特集:ヒューライツ大阪30周年 「様々な人権課題の解決のために」(その2)
公権力が行なう人権侵害は、その侵害の形態にもよるが、私人が行なうものよりも、ずっと広く根深く、被害も深刻であり、その数も多いと推定される。被侵害者が声を上げることが困難であり、侵害があってもその違法性を認めさせることは困難である。
公権力による人権侵害に被害者が声を上げ、これをいかにして調査し、救済し、再発を防止するかは人権の保護、尊重し進展を求める者にとって最大の課題である。国内人権機関の設立に関する国連「パリ原則」が第一に「政府からの独立性」を求めているのは、そのことを念頭においている。
公権力による人権侵害を類型別に見れば、(1)法律制度による人権侵害、(2)警察活動による人権侵害、(3)刑務所・拘置所・入管収容所など拘禁施設における人権侵害、(4)行政権力の違法な行使による人権侵害、(5)司法の不適切な判断による人権侵害などがある。
最高裁判所が2024年7月3日の判決で断罪した優生保護法により立法府、行政府が行なってきた人権侵害を典型例とする。
優生保護法は、1948年「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止すること」(第1条)等を目的として、国会全員一致で制定された法律である。当初一定の遺伝性障害をもつ人を強制不妊手術の対象としたが、その後遺伝性でないハンセン病、精神障害、知的障害をもつ人に対象を広げた。しかも本人に留まらず、その配偶者にまで広げ、保護者の同意があれば、本人の意思にかかわらず手術ができることにした。この法律は1996年まで48年間も施行された。不妊手術を受けた人は2万5000人に上り、中絶手術を受けた人を合わせると8万人以上の人が手術された。法務府(現法務省)は、1949年、「身体の拘束、麻酔薬施用又は欺罔等の手段を用いることも許される場合がある」、これは「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」という公益上の目的があり、決して憲法の精神に背くものではない」と回答している。これを受け、厚生省は各都道府県知事宛てに、「身体の拘束,麻酔薬施用又は欺罔等の手段を用いることも許される場合がある」との通知を発した。そして都道府県は手術件数を競った。
学校教育でも、文部省は、学習指導要領を通じて、教科書、授業内容に優生保護法と優生思想を教えることを義務づけた。そして高校の保健体育、家庭科などの教科書を用いて毎年何十万の生徒に優生教育を行なってきた。その結果障害のある人は「劣った人」であり、結婚の相手としてはならない人、差別されても仕方ない人、という意識を社会に植え付けた。この優生思想は96年に強制不妊条項が削除された後も社会に残り、2016年の津久井やまゆり園事件(重度障害者19人を殺し、26人に重軽傷を負わせた)や精神科病院への患者の社会からの隔離、長期間入院や職員による虐待事件として現われている。2022年の内閣府の「障害者に関する世論調査」によると、市民の88.5%が「障害を理由とする差別や偏見があると思う」と答えている。
被害者の一人がようやく2018年に裁判を起こすことができ、その上告審で2024年7月3日、最高裁判所は、「優生保護法はその制定当初から憲法13条、14条に違反しており、その制定をした国会議員は憲法違反の違法行為をしたものである。国は被害者に損害賠償をなす義務がある」と判決した。
被害を受けた人たちがこの判決にたどり着くまでの道のりは極めて厳しいものだった。裁判提起には高い障壁があった。①自分がどのような手術を受けたのか知らされなかった。②手術が違憲で、国の責任を追及するすべがあることを知らなかった。③手術記録や行政文書が既に破棄され、証拠が手に入らなかった。④提訴は自分の障害と不妊手術を受けたという事実を公表することであり、勇気が要る。身内の反対や圧力を受ける。
強制不妊条項を削除した後も政府は「当時は適法に行なわれた。補償は困難」と言い続けた。そしてようやく制定されてから76年経って法の違憲性、人権侵害性が確定し、国の加害責任が認められたのである。
