Educational Policies and Human Rights Awareness: Linking Two Ends of the Human Rights Education Spectrum (Japanese)
教育政策と人権意識の高揚:人権教育の2極をつないで
ジェファソン・R・プランティリア
アジアにおける人権教育の多くの取り組みは、おそらく他の地域においてもそうであろうが、特定の集団に関わる問題への対処を目的としている。現時点で存在する諸課題に対応することをめざし、あるいは特定の領域における取り組みに焦点を当てている。
しかし、学校における人権教育は、特定の時点における特定の集団に関わる諸問題への対応に限定されるものではない。また、人権に関連する特定の取り組みだけに限られるわけでもない。社会において将来果たすべき役割に不可欠な人権に関する全般的知識や態度・技能を、生徒たちが獲得するのを促進することをめざしている。したがって、学校における人権教育は、学習の全体を対象とし、教育段階を上がるにつれて人権に関する概念や実践に対する学びをしだいに深められるようにする必要がある。学年や教科を超えて、多面的な経験が与えられるような人権教育であることが理想である。
したがって、学校における人権教育は、学級、学校、地域社会それぞれの場における適切な支援を必要とする。また、教員、管理職、教育行政担当者、ならびに地域の構成員や機関の支援も不可欠である。アジアにおける経験から、以上のことが言える。
教育政策と人権意識の高揚は、各国の人権教育において2つの極を構成している。教育に関連する憲法や法規定を含む教育政策、教育方針や行政的指示、人権全般や人権教育に関する国レベルの行動計画、そして学校カリキュラムは、それぞれ学校における人権教育を支援し、児童・生徒の人権意識に影響を及ぼすと思われる。
教育政策や人権意識に関して複数の国で実施した本調査は、次のような一連の問いに答えることを目的としている。アジアの学校における人権教育はどのような成果をあげているのか。アジアの学校における人権教育にとって政策が果たしている役割は何か。どのような支援が提供されているのか、またその支援はどのような広がりを持っているのか(学校、プログラム、活動、教材、対象となる地理的範囲、など)。これらの教育政策を発展させた要因は何であったのか。達成された成果と課題は何か。教育政策全般、および人権に関する生徒の理解と実践を改善するために何をなすべきか、といったことである。
日本、フィリピン、インド、スリランカからの報告を総合的に見ることで、アジアにおける経験の全体像が浮かび上がってくる。もっとも、アジア地域においてさらに多くの国々の経験を調査する必要があることは言うまでもない。
以下の記述は、4カ国の教育政策分析から読み取れる共通性、および各国の特徴について述べている。また、日本、フィリピン、インドの中等学校生徒の人権意識に関する調査結果も示している。
政策分析
日本、フィリピン、インド、スリランカの報告は、教育政策の発展に影響を及ぼし、また人権教育に直接的・間接的に影響を及ぼした全体的背景および各国固有の状況を明らかにしている。
一般的に言って、インド、スリランカ、フィリピンにおいては、いずれも植民地時代につくられた教育制度に対応して、新たな教育政策が発展していった。日本は、当時の欧米列強が有していた政治、経済、技術の水準に適合するために、19世紀後半から教育制度を変更した。つまり、「西側に追いつき、追い越す」ことを求めていたのである。
日本の報告では、人権概念をはじめて日本に紹介した19世紀後半の政治改革、および日本社会の被差別集団による平等への要求(部落差別撤廃運動)に応える1960年代以降の政府の取り組みを紹介している。
インドの報告では、「民主的で非宗教的な政治制度やインドの文化的多様性への尊重とその再構築」をめざした反植民地独立運動を指摘している。これは、インド憲法や人権教育を支援する各種法律の策定に大きな影響を及ぼしたものである。
スリランカの報告では、「脱植民地化の動き、あるいは閉鎖的な国家主義政策のもとで、国際的な人権基準や人権教育を必ずしも全面的に歓迎したわけではなかった」とし、民族間の武力紛争が1980年代初頭以降、人権教育を支援する必要性を高めたと述べている。
フィリピンの報告では、「民主主義の原則を確保し、独裁的支配を支持するいかなる武力行使にも反対する規定をつくるためのきわめて意識的で注意深い努力」が、1987年憲法において人権規定を強化し、その後学校に人権教育を導入する取り組みにつながったことを強調している。
これらの報告はまた、国際社会からの働きかけが各国において人権や人権教育のための取り組みをさらに発展させることを促したとしている。
(スリランカ政府が人権教育プログラムを開始するうえで、)最初の、そしてもっとも強力な要因は、1978年にオーストリアのウィーンでユネスコが開催した「人権の教授に関する国際会議」以降、国連が人権教育に重点をおくようになったことであった。
また、1980年にスリランカが経済的、社会的、文化的権利に関する国際規約と市民的、政治的権利に関する国際規約(国際人権規約)に加入したことも、同国における人権に関わる画期的できごとであった。以来、スリランカは市民的、政治的権利に関する国際規約の第二選択議定書を含む、17におよぶ人権関連の国際文書に批准している。
1994年に国連が「人権教育のための国連10年」(国連10年)を宣言したが、これはその前年に開催された世界人権会議の直接の成果であり、日本とフィリピンの人権教育政策に影響を与えた。国内における社会的運動の要請もあって、日本政府は1997年に一連の人権教育政策を打ち出した。その中には、法律、国内行動計画、その他国連10年の呼びかけに応える各種取り組みが含まれている。フィリピン政府も、やはり非政府セクターやフィリピン人権委員会の要請を受けて、1997年に国内行動計画を採択し、その後人権教育に関する一連の行政措置をとった。一般的に、学校における人権教育の推進を求める議論は、人権に直接的あるいは間接的に関わる法的・行政的措置が存在するかどうかに依拠している。
