄・とどまっても地獄・帰還してもまた地獄」です。

 客観的な放射能汚染の事実があり、被ばくを避ける必要があるから、多くの人が、あらゆる困難を乗り越えてでも「避難」という決断をしたのです。実際に避難すること、そしてその避難生活を継続させることは容易ではありません。

 避難の決断とともに、避難の継続は、「強制避難」と「自主避難」を問わず精神的・経済的負担を強いられます。差別的な取扱いをすることは許されず、それは国連の「国内避難に関する指導原則」にも明確な規範があり、国際社会でも共有されている世界の標準認識です。そうであるにもかかわらず、人権保護の観点からの救済はありません。人権侵害が常態化しているから、この国は、国連人権理事会ほか、国際社会からも数多くの勧告を受け続けているのです。

 何人が避難し、何人が戻ったのかまともに調査されたことはなく、13年経っても明らかではないというのが現状です。被ばくから身を守るための何の制度も施策もない中で、放射能汚染があるところに、避難を打ち切り子どもたちを連れて帰還することは、私には考えられません。

 放射能汚染を起こした側が、客観的な汚染の事実を周知することなく、被ばく防護のための基準を3.11後に緩めるなど、政府と市民の信頼関係を破壊するような策ばかり講じられています。

 「線引き」による差別

 事故直後に福島第一原発からの距離だけに基づく合理性のない線引きを行い、あたかも国が認める公式の避難者と非公式の避難者といわんばかりに被害者を分断し、賠償に差別的基準を持ち込んだのは国です。責任を問われる側が恣意的な線引をし、被害を矮小化しています。

 土壌汚染や内部被ばくは考慮に入れず、また、年齢・性別・職業・家族構成などに応じたきめ細やかな保護・施策・救済は13年経っても確立されず、ひたすら私たち被害者は"いないこと"にされ続けています。

 私は、そうした国と東京電力が勝手に持ち込んだ避難区域内・区域外・福島県外などという線引きによる差別と分断を乗り越え、放射能汚染地のすべての被害者の救済を求めているのです。放射能汚染という客観的事実に向き合い、「万が一にも事故を起こさない」と約束した側が「これくらいの被ばくなら良いだろう」と勝手に基準を決め、被害者は誰であるかを勝手に決めるような線引きをし、「被ばくしたくない」「健康を享受したい」という私たちの人間としての生命と生存に関わる根本的な権利を侵害し、尊厳を踏みにじることは決して許さないと、その思いを同じくする人々とともに、司法による救済を求め、民事集団訴訟の原告となり国と東京電力を相手に2013年に集団訴訟を起こしました。

 私は、これまで、「放射線被ばくから免れ健康を享受する権利」の具体的・直截的・積極的な被ばく防護の行為として、原発事故により拡散された放射線被ばくからの「避難の権利」ということを主張してきましたが、「逃げること(避難)」、「逃げ続けること(避難の継続)」の権利性について、もっと多くの人にその重要性を知ってほしいと思います。


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原発賠償訴訟の提訴記者会見(2013年8月、大阪弁護士会館)

 被ばくするかしないかは「私が決める」

 知って被ばくすることと、何も知らされずに被ばくさせられることは、まったく意味が異なります。一体どれほどの初期被ばくを重ねたのかも定かではなく、避難していても、とどまる人と同じように、将来いつ自分や被ばくに脆弱な子どもたちに影響がでるかもしれないという「核の脅威」にさらされ続けているのです。だからこそ、避難元の客観的な汚染の事実を知った今、私は、これ以上、1マイクロシーベルトたりとも無用な被ばくを重ねることはしたくないですし、被ばくの生涯積算量を無駄に増やしたくはないのです。被ばくを拒否することも、それを拒否して自身の被ばく量をコントロールする権利も私たちの側にあります。

 なぜ、被ばくから身を護るための保護も救済もないまま13年間、私たちは放置されなければならないのでしょうか。無用な被ばくを本人の意思に反して強いられる理由はありません。人の生命・健康、さらには人間の尊厳にかかわる基本的人権の問題なのです。そしてこの問題は、福島の人々だけの問題ではないということを強く訴えたいです。核被害の脅威にさらされた時、あなたは被ばくを強いる側に立つのか、それとも被ばくから人々の命と健康を守る側に立つのか、ということなのです。

 被ばくするかしないかは「私が決める」、無用な被ばくを強いられることに対しては一歩も引かない、というのが私のいまの思いです。放射線被ばくから免れ健康を享受するという基本的人権(被ばくからの自由)を人類の普遍的な権利として確立したいと思います。