人権の潮流
「国なき民族」といわれるクルド人のお祭り「Newroz(ネウロズ)」が、2024年3月20日に埼玉県さいたま市の秋ヶ瀬公園で開催された。ネウロズは、新年を祝うと同時に自由と解放を象徴するお祭りでもある。色とりどりのドレスを着た女性や民族衣装に身をつつんだ男性が音楽にあわせ輪になって踊り、笑顔があふれていた。新緑の木々に囲まれた会場には多くの日本人の姿も見え、踊りの輪に入ったり、料理のケバブを楽しんだりしている。しかし、会場の脇では旭日旗を掲げた差別主義者が祭りを妨害するようにがなり立て、運営スタッフと警察官に入場を阻止されていた。ネウロズは2004年から毎年開催(2020年~2022年はコロナ禍で中断)されているが、このような妨害は初めてのことだった。
クルド人は中東の先住民族で2,000万人から3,000万人いるといわれ、その居住地は「クルディスタン」と呼ばれる。第一次世界大戦後にクルディスタンはトルコ、イラク、イラン、シリアなどに分割され、クルド人はそれぞれの国で迫害や弾圧を受けてきた。最もクルド人が多いトルコでは厳しい同化政策が行われてきた。トルコ政府はクルド人を「山岳トルコ人」と呼び、存在そのものを否定、長らくクルド語も禁止してきた。
1978年、アブドゥッラー・オジャランはクルディスタン労働者党(PKK)を結成し、1984年からクルド人の独立国家樹立を掲げて武装闘争を開始したが、オジャランが逮捕される1999年頃には、民主的な自治を目指す路線に変更している。現在、トルコ国内でクルド語の使用は部分的に容認されているが、政治的な許容範囲の中にとどまる。トルコ政府はPKKをテロ組織として禁止し、テロ対策の名の下に合法的なクルド系政党や政治活動家、ジャーナリストに対する弾圧を続けている。
こうしたことからクルド人は移民・難民として世界各地に移り住んできた。ドイツにはトルコ系の人々が約300万人暮らしており、そのうちクルド人は約100万人だといわれる。ドイツは1960年代に労働者不足を解消するために多くのトルコ人を受け入れ、その後は難民としてクルド人を受け入れてきた歴史がある。
1980年代から90年代にかけてはトルコ国内でPKKと政府との抗争が激化し、トルコ政府による村の破壊、強制移住、逮捕、拷問などが相次ぎ、難民として国外に逃れるクルド人が急増した。日本にも1990年代からクルド人が逃れてくるようになった。日本とトルコの間には査証(ビザ)相互免除協定があり、3カ月以内の短期滞在はビザが不要であるのも理由だった。
2022年末現在の法務省在留外国人統計によると、日本に暮らすトルコ国籍の人々は約6,000人で、1番多い埼玉県が約2,000人、次いで愛知県(約1,500人)、東京都(約1,000人)となっている。埼玉県内では川口市が最も多く約1,200人が暮らすが、統計に反映されない非正規滞在の仮放免者が700人ほど存在する。埼玉県内には約3,000人のトルコ国籍の人々が暮らしていると考えられ、大多数がクルド人だと推測される。
日本の難民認定率は極めて低く、トルコ国籍のクルド人の難民認定は皆無に等しい。トルコ出身申請者の難民認定率は、ドイツ45.2%、米国86.2%、カナダ97.5%であるのに対して日本は0%である(UNHCRと法務省の2019年データを基に駒井知会弁護士が作成)。来日したクルド人のほとんどは入国後に難民申請をしているが、難民認定された人は1人もいなかった。
2022年5月、難民不認定処分の取り消しを求めたトルコ国籍のクルド人男性の訴えが札幌高裁で認められ、同年8月、日本で初めてクルド人が難民認定された。判決では、「迫害を受けるおそれがあるという十分な理由がある」として、男性がトルコ当局からPKKの支援者とみなされ、ジャンダルマ(軍警察)から拷問を受けたことが指摘された。しかし、今もなお多くのクルド人は難民認定されていない。
