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国際人権ひろば No.178(2024年11月発行号)

特集:ヒューライツ大阪30周年 「様々な人権課題の解決のために」(その2)

トランスジェンダーへの差別煽動、その現状と特徴~誤った議論に乗せられないために~

仲岡 しゅん(なかおか しゅん)
弁護士、うるわ総合法律事務所

 昨今のトランスヘイト煽動とその典型例

 昨今、ネット上でトランスジェンダーへの差別的なデマやヘイトが相次いでいる。記憶に新しいところでは、今年のパリ・オリンピックでの出来事だ。女子ボクシングに「元男性」のトランスジェンダーの選手が出場し、一方的に女子選手を叩きのめした、といった報道がネット上でなされた。これは一部のインフルエンサーが拡散したため炎上状態となり、トランスジェンダー脅威論とでもいうべき意見がネット上を駆け巡った。

 しかし、賢明な読者ならばご存じの通り、そのような投稿はデマであった。実際には、トランスジェンダーではない女性選手が、単に見た目や体つきへの先入観から勝手にトランスジェンダー扱いされたというのが事の真相であった。また、当該女性選手は女性でありながらY染色体がある性分化疾患だという報道もなされたが、それとて根拠の不確かな情報であるし、そもそも本人も公にしていない身体的特徴を第三者が詮索しようとすることそれ自体が著しくデリカシーと人権感覚を欠いた行ないだろう。結局、この騒動は、トランスジェンダーや性分化疾患への偏見の流布はもちろんのこと、何より当該女性選手の尊厳を傷つけたものであったといえる。

 こうしたデマが拡散される背景には、ここ数年、トランスジェンダーへのヘイトを煽動しようとする勢力の動きが存在する。トランスヘイト言説の特徴として典型的なのは、トランスジェンダーの存在を法的に承認すること、あるいは性別変更に関する法律によって、トランスジェンダーだと主張する男性が女性用のトイレや浴場などに侵入し放題になり、女性への性加害が容易になってしまうというものがある。更にそこから派生して、トランスジェンダー当事者、特にトランスジェンダーの女性に対してネット上でことさらに性別や容姿を男性扱いして侮辱するという事態が相次いでいる。

 そして、そういったトランスヘイト言説は、インターネット上から既に現実にも飛び出している。昨年は東京でトランスヘイトデモが開催され、またトランスジェンダー当事者である私に対する殺害予告が発生して刑事事件にもなるなど、現実社会にまで影響を及ぼす事態となっている。

 しかし、このようなヘイト側の問題設定のしかたは、現代の日本におけるトランスジェンダー当事者の置かれている社会状況や法制度の面からみて、あまりにもミスリードを誘うものであると言わざるを得ない。

 しつこく繰り返される「トイレ・風呂論争」

 トランスヘイトに関して典型的なのは、上述したように、トランスジェンダーだと主張する男性が女性用のトイレや浴場などに侵入し放題になり、性加害が容易になってしまう、という恐怖煽動である。このような言説は、2023年6月に成立したいわゆるLGBT理解増進法の成立過程において急速に広まり、モラル・パニック的な様相を呈している。

 しかし、上述のような言説はデマ、あるいは控えめにいっても大袈裟としか言いようがないものである。LGBT理解増進法にはトイレや浴場についての条文など存在しておらず、この法律によってそれまでのトイレや浴場の運用が何か変わるというものではない。またそもそも男性が社会的に男性のままの状態で、「自分はトランスジェンダーだ」と言いさえすれば女性用のトイレや浴場を自由に使えるという発想が、日本の法律実務からすれば非現実的なものである。

 そもそも、トランスジェンダーというのは、出生時に割り当てられた性別とは異なるジェンダー・アイデンティティーに基づいて生きる人々を指す総称である。そして、その人が、自己のジェンダー・アイデンティティーにしたがって性のあり方を切り替えていくことを「性別移行」あるいは「トランジション」という。つまり、トランスジェンダー当事者の中には、未だ自分のジェンダー・アイデンティティーを表に出さずに生きている人もいれば、性別を移行している最中の人、あるいは自分の望む性別で問題なく社会生活を送れている人まで、その人の性の移行状態は様々なのである。そしてその人の性別移行状態というのは、時間の経過や周囲との関係性によって変わり得るものであり、また移行の態様や程度は個人差が極めて大きいものである。

