特集:ヒューライツ大阪30周年 「様々な人権課題の解決のために」(その1)
「かながわ外国人すまいサポートセンター」(以下、すまセン)では「ニイハオ、ナマステ、シンチャオ、アンニョンハセヨ、オラ、ボンディーア、ハロー」などの挨拶が聞こえてくる。ここは、日本語を母語としない人たちのすまいと生活をサポートするNPO団体である。
外国人の居住問題は、戦前から神奈川県では主として朝鮮人、中国人の問題として発生し、各民族団体や当事者たちが長年指摘し続けてきた社会的課題であるが、大きく取り上げられる機会はほとんどなかった。1980年代以降ニューカマーと呼ばれる外国人の移住が進むにつれ問題が顕著となったが、解決への一歩を踏み出すには至らなかった。2023年末現在、国の統計では在日外国人は約341万人。未だこの問題に焦点をあてた国の対策はなされていない。
1998年神奈川県は、外国籍県民に関する施策や外国籍住民の視点を生かした地域づくりを協議し知事に提言するため14の国と地域の委員20人からなる「外国籍県民かながわ会議」(以下、外国人会議)を設置した。さまざまな背景を持つ互いに異なる立場の外国人たちが議論する中、ある委員から「外国人だと言う理由で住まいを借りることができない」との発言がなされ、これを全会で議論しその結果について、県知事への提言に盛り込むことにした。1999年度には外国人の住まいに関する状況をより深く知るため会議内に研究会を発足し、入居差別の実態を把握することにした。
以下は実際に起きた入居差別である。
ある委員が部屋を借りるために不動産業者に出向いたが、ドアを開けようとした瞬間、店内から社員が飛び出してきて「ダメダメナイナイ」と言われ店内に入ることさえ許されなかった。また、在日コリアン2世の女性は結婚を機に部屋を探したが、30社ほどの不動産業者に断られた。その理由を尋ねると「外国人だから」とのことだった。それではと思い、外国人専用の不動産業者を訪ねると「在日コリアンは日本人と同じ」と言って断られたという。実際にすまセン発足直後に起きたことだが、米国人から部屋を探してほしいとの相談があり、ある業者に連絡を取ったが、返ってきた言葉は「アメリカ人?白黒どっち?」。
私も実際「外国人だとね何かあった時に困るでしょ。急病とか、事故とか起きたとき言葉もわからないし、誰に連絡取ったらいいかわからないし」と言われたことがある。
このようなことは入居差別の氷山の一角に過ぎない。こうした具体的な事実に基づき研究会は、更に幅を広げた話し合いの場を設けることにした。1999年には当事者たちの視点だけではなく様々な立場の人たちから現状を聞き、課題を整理することにした。神奈川県国際課を通し、不動産業者、オーナー、民族団体、外国人支援団体、行政の住宅担当職員、国際交流団体、個人の支援者など様々な立場の人たちが一堂に会し外国人の入居問題について話し合うことにした。
不動産業者は、外国人に貸すことへのリスクについて話をした。保証人、ごみ、騒音、食べ物の匂い、滞納、また貸し、同居人を増やす、夜逃げ、敷金や礼金、前家賃について理解されないことに困っているとの指摘があった。
当事者たちからは「一部の人たちがルール、マナー違反をしているかことは確かだが、大多数は真面目に働き、懸命に暮らしている。もし、問題が起きているのであればそれは言葉や日本の習慣を知らない、生活の仕方がわからないからだと思う」などの話が多く出された。
その会議に参加していたある業者は、「わが社では外国人にも積極的に住宅を貸しているが、問題が起きないわけではない。問題が起きるのであれば日本人も外国人も同じ。何か起きたらその時は業者としてきちんと対応することと次回このようなことが起きないようにどうするか考えればいいだけ」と発言した。