4カ国の報告は、国際人権基準を反映した憲法上の規定の存在に言及している。日本、フィリピン、インド、スリランカの憲法は、いずれも市民的、文化的、経済的、政治的、社会的権利を含んでいる。これら人権に関わる憲法上の規定は、原則の表明、権利章典、特定の問題に関する規定などの形で存在している。
1946年の日本国憲法は、「人権」ということばを用いている。同憲法第10章は「最高法規」と題され、「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」としている。
他方、1987年のフィリピン憲法は、(権利章典とは別に)「社会正義と人権」と題された人権に関する条文をもっており、そこには「前の憲法にはなかった健康、女性、民衆組織の役割と権利、および人権」についての規定が含まれている。
インドとスリランカの憲法は、「基本的権利」の規定を一連の「基本的義務」で補完している。1976年のインド憲法の修正条項によると、すべての市民は「憲法に従い、その理想と制度を尊重し、自由を求める国民の戦いを鼓舞した崇高な理想を大切にするとともにそれに従い、宗教・言語・地域、あるいは地方の多様性を超えて、すべてのインド人民の間に調和と同胞愛の精神を提供し、女性の尊厳を傷つける慣習を打破する…」義務を負っていることをうたっている。
1978年のスリランカ憲法のもとでは、権利と自由の行使と享受は、義務と責任を果たすことと不可分であり、したがってすべてのスリランカ人には以下の義務がある、としている。 ①憲法と法を支持し、守ること ②国益を増進し、国家統合を強化すること ③自らに与えられた職業において良心的に働くこと ④公共の財産を大切に守り、その乱用や無駄遣いと戦うこと ⑤他者の権利と自由を尊重すること ⑥自然を守り、その豊かさを保全すること (「国家政策の指示原則と基本的義務」1978年憲法、第6章、第28条)。
日本国憲法(1946年)第三章は「国民の権利及び義務」と題されており、「基本的人権」について定めるとともに、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う。」としている(第12条)。
スリランカの報告では、憲法が国際人権基準を十分カバーできていないとしている。スリランカ憲法は、生命への権利に関する明確な規定をもっておらず、また経済的、政治的権利を保障する規定もない。
憲法上の権利や基本的権利(ならびにインドやスリランカにおける基本的義務)に関するこれらの規定は、4カ国の学校における人権教育の内容として含まれている。
1987年のフィリピン憲法は、すべての教育機関における人権教育に関する規定をもっている。4カ国の中でも、人権教育に関する明確な規定を持っている憲法としては唯一のものである。
4カ国における人権教育を支援する教育政策は異なった特徴をもっている。インドとスリランカの教育政策は、人権に関わる具体的な政策は持っていないものの、人権教育に対して支援的であると解釈されている。
インドの教育政策は、人権を支持する「共通のコア科目と新たな領域に関するカリキュラムの枠組み」のもとで、基本的なガイドラインを示しており、こうしてすべての人が平等であることの認識が、コアカリキュラムによって作り出される。その目的は、社会的環境や出自による偏見やコンプレックスを除去することである。
他方、日本とフィリピンは人権教育に関する具体的な法的措置をもっている。法律(大統領行政命令を含む)、行政指令、および人権教育に関する国内行動計画が両国に存在する。両国とも、学校における人権教育を直接的、間接的に支持する国内法を持っている(日本の場合:1969年の同和対策事業特別措置法、および2000年の人権教育・啓発推進法; フィリピンの場合:1986年7月4日付けの「人権への尊重を最大化するための教育」と題された大統領行政命令、および2002年の全国人権意識高揚週法)
また、人権教育に関する国の行動計画もあり(フィリピンの人権教育10年行動計画(1998年~2007年)、および日本の人権教育・啓発基本計画)、学校における人権教育もそこに含まれている。フィリピンの報告においては、女性、子ども、先住民に関する国内行動計画も触れられており、これらもそれぞれの分野に関連した学校における人権教育を支えるものである。
4カ国は、過去10年間に学校のカリキュラム(インドの場合はカリキュラムの枠組み)を改革した。人権教育に対するカリキュラム上の支援の度合いは、国によって異なる。4カ国はすべて人権教育について統合的なアプローチをとっており、社会科学関連科目(社会科、歴史)や言語科目など、いくつかの科目で教えられているようである。
「平等主義、民主主義、教育宗教分離主義、両性の平等、社会的障壁の除去」の推進をめざすインドの教育政策は、「教科横断的にすべての教育内容と教育過程」において人権を統合することを求めた2005年の『ナショナルカリキュラムの枠組み』によって、その後強化された。
さらにカリキュラムにおいては、人権教育を含むと考えられる総合的な学習の領域もある。日本の「総合学習」やフィリピンの「マカバヤン学習領域」などである。日本の「総合学習」は「自然や人間関係についての直接的経験」を生徒たちに提供するさまざまなテーマを扱うものとして幅広く解釈されている( UNESCO 2005, 17)。人権は教師が総合学習の対象としてとりあげるのに適切なテーマである。他方、フィリピンの「マカバヤン」は社会科や価値教育を含んでおり、その中に人権の内容が盛り込まれていると考えられる。
日本、フィリピン、スリランカの報告は、人権教育に対する政府の支援の歴史についても触れている。日本では1960年代半ばに「同和教育」と呼ばれる人権教育プログラムが始まった。スリランカにおいては1980年代初めに、またフィリピンにおいては1980年代半ばに同様のプログラムが始まった。これらのプログラムは、3つの国において人権教育の重要性が早くから認識されていたことを示している。
