人権の潮流
国連ビジネスと人権作業部会は、2023年の訪日調査報告書を2024年6月の人権理事会に提出した。その中で、作業部会は、日本における代表的な汚染地として大阪も挙げ、PFAS汚染問題を取り上げている。また一方で、「影響を受けた地域の住民の血中濃度の大規模な調査は行われない」と、環境省の対応を「政府のイニシアチブは限定的」と批判。さらに、日本の行政に対して「追加措置」を求める一方、汚染がビジネスにより生じたことから「汚染者負担」の原則の下、事業者の責任を求めている。
この作業部会の報告は正論であると支持する。一方、この正論を前に、汚染源とされるダイキン工業と大阪府、摂津市の「3者会議」を知るものとしては、伝統的な日本の「不作為」を感じざるを得ない。
PFAS(パーフロロアルキールサブスタンス:有機フッ素化合物)とは、化学的には、分子内に1つ以上の過フッ素化メチル基とメチレン基(-CF2-あるいはCF3-)を含む化合物のことである。水素をフッ素で置換することには理由がある。極めて安定にさせることができるのである。その結果、水をはじく性質や、油と水の両方に溶ける性質や、紫外線の作用にも強く、熱にも分解されにくい性質を得ることになる。
通常は、母体となる分子は、炭素骨格が8個(C8化合物という)や6個の分子が多く、代表的なC8化合物としてPFOA(パーフロロオクタノイックエッシド),PFOS(パーフロロオクタノイスルフォン酸)がある。熱で分解されにくい性質から泡消火剤や、水に溶けにくいテフロンを溶かすための溶剤として利用される。泡消火剤が開発されたのは、1967年のベトナム戦争に参戦していた航空母艦フォレスタルの航空機燃料の引火による大規模火災事故の反省からと言われる。当時、航空機燃料に対する適切な消火剤がなく、引火し大規模爆発に至った。この事故を契機とし、米国の有機フッ素メーカーの3M社と米国海軍は消火剤の開発を急ぎPFOSをベースとする泡消火剤を1970年代には配備することとなった。
PFOAは、テフロンを乳化する溶剤として開発され、第2次世界大戦のマンハッタン計画の中では製造過程に必要なテフロンのコーティング剤として使用された。戦後、テフロンが民生品として利用されるに及び、フライパンの表面にPFOAで乳化されたテフロンを塗布し、ポリマー(重合体)化することにより、1970年代には、焦げ付かないフライパンの出現を見た。最近でも、PFASは、半導体の製造工程での溶剤としての利用や、電気自動車の電池や部品の製造など多様な最先端産業で使用されている。
PFASの代表であるPFOSとPFOAは、炭素骨格部分にフッ素が結合している。その結果、PFOAやPFOSは、フッ素を水素であるHで置き換えた脂肪酸の毒性に似ることになる。体内でこれら脂肪酸に似た2物質は分解されないため、分解のスイッチが入るも分解されず、分解しようとする反応が強すぎ健康影響を引き起こす。従って、その健康影響は分解しようとする反応が過剰な状態を強調したものになる。十分なエビデンスのある健康影響として、免疫の抑制作用、脂質代謝異常、胎児新生児の成長の抑制、腎臓ガンの発症が米国のガイダンスやEUの毒性評価で挙げられている。ガイダンスではPFOSとPFOAを含む7PFAS(PFOS、PFOA、PFHxS、PFNA、PFDA、PFUnA、NMeFOSSA)の合計値で20ng/mL(ナノグラム/ミリリットル)を超えると健康リスクが増すとしている(注 従って4PFASの合計値で20ng/mLを超えるとよりリスクは増す)。また、世界保健機関(WHO)のがん専門の機関である国際がん研究機関(IARC)は、PFOAを「ヒトに対して発がん性を有する物質」であるグループ1に分類し、PFOSを「ヒトに対して発がん性を有する可能性のある物質」としてグループ2bに分類している。
この一方、PFASの内、乳化したテフロンを噴霧し、高温でポリマー化する工程では、PFOAとテフロン粉塵の両方に曝露しテフロン塵肺を発症することが知られている。日本でも散発例が報告されているが、潜伏期間が長期にわたるため症例は極めて限られているが、ダイキン工業などでも同様の製造工程が存在するため、懸念している。
