特集:ヒューライツ大阪30周年 「様々な人権課題の解決のために」(その1)
日本人の心に潜在的にある優生思想により、家父長制的な社会において劣った者とみなされた私たち障害者は、いわゆる「健常者」と呼ばれる人たちに従って生きる他ないと思わされてきた。しかし、障害者権利条約がNothing about us without us(私たち抜きで私たちのことを決めないで)を掲げて、障害者を目覚めさせた。障害に関する決定は、当事者である自分がもつ権利だから行使するのが当たり前という認識になりつつある。
障害者権利条約の策定
策定の第一段階から障害当事者団体(以下、障害者団体)は関与していた。種別を超えた障害当事者の全国団体であるDPI日本会議(以下、DPI)で討議していた差別禁止法案が、アドホック(特別)委員会での条約起草に寄与すべく2003年にESCAP(国連アジア太平洋経済社会委員会)が開催した会議に提出され、それを骨子に「バンコク草案」が策定された。同草案はアドホック委員会に提出され、討議のたたき台として採用された。
2002~2006年まで8回にわたって開催された同委員会には、日本政府代表団にDPIの東俊裕弁護士が顧問として加わるとともに、多くの障害者団体がニューヨークに傍聴団を送り、関係者を加え約200名が参加した。他国の障害者団体と協力し、条約の文言などにおいて、アドホック委員会に大きな影響力を行使した。
国内では障害者団体が詳細な会議報告に基づき関連省庁と定期的な意見交換を行い、超党派による「国連障害者の権利条約推進議員連盟」も2005年に結成された。策定段階で障害者団体の国への働きかけはうまくいっていた。
批准に向けて
2006年に採択された条約に、日本政府は2007年9月に署名した。2009年には条約を批准する方針を示したが、DPIは日本障害フォーラム(以下JDF)のメンバーとして十分な国内法制度の整備ができていないことを理由に反対した。政府は他国に競って批准を急いだが、最終的には国内法の整備をはじめとする諸改革を優先すべきとの障害者団体の意見が受け入れられた。
2009年から国の障害者制度改革が始まった。障害者権利条約の批准に必要な国内法の整備をはじめとする国の障害関連制度の集中的な改革の推進を図るという基本方針に基づいて、国は総理大臣を長とする「障がい者制度改革推進本部」を設置した。本部の下に内閣府は、必要な合理的配慮が提供されて審議が行われた、過半数が障害者とその家族から成る「障がい者制度改革推進会議」を設置した。その結果、障害者基本法の改正(2011年)、障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援する法律(障害者総合支援法)の成立(2012年)、障害者差別解消法の制定(2013年)、障害者雇用促進法の改正(2013年)などがなされた。そして日本は2014年12月に条約を締約した。
翻訳
障害者団体は少しでも多くの仲間に正確な条約の内容を伝えたいと、専門家を中心に2007年に仮訳を発表した。政府も2007年に仮訳を発表したが、外務省がまとめたものにはあいまいな表現があり、すでに流布しているカタカナ用語を無理に避けたり、問題が多かった。条約の基本理念や歴史的・社会的意義に関する政府の認識が不十分であるので、JDFは公定訳作成にあたっては障害者と協議するよう申し入れ、2009年の公定訳案と2008年の川島聡・長瀬修氏の仮訳に英語正文を対照させ、コメントもつけた冊子を2010年に発行した。
条約仮訳と英語正文を対比させたJDFの冊子
審査の過程
障害者権利委員会(以下CRPD委員会)は、日本政府から2016年に最初の締約国報告を受けた。2019年にCRPD委員会から政府に質問事項が渡される前に、JDFは人権保障上、重大な問題が取り上げられていなかったり、取り上げ方が不十分である事項の指摘を含む質問事項の重要性を考え、その作成の資料となるパラレルレポートを提出した。ジュネーブでの会合には代表を派遣し条約の実施状況についてのロビー活動や作業部会への出席、ブリーフィングを行った。