日本とスリランカは、人権教育を担当する政府の特別な部署がある。日本の「人権教育のための国連10年推進本部」とスリランカの「スリランカ財団」は人権教育政策とプログラムの実施を支援した。しかし、日本、フィリピン、スリランカにおいて、学校における人権教育プログラムの実施に主要な役割を果たすのは、はやり文部科学省や教育省である。
また、国内人権機関も一般的に人権教育において重要な役割を果たす。国内人権機関は、フォーマルおよびノン・フォーマルの両方において人権を推進する特別な任務をもっている。インド、スリランカ、フィリピンの報告は、人権教育に関する教育政策の発展において、国内人権機関が果たした役割にふれている。
報告では教育省とともに行った取り組みや教室での授業。あるいは教員研修に役立つ教材の作成支援が述べられている。インドの報告では、「性、カースト、宗教、障害にもとづく差別」というテーマのもとで2003年に国内人権機関が作成した「教員および教員研修担当者の人権感覚を高めるハンドブック」の重要性が述べられている。また、2002年のグジャラート州における大虐殺の調査報告書が与えた大きな教育的影響についても紹介している。
フィリピンの報告は、フィリピン人権委員会が1990年代初期にフィリピン教育省との間でパートナーシップを確立したことにふれ、これが人権教育ガイドから教員研修におよぶ一連の取り組みにつながったことを紹介している。
4カ国の教育政策と学校カリキュラムの分析は、人権教育を阻害する弱点も明らかにしている。要約するとそれらの弱点は、以下のようにさまざまな、そして矛盾する形を示している。
ア.4カ国における現在の一般的な教育政策は、人権教育について明示的には
述べていない。学校で人権について教えることが人権教育であるとみなされている。インドの報告にあったように、インドの教育政策は人権教育の「幅広い枠組み」を示していると考えられている。同様に、現在の学校カリキュラムは人権教育について明確に示しているわけではない。人権教育を支持するような形で学校の基本的なカリキュラムを変更することは、そのためのコスト、教育レベルに与える影響、権利を重視して義務を無視するのではないかとの恐れ(日本)などから、問題があると考えられている。他方、学校カリキュラムにおける最近の改革は、人権に何も触れていない(フィリピンとスリランカ)か、あるいは人権教育がもたらす革新の余地を制限する形で試験を強調する(インド)か、という状況になっている。
イ.フィリピンと日本の場合、学校における人権教育は特別な、そして具体的
な教育政策によって支援されている。しかし、すべての学校で全面的な取り組みを保障するだけの財政的支援、モニタリング、あるいは責任体制を欠いている。
ウ.日本の人権や人権教育に関わる法律や計画は、不十分な人権概念に基づくものであるとして批判されている。フィリピンでは、施策がうまく調整されていないため、限られた資源を最大限活かすような形になっていないとして批判されており、意味ある成果をあげるために必要な教育システムのすべての要素をカバーできていない。
エ.人権を教えたり学んだりすることがカリキュラムに含まれている場合、「規則、規定、義務、責任」に力点が置かれていたり(スリランカ)、明確に国際人権基準にふれずに国内の法律や憲法に言及されていたりする(インド、フィリピン)。
オ.カリキュラム設計において、生徒の忠誠や義務を求める形で「愛国心」や「ナショナリズム」が強調される結果、人権が無視されている(フィリピン、日本、スリランカ)。
人権教育の核となるのは国際人権文書に盛り込まれた人権の理解と行使である(UNESCO 1978).2 そのため、教育政策や学校のカリキュラムにおいて言及されている「権利」が国際人権基準に由来するものかどうかを明確にする必要がある(例:各国が批准し、国連がモニターしている条約、規約、合意、議定書など)。
日本の報告においては、日本政府の人権教育政策文書における人権の定義に問題があると説明している。人権は主に、人間関係に関わる問題として扱われているためである。問題は2つある。ひとつは、人権をもっぱら差別の問題として人々に認識させること。もうひとつは、人権は政府と人々の間に存在する問題であるという重要な側面を見落としていることである。日本の教育政策における「人権」の定義は、国際人権基準に則していないようである。
フィリピンの報告においては、人権教育に関する初期の法律において国際人権基準に言及していることを述べている(大統領行政命令27、1986年)。しかし、その後の人権教育政策文書をみると、女性、子ども、先住民族に関する法律や行動計画において、特定の国際人権基準あるいは関連する人権教育の取り組みに言及しているものの、国際人権基準・文書への言及には一貫性が見られない。
インドの報告は、1988年の初等・中等教育に関する「ナショナルカリキュラムの枠組み」文書において、社会科学科目の目標の中に人権への関心が含まれていることを紹介している。2005年の「ナショナルカリキュラムの枠組み」は、国際人権基準に基づいて各種科目に人権を統合することを紹介している。
社会的結合、世俗主義、国民統合、社会主義、基本的権利、基本的義務、国家政策の指導的原理、そして環境など、インド憲法とその前文にうたわれている人権概念に合致した価値観や考え方については、学校の教科、とくに社会科において適切なスペースを与えるべきである。国連憲章と世界人権宣言において定義された人権と基本的自由は、すべての教科領域を含む教育課程全体に浸透する必要がある。
教育政策がただ人権を含んでいるということだけでは問題が生じる。国際人権基準への明確な言及がなければ、教育者たちは憲法や法律上の権利としてのみ「権利」を狭く解釈し、国際人権基準と切り離す可能性がある。
同様に、教育政策や学校カリキュラムにおいて「権利」がただ述べられているだけでは、国際人権基準に従っていることを約束しない。フィリピンの小学校カリキュラムでは、「権利」はかならずしも「人権」と同じではない。「権利」が市民権との関係で述べられているため、1987年フィリピン憲法と法律がうたった権利だけを意味している可能性がある。
スリランカの場合、従来とは異なり、市民性を教えるために提起された新しいカリキュラム単元は人権にふれていない。その溝を埋めるために、新カリキュラムの単元を人権と関連付ける必要がある(HURIGHTS OSAKA 2006年)。3
