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国際人権ひろば No.176(2024年07月発行号)

特集:原子力発電所事故から13年

福島原発事故後に甲状腺がんとなった子どもたちの未来を考える

田辺 保雄(たなべ やすお)
弁護士

 被ばくと小児甲状腺がん

 甲状腺は、のどぼとけの下にある蝶のような形をした小さな臓器である。甲状腺は、食べ物に含まれているヨウ素を材料にして、新陳代謝を促進させる甲状腺ホルモンを合成し、分泌している。甲状腺がんの多くは原因不明であるが、小児については、放射線被ばくが明確なリスク要因であるとされている。そして、1986年に発生したチェルノブイリ事故で、被ばくによって発病したことが唯一、認められているのが、小児の甲状腺がんである。

 福島第一原子力発電所の事故と被ばく

 福島第一原子力発電所事故は、事態の深刻さを表す国際的な基準であるINES(国際原子力・放射線事象評価尺度)で、チェルノブイリと同じ最も深刻な「レベル7」に評価され、放出されたヨウ素131は約15万から50万テラベクレルの間と言われている。この事故による正確な放射性物質の放出量や被ばく状況は不明確で、多くのモニタリングポストが震災の影響で停止していたため、放出の経路や実際の被ばく量も正確には把握されていない。

 県民健康調査

 県民健康調査は、「東京電力株式会社福島第一原子力発電所事故による放射性物質の拡散や避難等を踏まえ、県民の被ばく線量の評価を行うとともに、県民の健康状態を把握し、疾病の予防、早期発見、早期治療につなげ、もって、将来にわたる県民の健康の維持、増進を図ること」を目的としている(「県民健康調査」検討委員会設置要綱第1条)。県民健康調査には、様々な調査が含まれているが、その中でも、子どもたちの甲状腺の状態を把握し、健康を長期に見守ることを目的にしているのが、「甲状腺検査」である。

 これは、2011年3月11日時点で福島県内に居住していた18歳未満の者(さらに2巡目以降の本格検査では2011年4月2日から2012年4月1日生まれの者も対象となる)を対象にした検査である。検査は、先行検査(1巡目)は2011年10月から2014年3月にかけて、その後は、1巡あたり2年をかけて実施している。

 甲状腺検査においては、まず超音波画像診断装置による一次検査が実施される。そこで、一定の大きさ(たとえば5.1ミリメートル以上の結節等)が見つかると、二次検査に移行する。二次検査では、まず、詳細な超音波検査、血液検査(甲状腺ホルモン測定)、尿検査(尿中ヨウ素)を行う。そこで、医師が必要と判断した場合に、はじめて穿刺吸引細胞診が行われる。この穿刺吸引細胞診によって、悪性又は悪性疑いと診断されると手術等の治療が行われる。

 先行検査(一巡目の検査)の結果

 2011年10月に開始した先行検査(一巡目の検査)では、約30万人が受診し(受診率81.7%)、これまでに113人が甲状腺がんの「悪性ないし悪性疑い」と判定された。推定される有病数に比べて数十倍のオーダーで多い甲状腺がんが発見されたのである。

 ところが、「県民健康調査」検討委員会は、「放射線の影響とは考えにくいと評価」した(2016年3月「県民健康調査における中間取りまとめ」)。

 現在の甲状腺がん

 その後も悪性ないし悪性疑いとされた症例が発見されている。2023年12月31日現在の5巡目検査までに、節目検診、集計外を合算すると、悪性ないし悪性疑いは、累計372名となる(術後良性だった1例控除後)。調査対象人数は、38.5万人である。しかも、現在、一次検査の受診率は、45%程度となっており、実際には甲状腺がんがもっと多くの子どもたちに生じている可能性がある。

 津田論文と国際環境疫学学会の書簡

 甲状腺検査の結果は、深刻であり、2016年には甲状腺がんは、県外との比較で約30倍の多発となり、スクリーニング効果によっては十分に説明しがたい、との津田論文(津田敏秀岡山大学教授)が発表された。

 国際環境疫学学会(環境疫学と曝露評価の研究に特化した、60カ国以上から会員が集まる科学学会。米国に本部、世界6地域に支部が置かれる)の会長からは、同年1月、日本政府に対して、甲状腺がんの発症リスクが想定よりもはるかに大きいことを憂慮する書簡が発信された。