ダイキン工業は、戦前から軍艦の空調設備などに使用するよう有機フッ素化合物を作ってきた。戦後、1960年代後半にPFOAの製造を開始し、2012年に終了するまで、長期にわたりPFOAを製造してきた。このPFOAを含む工場排水を、初期はそのまま工場周辺の河川に垂れ流し、その後安威川下水処理場に放流していた。京大医学研究科の小泉研究室と岩手県環境保健センターのグループは、2002年に調査を開始し、その時点で67000(ng/L)にも上る高濃度のPFOA汚染を安威川流域の下水処理場の排水中に認め、その汚染は、合流する神崎川をへて大阪湾に至り、さらに淀川を遡上し、柴島や毛馬の閘門(堰)辺りまで高濃度のPFOA汚染を認めた。この時期に米国の3Mは、環境残留性と毒性を理由に製造から撤退することを表明した。その後、ダイキン工業も2012年までには製造から撤退することを決めた。しかし、おおよそ40年にわたる排液は、ダイキン工業摂津工場周辺の地下水や土壌を汚染し、小泉研究室の調査では、2015年頃においても、淀川区の十三や、淀川対岸の守口市などの地下水の汚染を引き起こしていた。特に工場の周辺地域では、地下水と土壌汚染は深刻で、周辺地域で採れた農産物を食べることにより血中濃度が高くなることが知られてきた。事実、2023年暮れから2024年春にかけて、「大阪PFAS汚染と健康を考える会」と京大原田浩二研究室によって、大阪府在住か職場が大阪府内の1190人を対象に行われた血中濃度調査では、製造を中止した現在でも摂津市と東淀川区の住民で血液中のPFOAが高いことが確認された。
<血中PFOAの地域差>
≪地域区分≫
地域1:摂津市+東淀川
地域2:大阪府豊中市、池田市、箕面市、吹田市、茨木市、高槻市、島本町、守口市、門真市、寝屋川市、兵庫県尼崎市、伊丹市
地域3:東淀川区以外の大阪市内
地域4:上記以外の大阪府下
地域5:その他(奈良県、兵庫県、京都府)
大阪PFAS汚染と健康を考える会 2024年8月11日公表
安威川-神崎川-淀川水系のPFOA汚染の報告に、社会の注目が集まったのは2007年5月のことである。大阪府議会で当時の堀田文一府議(共産党)が取り上げた。
当時の府知事は、太田房江氏(現自民党参議院議員)であった。その後橋下徹府知事(2008年1月~2011年11月)のもと、2009年10月16日に第1回の「神崎川水域PFOA対策連絡会議」が、摂津市役所で府の環境農林水産総合研究所、府環境保全課、ダイキン工業、摂津市の参加のもとに結成された(注:情報公開法に基づき石川たえ大阪府議が入手したコピーを頂いた)。
初回の会議では、「府と市とダイキン工業とがバラバラでなく、一体となり情報共有し情報交換しながら対策を進めてゆくことで同意が得られた」と宣言している。第15回(2016年12月13日)の会議では、ダイキン工業が抱える米国での訴訟ついて説明がなされている。その内容は、アラバマ州ディケーター市にあるダイキンアメリカ社が、PFOA/PFOSで水源を汚染したため、その除去を行う活性炭が必要となり、その費用を求めて水道供給会社が提訴したというものである。第16回(2017年12月26日)の会議では、ダイキン工業は、経済産業省との情報共有を吹聴し、また第17回(2018年12月25日)では、先に話題となった訴訟の争点について府と摂津市は興味を示し説明をダイキン工業に説明を求めたところ「自分の体にそういう物質(PFOA)が入ること自体が許せない」とダイキン工業の一方的な見解を述べている。
さらに第19回(2020年6月30日)では府と摂津市は、マスコミや市民からの問い合わせ件数を紹介し、挙句の果ては、「市としては3者会議の事をどこにも伝えていない。どの程度までなら行っていいものか共有したい」、府も「議員への説明については現状でぎりぎりの対策をやっておられており、これ以上は厳しいと伝えることになるのか内容については協議させてほしい」とダイキン工業にお伺いを立てている。この様に、初回で確認された、3者が「一体となり情報共有し情報交換」したのは、汚染の対策を求める府民の声をめぐり情報共有したのであり、それを封じ込めるため「バラバラでなく」3者一体となった「対策」をしたのではないかと思われるほどダイキン工業ペースで会は運営されている。
こうした府民に秘密の会議が、橋下府知事時代から歴代で続いてきた。この行政の「不作為」は、まさに権力と事業者が一体となった背景があり、21世紀を生きる我々の手で変えてゆかねばならない。