人権意識調査
中等学校生徒対象のフィールド調査を、インドとフィリピンのいくつかの地域、また日本のある府県で実施した。表1は回答者の数と性別、および対象となった学校の所在地とタイプを示している。
表1.調査対象地域と回答者
国 |
地域 |
学校数 |
回答者数と性別 |
インド |
東部:西ベンガル、オリッサ
西部:ラジャスタン
南部:タミールナドゥ、ケララ
北部:ウッタル・プラデーシュ、パンジャブ
首都地域:デリー
|
29校:
国立学校
州立学校
大学附属学校 |
2039人
(女子 979人、男子1060人) |
フィリピン |
首都:マニラ、ケソン市
リージョン4(南タガログ):
ラグーナ地方、サンバプロ市
リージョン7(東ヴィサヤス):
セブ地方、セブ市
ムスリムミンダナオ自律地域:
マギンダナオ地方、コタバト自治体 |
26校
(公立16校、私立10校) |
2011人
(女子1050人、男子805人、不明26人)
|
日本 |
大阪府 |
私立学校:5女子高、4男子校、6共学校 |
2635名(女子858人、男子1752名、不明25名) |
調査で用いられた変数は、表2に示すように国によって異なる。
表2.各国で用いた変数
国 |
変数 |
インド |
ジェンダー
州
言語
居住地(大都市、大きな町、小さな町、地方)
教育委員会(州、中央、アリガームスリム大学教育委員会) |
フィリピン |
ジェンダー
宗教
エスニシティ(キリスト教徒、イスラム教徒)
地域(都市、一部都市)
学校のタイプ(私立、公立) |
日本 |
ジェンダー
学校のタイプ(女子校、男子校、共学校) |
調査で用いた69の質問項目が、表3にカテゴリー別で示されている。
表3. 質問項目の分類
人権に関する一般的知識 |
3項目 |
人権文書に関する知識 |
6項目 |
一般的な人権原則・人権問題 |
21項目 |
人権状況(とるべき適切な行動) |
10項目 |
人権状況(人権侵害・非侵害による分類) |
9項目 |
教授・学習過程、教材、学校の雰囲気 |
20項目 |
合計 |
69項目 |
各国の状況に合わせて質問紙を作成したため、いくつかの質問項目は異なった表現になっている。フィールド調査の全体的な結果に関する議論において、このような質問項目をめぐる表現の違いがある場合はそのつど言及している。
フィールド調査の結果は、生徒の回答に見られる共通性と違いを示すために比較対照表にまとめられた。以下にコメントとともにその表を示す。なお、コメントに登場する数字は、四捨五入されている。
1.人権の知識
表4. 人権の知識(国別)
|
インド 2039名 |
日本 2635名 |
フィリピン 2001名 |
合計 |
||||
|
F* |
% |
F |
% |
F |
% |
F |
% |
人権の知識 |
||||||||
はい |
2005 |
98.3 |
2493 |
94.6 |
1928 |
96.4 |
6426 |
96.26 |
いいえ |
11 |
0.5 |
112 |
4.3 |
30 |
1.5 |
153 |
2.29 |
無答 |
23 |
1.1 |
30 |
1.1 |
43 |
2.1 |
96 |
1.44 |
合計 |
2039 |
100 |
2635 |
100 |
2001 |
100 |
6675 |
100 |
世界人権宣言についての知識* |
||||||||
はい |
1353 |
66.4 |
1020 |
38.7 |
599 |
29.9 |
2972 |
44.52 |
いいえ |
604 |
29.6 |
1570 |
59.6 |
1356 |
67.8 |
3530 |
52.88 |
無答 |
82 |
4 |
45 |
1.7 |
46 |
2.3 |
173 |
2.59 |
合計 |
2039 |
100 |
2635 |
100 |
2001 |
100 |
6675 |
100 |
子どもの権利条約についての知識** |
||||||||
はい |
1480 |
72.6 |
1454 |
55.2 |
1134 |
56.7 |
4068 |
60.94 |
いいえ |
441 |
21.6 |
1133 |
43 |
813 |
40.6 |
2387 |
35.76 |
無答 |
118 |
5.8 |
48 |
1.8 |
54 |
2.7 |
220 |
3.30 |
合計 |
2039 |
100 |
2635 |
100 |
2001 |
100 |
6675 |
100 |
注:度数(F)、比率(%)
*世界人権宣言
**子どもの権利条約
3カ国すべてにおいて、調査された中等学校生徒のほぼ全員(96%)が人権について知っていると答えた(表4)。しかし、具体的な人権文書についての認知度はもっと低い数字であった。回答者の45%が世界人権宣言を知っていると答え、61%が子どもの権利条約を知っていると答えた。
日本とフィリピンにおいて、回答者の30%~39%が世界人権宣言を知っていると答えたのに対し、インドでは67%がそのようにと回答した。子どもの権利条約の場合、数字はさらに高くなり、日本とフィリピンでは55%~57%、インドではおよそ73%が知っていると答えた。3カ国いずれにおいても、子どもの権利条約の方が世界人権宣言より認知度が高かった。
表5. 人権に関する知識をどこで得たか*
知識源 |
インド 2039名 |
日本 2635名 |
フィリピン 1928名** |
|||
|
F |
% |
F |
% |
F |
% |
家族、親 |
1134 |
55.6 |
756 |
28.7 |
1510 |
78.3 |
メディア |
1480 |
72.6 |
1743 |
66.1 |
1165 |
60 |
インターネット |
187 |
9.2 |
201 |
7.6 |
446 |
23.1 |
政府機関 |
250 |
12.3 |
334 |
12.7 |
503 |
26.1 |
近所 |
212 |
10.4 |
54 |
2 |