CRPD委員会はジュネーブで2022年8月に、国と障害者団体をはじめとする市民社会団体双方が提出した報告書をもとに、建設的対話と呼ばれる審査を行った。JDFの派遣団など市民社会団体100名ほどが参加し、これほど多数が来たことはなかったと言われるほどの熱気にあふれた。
運動の成果が実った勧告
周到な運動が功を奏して、建設的対話におけるCRPD委員の日本政府への質問は厳しく、的を得たものであった。政府回答は、制度説明や検討会報告が中心のいつものような政府答弁に終始し、改善計画にまでは至らなかった。特に私たち障害者が場違いな発言で恥ずかしいとさえ思ったのは、地域移行に関し、高い塀や鉄の扉などない施設で入所者も満開の桜を楽しめるとする施設処遇の現状を肯定しているような、厚生労働省の答えであった。
総括所見では民間企業への合理的配慮の義務付け、アクセシビリティーや情報サービスなどの利用での基準整備などは評価されたが、建設的どころか真面目に対話すらしようとしない政府の姿勢が与えた影響は多くの改善勧告が出される元となったと考えている。特には脱施設とインクルーシブ教育が問題となり、これからの日本の障害者運動への重要な方向が示唆された。前者に関しては、障害児を含む障害者が施設を出て地域で暮らす権利が保障されていないことや精神科病院の強制入院が問題視され、後者については、通常の学級で学べない障害児がいることを踏まえ、分離された特別支援教育の中止のためインクルーシブ教育に関する国の行動計画の策定とすべての障害のある生徒が個別支援を受けられる計画づくりを求めた。
総括所見が出された建設的対話終了後の日本の市民社会団体が喜ぶ様子
批准
政府の条約への関心は、国内法の制度改革を経て2014年に批准をするまではあった。しかし条約の選択議定書(条約の内容を補うために作られ、条約と同じ効力を持ち、国内で手続きを尽くしても権利が保障されない場合に、個人の資格で国連に置かれた委員会に通報できる制度を定めたもの)は、2024年7月末現在国連加盟国193か国のうち100か国が批准しているのに、何の動きもない。同様に批准を拒まれている女性差別撤廃条約などに関わる他の市民社会団体と協力し、働きかけを行っていかねばならない。
勧告に沿った今後の運動の強化-脱施設とインクルーシブ教育
重度訪問介護制度を背景に自立生活運動は成功してきている。しかし、重度障害者や知的、精神の障害者の施設から地域への移行は一部に留まっている。国の政策は施設と地域を並列に扱い、地域で自立が進んだ分だけ施設への新規入所が行われている。特に地方では施設に依存する傾向があり、自治体の姿勢の背景には「最後には施設がある」という考えが垣間見える。
施設入所や家族介助に依存しない地域を作っていくため、「筋ジス病棟の未来を考えるプロジェクト」では当事者同士が定期オンライン会議で情報提供やピア・カウンセリング、DPIでは精神障害者の長期入院に関する学習会やセミナーを実施してきた。カナダの知的障害者の親の会と当事者団体であるピープルファーストが作成した脱施設ガイドラインの勉強会も行い、カナダへの研修旅行も企画している。
「脱施設」と「インクルーシブ教育」は繋がっている。障害がある人とない人を分けた上で対応する分離教育を受けていると障害者と接する経験があまりに少なく、 障害者の存在は認識されなくなる。インクルーシブ教育が実施されていたら、植松死刑囚が知的障害者19人を殺害したような凄惨な事件は起こらなかった。
締約国たる日本が提出する次回定期報告の提出期限は2028年2月20日と定められ、その提出期限の1年前までにCRPD委員会が事前質問事項(LOIs)を示すとされている。その時の日本の実施報告で障害者の制度が少しでも改善されているために、私たちの運動の進め方が問われている。