嫡出でない子(婚外子)の法定相続分を2分の1とする民法の差別規定は2011年の違憲判決で改正されるまで施行された。夫婦同姓を強制する民法750条は未だ残っている。成年後見が開始されると選挙権を失うとする旧公職選挙法の規定は、2013年の東京地裁の違憲判決で改正されるまで施行された。公職選挙法は138条で戸別訪問禁止、142条で文書図画配布の原則禁止などを定めており、これらは自由権規約に適合しないと自由権規約委員会から是正勧告を受けている。
在日外国人の指紋押捺制度は2000年に一旦廃止されたが、2007年に帰国時の指紋採取が特別永住者を除いて復活している。2024年6月施行の改定難民認定法では難民認定申請手続中でも強制送還が可能とされた。
精神保健福祉法には精神障害者の措置入院制度があり、退院請求制度の不備により、長期入院している患者は何万人もあり、世界に類を見ない。
警察が行なう違法捜査、証拠ねつ造は多くの重大な人権侵害を起こしてきた。
刑務所では被収容者の一挙手一投足を制約し、違反すると懲罰する。信書の発信など外部との交流を制約している。適切な医療が受けられず死亡した例も多い。
司法権(最高裁)は調停委員就任の国籍差別を改めようとしない。高校無償化(高等学校等就学支援金制度)についても朝鮮学校差別を正当化している。
政府(厚生労働大臣)は憲法25条が保障する生存権の侵害となる、「生活保護基準引き下げ」を行なった。この事件では生活保護費の減額に正当な根拠がなく、引き下げは生活保護法8条に違反するとして、その取消しを命じた地裁判決18件がある。2023年11月の名古屋高裁判決では違法な引き下げにより被った損害賠償も国に命じている。しかし国は上告して争っている。
地方公共団体では生活保護受給申請者を窓口で追い返す、「水際作戦」や必要な学資や自動車の保有を認めない等、不当な行政がしばしば行なわれている。
学術会議委員の任命でも政府は恣意的な任命拒否を行なって、学問の自由を侵害している。
▼p14掲載「権力による人権侵害-これとどう闘うか」続き
(1)合法だ、適法だという判断
法律や行政が人権侵害を行なっても、その違憲性を主張して国を相手に闘うことの困難さは、優生保護法最高裁判決も明言している。また行政は人権を侵害しても、「適法な法の執行だ」として改めない。人権侵害性を認めさせ、正す手段が限られていることが問題である。
(2)闘う手段はあるか
現行法制で人権侵害を主張し、権利回復を求める手段として、第一には裁判がある。しかし裁判所のもつ司法の現状には多くの問題点がある。裁判所はその主な使命を法秩序の維持としており、「人権の砦」としての役割を必ずしも果たし得ていない。司法権の自己抑制がポリシーとして存在し、「統治行為論」や「立法裁量論」を用いて、沖縄の基地被害、航空機騒音被害や社会保障政策、原発被害の国の責任を問う事件では、多くの場合行政に忖度した判断が行なわれる。背後に司法官僚による人事統制、裁判官と行政庁の役人である検察官との人事交流、裁判官への人権教育の欠如等がある。
また裁判所は国際人権条約を裁判規範とせず、民事訴訟法では条約違反を上告理由にしていない。何れの条約の個人通報制度も受け入れていない。
法務省は人権擁護局の活動を「人権擁護機関」と自称している。しかしこれがパリ原則にかなった人権機関とは到底認められないことは1998年の自由権規約委員会の総括所見以来、指摘されている。
実際、人権侵犯として取り上げた件数は、159件(2020年度)のうち、教育関係を除けば全刑務職員の2件であり、それも「侵犯事実不明」とされている。警察や刑務所を監視するオンブズマンの制度はなく、国家・地方公安委員会は警察を統制する力を持たない。
結局のところ、公権力による人権侵害を救済し、公務員に人権教育を行い、政策提言によって再発を防止するには、国連のパリ原則に則った国内人権機関(National Human Rights Institution)を創立する外ない。数多くの条約機関から勧告され続けており、2023年の人権理事会のUPR(普遍的定期的審査)でも30カ国を超える国から指摘されている。障害者権利条約33条2項は、条約監視機構としてその設立を義務づけているが、日本政府は今もって設立をしようとしない。
公権力による人権侵害をなくすためには「政府から独立した人権機関」を設立すべきである。その設立に向けた幅広い市民の運動が求められている。