544 |
28.2 |
学校 |
1632 |
80 |
2172 |
82.4 |
1615 |
83.8 |
法的文書 |
273 |
13.4 |
231 |
8.8 |
251 |
13 |
その他 |
131 |
6.4 |
92 |
3.5 |
145 |
7.5 |
*選択肢は複数
**人権の知識に関して「はい」と回答した数にもとづく
インドと日本の回答者は、人権についての知識をまず「小学校」で、つぎに「メディア」から得たとしている(表5)。フィリピンでも一位は「小学校」だが、第二位は「家族・親」となっている。ただ、インドと日本の質問紙では「新聞・雑誌」、「テレビ・ラジオ」となっているのに対して、フィリピンの質問紙においては「メディア」、「新聞・雑誌」、「テレビ・ラジオ」となっていることをおさえておく必要がある(Nava, et al., 2006)。したがって、フィリピンの場合、これら3つの項目を選んだ回答を合計すると、人権についての知識源としてメディアが第二位となる。
フィリピンとインドでは「家族・親」が重要な知識源となっているのに対し、日本ではそれほどでもない。
インターネットは3カ国ともあまり人権についての知識源になっていない。インドとフィリピンの場合、インターネットがあまり普及していないことが大きな理由のひとつと考えられるが、インターネットへのアクセスがきわめて広がっている日本において、インターネットを知識源とする回答率は低く、この2カ国とあまり変わらない。この結果は、人権の推進においてインターネットをさらに有効活用する方法を見出す必要性を示している(インドとフィリピンにおいてインターネットへのアクセスを高めることに加えて)。
表6. 人権の遵守と享受
|
インド 2039名 |
日本 2635名 |
フィリピン 599名* |
合計 |
||||
|
F |
% |
F |
% |
F |
% |
F |
% |
人権の遵守 |
||||||||
一部の国で |
183 |
9 |
119 |
4.5 |
204 |
34.1 |
506 |
9.60 |
すべての国で |
1506 |
73.9 |
2062 |
78.3 |
379 |
63.3 |
3947 |
74.85 |
無答 |
350 |
17.2 |
454 |
17.2 |
16 |
2.7 |
820 |
15.55 |
合計 |
2039 |
100 |
2635 |
100 |
599 |
100 |
5273 |
100 |
人権の享受 |
||||||||
一部の国で一部の人が |
114 |
5.6 |
63 |
2.4 |
104 |
17.4 |
281 |
5.33 |
一部の国ですべての人が |
136 |
6.7 |
107 |
4.1 |
126 |
21 |
369 |
7 |
すべての人が |
1467 |
71.9 |
2021 |
76.7 |
343 |
57.3 |
3831 |
72.65 |
無答 |
322 |
15.8 |
444 |
16.9 |
26 |
4.3 |
792 |
15.00 |
合計 |
2039 |
100 |
2635 |
100 |
599 |
100 |
5273 |
100 |
*「世界人権宣言を知っている」とした回答数に基づく
大部分が人権は普遍的であると正しく回答したが、多くの人は人権概念を適切に理解しているとはいえない(表6)。無回答がかなり多く(16%)、約10%の回答者が人権の普遍性に同意しなかった(「人権はあらゆる国のすべての人に適用される」)。インドでは、デリーやケララなどの大都市、あるいは英語で教育が行われている学校の場合、人権の普遍性に同意した回答者の数は61%~68%と高い一方、無答もかなりあった。日本では無答が17%であった。フィリピンでは、平均して60%が人権の普遍性に同意した。この質問が「すべての人の人権が尊重されているかどうか」をたずねているものと受け取った回答者が一部に存在した可能性も否定できないが、さらに検討する必要がある。
3. 人権概念の理解と適用
インドとフィリピンの調査だけが、人権概念の理解と適用に関する質問紙の3つの部分を含んでいる。それらは、人権概念の知識・理解、人権にかかわる状況における適切な行動についての正しい理解、人権侵害についての正しい理解、である。質問紙のいくつかの項目において、それぞれの表に示されているように、違った表現が用いられている。
ア.一般的な人権の原則と問題
人権概念の知識・理解に関する質問に対して、回答者は21の表現を与えられ、それに同意するか否かを問われた。おかれた状況によって回答者がどのように違った解釈をおこなったかについて、解釈には幅があるが、インドとフィリピンの回答者は、8つの表現を人権概念にあたると正しく回答した。他の説明については、さまざまな結果が出ている。
両国において以下の4つの表現については90%以上が正しく回答した。
表7. 人権概念の知識・理解
状況 |
インド |
フィリピン |
||
F |
% |
F |
% |
|
3.青少年は尊重されるべき権利をもっている |
1854 |
90.9 |
1903 |
95.1 |
4.人権はすべての人の関心事であるべきだ |
1906 |
93.5 |
1863 |
93.1 |
5.人間であることによって、私たちは人権をもっている |
1840 |
90.2 |
1829 |
91.4 |
16.すべての人はだれと結婚するか自分で決めるべきだ/すべての人はだれと結婚するか決める権利がある。 |
1868 |
91.6 |
1839 |
91.9 |
表現3、4、5、16は「青少年にとって主要な関心事」と考えられており、正答率が高くなっている。
表7A. 人権概念の知識・理解
状況 |
インド |
フィリピン |
||
F |
% |
F |
% |
|
2.すべて人は生まれながら平等である |
1650 |
80.9 |
1448 |
72.4 |
6.男性と女性は平等である |
1796 |
88.1 |
1477 |
73.8 |
8.裕福な人々は貧しい人々より多くの権利を持っている |
1456 |