 UNSCEAR2020/2021年報告書

 ところが、こうした懸念を打ち消すように、UNSC-EAR(原子放射線の影響に関する国連科学委員会)は2021年、UNSCEAR2020/2021年報告書を公表した。同報告書の結論は、「被ばくした小児において検出される甲状腺がんの症例数の予測に対する大幅な増加は、放射線被ばくの結果ではない」というものである。これが、日本政府や福島県が、甲状腺がんの増加と被ばくとの因果関係を認めない大きな理由となっている。

 ただ、この報告書は、被ばく量の推定を著しく過小評価しており、かつ、甲状腺検査が慎重に過剰診断(生涯にわたり何の害も及ぼさない、治療の必要のなかった病変を見つけて、治療を要するものと診断してしまう診断)を排除する設計になっていることを伏せたものであるばかりか、そもそも、因果推論が、疫学の標準的な方法から逸脱している。

 子ども甲状腺がん裁判

 このような状況において、2022年1月、6人の原告が提訴し、さらに1名が追加提訴をした(事情があり、後に1名の原告が取下げ)。7人のうち、4人が甲状腺がんの再発を経験しており、中学生の時に被ばくした原告は、4回もの手術を受けている。さらに、放射線ヨウ素を服用する「アイソトープ治療」を経験した患者も4人にのぼる(初期段階のがん、低リスクのがんでは、アイソトープ治療は実施されないことが多い)。

 しかし、東京電力は、原告らの甲状腺がんは、被ばくとの因果関係が認められないと主張している。東京電力の主張の大きな柱は、いわゆる100mSv論(実効線量で100mSv(ミリシーベルト)を下回る低線量被ばくでは健康影響は確認されていないという主張)とUNSCEAR2020/2021年報告である。

 100mSv論について

 国や東京電力は、100mSv論が、国際的に合意された科学的知見であると主張している。しかし、100mSv論は、2006年に米国アカデミーが公表したレポート「BEIRⅦ」において、すでに否定されていた。「BEIRⅦ」が公表された当時は、低線量域(おおむね100mSv以下)の被ばくについては、十分なデータが少なかった。しかし、米国アカデミーは、生物実験や、被ばくの物理的メカニズムを根拠として、低線量被ばくであっても、健康影響があると結論付けていた。その後、2010年代になって、低線量域の被ばくについても、十分なデータが集まり、現在では、数多くの疫学研究が、低線量被ばくでも健康影響があるとの結論を示している。

 UNSCEAR2020/2021年報告書の問題点について

 UNSCEARは、まず被ばく線量を推計している。もともと、事故後、どれだけ子どもたちが甲状腺に被ばくしたかは、実測値がほとんどない(そして、その測定方法にも大きな疑問が寄せられている)。

 そこで、被ばく線量の推計について、UNSCEARは、ATDMと呼ばれる放射性核種の放出情報と気象場情報を組み合わせて、放出された放射性物質(放射性プルーム)がどのように拡散していくかを計算するプログラムによる研究成果を利用した。しかし、このシミュレーションは、福島市紅葉山に残されていた実測データと大きな乖離があることを放置したものであり、不確実性が極めて大きい。

 また、UNSCEAR報告書の基本的な発想は、想定された被ばく線量を根拠にして、予想される甲状腺がんの増加は、検出不可能であるというものである。仮に甲状腺がんが被ばくによって増加しても、その増加分は、統計的に識別できないだろうという前提にたって、実際に観察された甲状腺検査の結果を評価しているのである。疫学の教科書では、こう説明している。すなわち、研究計画時に検出力を計算するために効果の大きさを推測することは合理的であるが、研究によって得られたデータを解析する際には、検出力の計算で推測するのではなく、データ中の効果に関する情報を使って直接推定することが常に望ましい。

 子どもたちの未来

 国連という権威を利用して、およそ「科学」とは言えない手法で、被ばくと子どもたちの甲状腺がんとの因果関係を否定しようという「力」が働いている。私たちは、権威や、まがい物の科学に惑わされることなく、子どもたちの権利を守っていかなければならない。事実を見極めようという市民の強靱な意思こそが、子どもたちの未来を守ることができる。