 その上で、我々は誰しも他者と共に社会生活を営んでいるわけであり、たとえ当人のジェンダー・アイデンティティーがどうであれ、その人にとってどういったトイレや浴場の使い方が適切かという問題は、当事者個々の性別移行の状況や生活環境によるとしか言いようがないのである。

 たとえば、トイレのように着衣のまま個室に入る場では、トランスジェンダー当事者が戸籍上の性別にしたがってトイレを使用すると、かえって周囲に混乱を及ぼす場合もあるだろう。逆に、当人の性別移行の状態からして、戸籍上の性別のトイレを使い続けているというケースもある。あるいは周囲の合理的配慮によって本人の望むトイレを使えているケースや、本人自身が多目的トイレの使用を求めているケースなどもあり、要するに個々人の状況や環境によって様々なのである。なお、この点について誤解している人が多いが、2023年に下された、経済産業省におけるトランスジェンダーの職員のトイレ使用制限を違法とする最高裁判決は、その当事者のその職場における事例についての判断であり、必ずしも一般化できる話ではない。

 他方、公衆浴場や温泉といった、不特定多数に身体を晒す場においては、いくらトランスジェンダーといえど性別適合手術などによって身体的特徴を変更していなければ、実際問題として周囲とトラブルになることは明らかだろう。つまり、そのような場ではジェンダー・アイデンティティー如何にかかわらず身体の形状にしたがって男女の区分けをせざるを得ないし、大抵のトランス当事者もそのことについては元から承知している。トイレとはまた場の性質が違うのである。

 またいずれの場合であっても、仮に盗撮などの違法な目的や態様で立ち入れば、性別にかかわりなく建造物侵入罪になり得るのであって、そもそもトランスジェンダーだからどうこうという問題ではない。

 このように、「トイレ・風呂論争」は、法律実務上の観点からすれば以上の通りとしか言いようがない話なのだが、このような論争ばかりがネット上で延々と繰り返されており、多くのトランスジェンダー当事者は疲弊している状況にある。

 デマやなりすまし、切り取り

 また、昨今はトランスヘイトに便乗して、意図的にデマを撒くネット上のアカウントや、なりすましアカウントも散見される。例えば、2023年の年始に発生した能登半島地震の際に、トランスジェンダー女性だと称するアカウントが、生理用のナプキンを奪うために包丁を振り回して暴れるなどという投稿がX(旧Twitter)上でなされた。

 しかし、そのアカウントの他の投稿などもよく見れば、いい加減な話を振りまくいわゆる「ネタ」アカウントに他ならないのだが、真に受ける人々が続出し、トランスジェンダー女性の危険性が叫ばれ、大炎上する事態となった。

 また、なりすましではないものの、トランスジェンダー当事者が何の気なく発した軽口や冗談などが前後の文脈を無視して切り取られ、「問題発言」としてことさらに取り上げられる風潮も存在する。もちろんその中には実際に問題発言と評価できるものもあるのだが、一部の例を殊更に取り上げてトランスジェンダーという属性全体を叩くのは、部落差別や民族差別にも共通する使い古された差別煽動の手法であるといえるだろう。

 ヘイト煽動に惑わされないために

 今やインターネットが誰でも気軽に使える時代となり、社会の欠かせないツールとなっている。しかし、それが同時に差別煽動の場となり、現実社会にまで影響を及ぼしているという残念な実態もある。インターネットには誰でも書き込めるぶん、そこにある情報には裏付けの怪しい情報も多く、玉石混交であるということを再認識すべきだろう。

 そして何より知っていただきたいのは、多くのトランスジェンダー当事者は、決して得体の知れないモンスターなどではなく、皆さんと同じようにこの社会を生きている等身大の人間に他ならないということだ。自分の属性に関するデマやヘイトを目にすれば、当然、心を痛めることもある。あなたが見ているスマホやパソコンの画面の向こう側には、気軽に書き込んだ心無い投稿が突き刺さっている誰かがいるかもしれないということを改めて認識してほしい。