71.4 |
1789 |
89.4 |
17. 雇用を提供することは、州や政府の責任である |
1606 |
78.8 |
1749 |
87.4 |
これら第二グループの表現については、正答率がやや下がるものの、平均して70%~89%といぜん高い比率になっている(表25A)。
残りの表現について、回答は以下のようになっている。
フィリピンとインドにおいて、表現1(「政府が私たちに人権を与える」)に正しく回答したのは、それぞれわずか23%、24%であった。フィリピンの報告書では、人権の固有性を多くの人が正しく理解できていないことによると説明している。インドの報告でも、多くの人が正しく理解できていないとしているものの、この表現1や表現7(「政府だけが私たちの人権を守ることができる」)に対する回答の解釈にあたって、人権は法律となったときにはじめて実効性をもつと考えられていることを考慮する必要性を示唆している。そのように考えれば、インドの多くの回答をもっと適切に評価する必要性があるのかもしれない。
表現9(「自分の権利を尊重して欲しいのであれば、他者の権利を尊重しなければならない」)は、さまざまな解釈がなされている。インドの報告書ではこの表現を正しいとしているのに対し、フィリピンでは逆になっている。つまり、相補性の原理ではなく、人権の固有性ゆえに人権は尊重されるべきと説明している。この見方にもとづくと、フィリピンでは正答率が3.1%であったのに対し、インドの解釈によれば92.3%が正しく答えたということになる。
表現20はフィリピンとインドで異なっており、「人権は絶対的自由を意味する」と「人権は自ら欲することをなす自由を意味する」となっている。このことから、解釈にばらつきが生じたのかもしれない。正答率がフィリピンでは77.2%であったのに対して、フィリピンでは36.8%であった。フィリピンの報告書では、人権が「何であっても、自分が欲することをなすことの認可」と考えるのは間違っていると説明している一方、インドの報告書では人権を「自分が望むことをなす自由」とみなすことは間違っていないとしている。
イ.人権状況(とるべき適切な行動)
この部分には10の表現があり、3つの選択肢から答えを選ぶ形になっている。インドとフィリピンにおいて、つぎの3つの表現だけが少なくとも70%の正答率を得た。
表8. 人権にかかわる状況でとるべき適切な行動を正しく理解している人数と比率
状況 |
インド |
フィリピン |
||
F |
% |
F |
% |
|
1. 地域に麻薬密売人と思われる人物がいた場合、地方自治体は何をすべきか?/地域に麻薬密売人と思われる人物がいた場合、政府は彼らにどう対処すべきか? |
1472 |
72.2 |
1716 |
85.8 |
5. 先住民が居住する地域で、木材の伐採を始めた会社があった。地元の人々は自治体に対して、伐採を止めるよう/介入するよう求めた。自治体は何をすべきか? |
1694 |
83.1 |
1757 |
87.8 |
9.店から商品を盗み出した人物を警察が捕まえた。警察はどうすべきか? |
1841 |
90.3 |
1783 |
89.1 |
インドとフィリピンにおいて、以下の表現に対する正答率は45%未満であった。
表・A. 人権にかかわる状況でとるべき適切な行動を正しく理解している人数と比率
状況 |
インド |
フィリピン |
||
F |
% |
F |
% |
|
2. セメント会社が12歳の子どもを雇って仕事をさせている。このことに対してどうすべきか。 |
775 |
38.0 |
823 |
41.1 |
6. 国営企業/政府の建物の前で電力料金の値上げ反対の集会が行われ、交通渋滞を引き起こしている。警察がやってきたが、警察は何をすべきか。 |
417 |
20.5 |
217 |
10.8 |
8. 政府は「反テロと平和・秩序維持活動」のために道路で検問を実施することを決めた。政府は正しいか。 |
268 |
13.1 |
192 |
9.6 |
10. テロリストと目される人物がいる。法廷で有罪とされるまで、彼・彼女は無実であるとみなされる権利があるか。 |
803 |
39.4 |
797 |
39.8 |
これらの表現は難しいものではないが、インドとフィリピンの多数の回答者が、人権を支持する答えをすることができなかった。「テロリスト」や「反テロリズム」についての表現に対する回答はきわめて矛盾している。
「テロリスト」と目される人物に対して、無実であることを前提にするよりも、有罪として扱うかあいまいな見方をするかのいずれかである。しかし、反テロ活動の一環としての検問の場合、移動の自由は制限されるべきではないとして、政府が間違っていると考えたのである。
全体的に、この部分の正答率は低かった。
ウ. 人権状況(人権侵害・非侵害の分類)
この部分では、人権侵害にあたるか否かを9つの表現について問うている。それらは以下のとおりである。
1.裁判が行われないまま長期にわたってある人物が獄中に囚われている。
2.食糧を買うお金がないために、ある国で人々が死んでいる。
3.政府を批判したために、ある人が投獄された。
4.選挙に参加できるのは、ひとつの政党だけである。
5.生計を賄うために多くの子どもたちが学校に行けない。
6.子どもたちがうるさいからと教師が子どもたちをなぐる。
7.男の仕事だからと、女性にその仕事が与えられない。男性が優先されるために、女性に仕事が与えられない。
8.別の地域、地方、国からやってきた家族に、家主が家を貸すことを拒否する。
9.外国投資を奨励するために賃金が低く抑えられている。
どの設問も正解率は75%に満たず、インドとフィリピンでは45%を下回った。全体では、正解率は55%~69%がほとんどであった。回答者の視点を考慮すれば、正解と思われるものもいくつかあった。インドの報告が述べているように、おかれた状況によって、回答者の見方が異なっていたのかもしれない。しかし、人権侵害か否か、適切に分類できなかった回答者の比率はかなり高く、懸念がもたれるのも当然であろう。
3.学習過程、教材、学校の雰囲気
ア. 学校カリキュラム
表9: 学校における人権教育