日本で難民申請をする人には、大きく分けて在留資格がある「特定活動」の人と、在留資格のない「仮放免」の人がいる。特定活動は、難民審査の結果が出るまでの一時的な在留資格である。「就労可」の場合、合法的に働くことができ、審査中は在留資格を更新することができる。しかし、難民認定が却下されると在留資格がなくなることがある。映画『マイスモールランド』(2022年)では、特定活動が取り消され仮放免となったクルド人家族のことが描かれていた。
仮放免とは、在留資格のないまま収容を一時的に解かれた状態である。拘束されていないが、就労は禁止され、国民健康保険に加入できず、住民票もない。日本で生まれたにも関わらず仮放免のままの子どももいる。
仮放免の人は生活保護の受給資格もない。生きていくためには「不法就労」せざるを得ないが、見つかれば収容されることがある。2024年施行される改定入管法では罰則規定が設けられさらに厳しくなった。深刻なのは医療費で、国保に加入できないため全額自己負担となる。医療機関によっては自由診療扱いになり、100%以上の請求をされる場合もある。
その他にも、住んでいる都道府県を許可なく越えて移動することが禁止されている、住民票がないために受けられない住民サービスが多いなど、生きるための権利が大幅に制限されている。
日本に暮らすクルド人で安定的な在留資格がある人は、その多くが建築解体業の会社や飲食店などを経営している。特に労働力不足の建築解体の現場では、クルド人は無くてはならない存在となっている。
しかし、2023年に入管法改定案の国会審議が始まった頃からクルド人に対する誹謗中傷が増えてきた。入管法改定案は、難民申請者の強制送還を停止する規定に例外を設け、3回目以降の難民申請者を強制送還できるようにしていた。難民認定が皆無に等しいクルド人は、複数回の申請者が多く反対の声も強かった。
同じ頃インターネットでは、川口市に暮らすクルド人と住民とのトラブルがことさらに取り上げられていた。2023年6月9日入管法改定案が可決、6月29日には川口市議会でクルド人を念頭においた「一部外国人による犯罪の取り締まり強化を求める意見書」が採決された。7月4日、川口市内でクルド人同士の刺傷事件が発生し、ケガ人が運び込まれた病院に家族が大勢集まって混乱が生じた。それを産経新聞が報道するとインターネット上に誹謗中傷の言葉があふれた。
「在日クルド人と共に」が毎週日曜日に開いている日本語教室のようす
実際にトラブルや事件・事故は起きているが、それを民族性と結び付けるのは差別であり、偏見と不安を煽るだけで問題の解決に結びつかない。私たちは日本クルド文化協会と協力して地域の見回りを行い、クルド人の暮らしを撮った写真展を開催した。しかし同年11月、トルコ政府は日本のクルド人団体などをPKKと関連付けて資産を凍結したと発表、インターネットでは「テロリストのクルド人を追い出せ」という言葉が広がった。
2024年1月、冒頭で紹介したNewroz(ネウロズ)開催のため公園に電話したところ「開催に反対する声があり、安全を担保できない」と使用を拒否された。質問状や大橋毅弁護士の意見書を送り開催にこぎつけたが、川口市や蕨市ではヘイトデモが立て続けに起きるようになっていた。
2009年、在特会が蕨市に住む非正規滞在のフィリピン国籍の中学生に対して排斥デモを行ったが、そこから派生した人たちがクルド人を標的にしたヘイトデモを繰り返しているのだ。6月からは改定入管法も施行されるため、クルド人コミュニティには不安が広がっている。
一方でヘイトスピーチの規制条例を求める声も高まってきた。当会の日本語教室のボランティアに参加したいという地元の人も増えている。働き盛りの世代や大学生など若い人が多い。ヘイトの動きが高まっているからこそクルド人と交流したい、そんな人が増えているのは希望である。