この発言は外国人対業者という垣根を取り払い更に深い議論を進める上で大事な機会となり、度重なる議論は会議参加者たちが共通課題を確認する路程となった。1999年10月その内容について外国人県民会議において中間報告し、2000年4月からは外国人会議、NPO、不動産業界団体、行政などの関係機関を含むメンバーなどで県庁内に「外国人入居支援システム検討プロジェクト」を発足するに至った。また、過去1年間話し合ったことをまとめ、多言語相談体制を整えることとし、不動産業界団体の協力を得て、業者向けアンケートの作成、配布、回収を行った。会議で出た様々な意見から必須とみなされた多言語マニュアル(住まい方)の作成、保証システムについてなど現実的な話し合いを深めることになる。2000年10月、外国人の入居問題について検討すべきとの内容を盛り込んだ「第1回外国籍県民かながわ会議」提言書を県知事に提出し、2001年3月かながわ外国人すまいサポートセンターは発足された。
すまセンは、発足以来外国人へのすまいと生活のサポートを行って来た。その活動は、家探しと住居のトラブル解消のアドバイスを主たる業務としたが、実際に活動を始めてみると生活の様々な場面で課題があることに気づかされることになる。
住まいを探す外国人が来所、連絡をしてきた場合、神奈川県国際課に登録されている「外国人すまいサポート店リスト」を利用する。ここには各社の住所、得意とするエリア、外国語話者の有無などが記載されている。スタッフたちは相談者からそれぞれの言語で話を聞き、物件探しを始める。内見、契約まで寄り添うことが多いが、その過程で滞納、退去、債務、失職、労働問題、年金、いじめ、DV、住宅売買に関するトラブルなど複合的、深刻な事情に行きつくことが多い。こうした問題の解決のためには業者や役所、年金事務所、労働基準監督署、児童相談所など、司法関係者、他のNPOなど広く様々な団体、機関との連携が不可欠となる。
また、すまセンが持つ多言語マニュアルは、当団体を通して入居した人たちがほとんどトラブルを起こしていないという事実からその有効性を確認することができる。
家主、業者などからも相談が寄せられる。原状復帰や騒音、ご近所とのトラブルなどが多いが、本人と業者(家主)の両方から話を聞き、現場に出向くこともある。複雑であるほど私たちだけで判断せず、不動産業界団体、司法関係者などと適切な連携を取ることにしているが、それぞれの民族的、文化的特性については、すまセンのスタッフでも理解しづらいこともあり問題解決に窮することが多い。
コロナ禍においては、「コロナ感染拡大による市民への様々な行政の特例サービス」の利用について多言語対応を機械任せにする役所が多く、制度説明、申請サポートが激増し2019年度1700件だった相談件数は2022年には2900件となり、私たちの活動がいかに多くの人たちに求められているのかを実感することとなった。丁寧に話しを聞き、どのような問題解決がその人にふさわしいのかを共に考え、連携と協力を重ねながら答えを求める姿勢を崩さずにきた結果だと捉えている。
すまいサポートセンターでの活動の様子
日本政府は長年外国人を労働力として「受け入れ」てきたが、彼ら/彼女らの住居問題を含め、命と権利を守る法の整備は課題にすらなっていない。このような現状にも拘わらず共に生きる、多文化共生という言葉がひとり歩きすることに違和感を覚えるのは私だけなのであろうか。
外国人入居問題については、往々にして業者や家主側にのみ問題があるかのように言われるが、彼ら/彼女らを漠然とした不安に陥れているのは日本の外国人政策に原因があることにほかならない。日本の経済と産業の発展のために戦前は朝鮮半島から、戦後長らく地方の季節労働者や若者から、1980年以降には法改定まで行いブラジルをはじめとする中南米、フィリピン、インドネシアなどから、今やベトナムやネパールから労働力を求め続けはするが人としての権利と命を守ることは良心的な市民、一部の自治体に押し付けられたままである。
日本で住居を求める誰もが安心して当たり前に暮らすためには日本政府が外国人政策を抜本的に見直さなければならず、それなくして外国人の住居問題解決は幻でしかないと言える。