|
インド 2039名 |
日本 2635名 |
フィリピン 2001名 |
合計 |
||||
|
F |
% |
F |
% |
F |
% |
F |
% |
はい |
1838 |
90.1 |
2066 |
78.4 |
1883 |
94.1 |
5787 |
86.70 |
いいえ |
158 |
7.7 |
509 |
19.3 |
94 |
4.7 |
761 |
11.40 |
無答 |
43 |
2.1 |
60 |
2.3 |
24 |
1.2 |
127 |
1.90 |
合計 |
2039 |
100 |
2635 |
100 |
2001 |
100 |
6675 |
100 |
表10. 人権の教え方
|
インド 2039名 |
日本 2635名 |
フィリピン 883名* |
合計
|
||||
|
F |
% |
F |
% |
F |
% |
F |
% |
独立科目 |
364 |
17.9 |
550 |
20.9 |
248 |
13.2 |
1162 |
17.72 |
科目の一部 |
935 |
45.9 |
1242 |
47.1 |
1320 |
70.1 |
3497 |
53.33 |
課外活動の一部 |
573 |
28.1 |
259 |
9.8 |
308 |
16.4 |
1140 |
17.39 |
無答 |
167 |
8.2 |
584 |
22.2 |
7 |
0.4 |
758 |
11.56 |
合計 |
2039 |
100 |
2635 |
100 |
1883 |
100 |
6557 |
100 |
* 学校で人権教育が実施されているかどうかについて、生徒が「はい」と回答した数にもとづく
多くの回答者は、学校で人権が教えられていると答えた(表9)。各種教科で人権が教えられていると答えた割合は50%以上であったが、独立した人権科目があるとした回答が18%もあったことは注目される(表10)。3カ国いずれにおいても、学校カリキュラムの中に独立した人権科目は存在しない。人権に関係した課外活動のことを「独立した科目」として誤解したのかもしれない。
インドの報告で説明されているように、ひとつの理由としては、カリキュラムに規定された科目よりも、課外活動において人権問題がより顕在的に教えられていることが考えられる。そのため、「独立した科目」とみなされたのであろう。あるいは、各教科において独立したトピックとして人権が扱われていることが、そのように受け止められたのかもしれない。
表11: 人権教育の頻度
|
インド 2039名 |
日本 2635名 |
フィリピン 1568名 |
合計 |
||||
|
F |
% |
F |
% |
|
F |
% |
F |
ときどき |
581 |
28.5 |
507 |
19.2 |
475 |
30.3 |
1563 |
25.04 |
しばしば |
478 |
23.4 |
1168 |
44.3 |
771 |
49.2 |
2417 |
38.72 |
非常にしばしば |
791 |
38.8 |
371 |
14.1 |
310 |
19.8 |
1472 |
23.58 |
無答 |
189 |
9.3 |
589 |
22.4 |
12 |
0.8 |
790 |
12.66 |
合計 |
2039 |
100 |
2635 |
100 |
1568 |
100 |
6242 |
100 |
表12: 人権が教えられている科目 (複数選択)
|
インド 2039名 |
日本 2635名 |
フィリピン1320名* |
|||
関係科目 |
F |
% |
F |
% |
F** |
% |
言語・英語 |
415 |
20.4 |
31 |
2.5 |
348 |
26.4 |
科学 |
182 |
8.9 |
12 |
1 |
192 |
14.5 |
数学 |
90 |
4.4 |
13 |
1 |
90 |
6.8 |
歴史 |
596 |
29.2 |
84 |
6.8 |
501 |
38.0 |
社会科・社会科学* |
1346 |
66.0 |
56 |
4.5 |
1064 |
80.6 |
音楽、芸術、体育 |
198 |
9.7 |
36 |
2.9 |
255 |
19.3 |
その他** |
255 |
12.5 |
797 |
30.2 |
359 |
27.2 |
*社会科学・社会科には、実際には歴史も含まれる
**その他:道徳教育、市民性教育、一般教養、総合学習
人権について教えられている頻度については、全体平均で39%が「しばしば」と回答し、24%が「非常にしばしば」と回答した(表11)。「しばしば」と「非常にしばしば」を合わせると、60%以上になる。
インドでは66%、フィリピンでは80%と、ほとんどが社会科・社会科学において人権が教えられていると答えた(表12)。科目として歴史をあげたのはずっと少なく、インドでは29%、フィリピンでは38%であった。しかし日本では、社会科・社会科学が4.5%に対し、歴史の方が6.8%と多かったが、いずれの数字もきわめて低いものであった。日本とフィリピンの場合、他の科目(道徳、市民性教育、一般教養、総合学習など)で教えられていると回答した割合がかなり高く、それぞれ30%と27%であった。インドでは、そのように回答したのはわずか1.5%であった。
表13: 人権教育で使用される教材(複数選択)
|
インド 2039名 |
日本 2635名 |
フィリピン1320名* |
合計 5994名 |
||||
|
F |
% |
F |
% |
F** |
% |
F** |
% |
教科書 |
1331 |
65.3 |
383 |
14.5 |
811 |
61.4 |
2525 |
42.1 |
法律 |
390 |
19.1 |
86 |
3.3 |
339 |
25.7 |
815 |
14 |
国連文書 |
254 |
12.5 |
64 |
2.4 |
101 |
7.7 |
419 |
7 |
AV教材 |
265 |
13.0 |
468 |
17.8 |
300 |
22.7 |
1033 |
17.2 |
新聞・雑誌記事 |
968 |
47.5 |
328 |
12.4 |
654 |
49.5 |
1950 |
32.5 |
エッセイ・小説・物語 |
-- |
-- |
239 |
9.1 |
661 |
50.1 |
900 |
15 |
*インドの場合、「エッセイ・小説・物語」は「新聞・雑誌記事」に含まれている
教材として「教科書」は42%、「新聞・雑誌記事」は32.5%と、いずれも半数に満たなかった。「AV教材」、「エッセイ・小説」「法律」を選んだのはさらに少なかった。3カ国においてもっとも使用されていなかったのが「国連文書」であった(表13)。
表14:生徒の人権活動への関与(複数回答)
|
インド 2039名 |
日本 2635名 |
フィリピン 2001名 |
|||
|
F |
% |
F |
% |
F |
% |
教室・学校内(カリキュラム) |
||||||
ディベート |
1007 |
49.4 |
194 |
7.4 |
1047 |
55.6 |
グループワーク |
675 |
33.1 |
203 |
7.7 |
914 |
48.5 |
プロジェクト |
503 |
24.7 |
76 |
2.9 |
552 |
29.3 |
リソースパーソンとの話し合い・専門家による講義 |
678 |
33.3 |
360 |
13.7 |
910 |
48.3 |
調査・図書館 |
570 |
28.0 |
257 |
9.8 |
604 |
32.1 |
各種ゲーム |
263 |
12.9 |
|
|
377 |
20.0 |
プロジェクト開発 |
- |
- |
33 |
1.3 |
370 |
19.65 |
その他 |
241 |
11.8 |
888 |
33.7 |
155 |
8.23 |
課外活動 |
||||||
地域フィールドワーク |
476 |
23.3 |
137 |
5.2 |
695 |
34.7 |
人権集会 |
524 |
25.7 |
67 |
2.5 |
359 |
17.9 |
新聞・パンフレットづくり |
528 |
25.8 |
88 |
3.3 |
537 |
26.8 |
人権デー・人権週間の取り組み |
589 |
28.9 |
84 |
3.2 |
586 |
29.3 |
人権クラブへの加入 |
465 |
22.8 |
42 |
1.6 |
440 |
22 |
その他 |
202 |
9.9 |
188 |
7.1 |
150 |
7.5 |
3カ国において、特に人権教育の主要な活動といえるものはなかった(表14)。フィリピンやインドでは、ほとんどがまずディベートをあげ、つづいてグループワーク、リソースパーソンとの話し合い・専門家による講義、であった。日本では、リソースパーソンとの話し合い・専門家による講義、および調査・図書館が多かった。しかし、日本の回答で多かったのは(34%)「その他」であった。
課外活動では、人権教育にとってとくに主要な活動というものはなかった。地域フィールドワーク、人権デー・人権週間の取り組み、新聞・パンフレットづくりが主なものであった(表14)。フィリピンの報告書では、課外活動として人権集会をあげるものが少なかった(5番目)。
インドでは、人権デー・人権週間の取り組み、人権集会、新聞・パンフレットづくりが、同程度に主要な課外活動としてあげられた。日本では回答率が低いうえ、教室の外での取り組みはほとんどなく、その期間も短かった。他方インドでは、人権活動への参加率が高かった。
表15. 人権活動への参加頻度
|
インド 2039名 |
日本 2635名 |
フィリピン 2001名 |
合計 6675名 |
||||
|
F |
% |
F |
% |
F |
% |
F |
% |
たまに |
945 |
46.3 |
482 |
18.3 |
906 |
45.3 |
233 |
36.33 |
しばしば |
536 |
26.3 |
84 |
3.2 |
611 |
30.5 |
1231 |
20 |
いつも |
374 |
18.3 |
43 |
1.6 |
251 |
12.5 |
668 |
10.8 |
無答 |
184 |
9.0 |
2026 |
76.9 |
233 |
11.6 |
2443 |
32.5 |
合計 |
2039 |
100 |
2635 |
100 |
2001 |
100 |
6675 |
99.63 |
人権教育活動への参加頻度に関する問いに関して、全体に無答が多かった(33%)(表15)。もっとも多いのが「たまに」で36%であり、「無答」が全体に多いのは日本における無答率が77%ときわめて高いためである。この問いについて回答者の間に誤解がなかったと仮定すると、調査対象となった日本の学校においては生徒たちを人権活動に参加させようとする取り組みがほとんどないか、あるいはそもそもそのような活動がまったくないためであった。この点については、さらに調査が必要である。
表16. 人権教育のために学校が何をすべきか
|
インド 2039名
|
日本 2635名 |
フィリピン 2001名 |
合計 6675名 |
||||
|
F |
% |
F |
% |
F |
% |
F |
% |
すべての科目に人権を組み込む |
476 |
23.3 |
589 |
22.4 |
845 |
42.2 |
1910 |
29.3 |
人権を独立した科目にする |
934 |
45.8 |
1116 |
42.4 |
684 |
34.2 |
2734 |
40.8 |
学校を人権教育の実験場所にする |
590 |
28.9 |
383 |
14.5 |
450 |
22.5 |
1423 |
21.97 |
無答 |
39 |
1.9 |
547 |
20.8 |
22 |
1.1 |
608 |
7.93 |
合計 |
2039 |
100 |
2635 |
100 |
2001 |
100 |
6675 |
100 |
人権教育のために学校が何をすべきかという問いについて、多くの回答者(41%)が「人権を独立した科目とする」とし、およそ30%が「すべての科目に人権を組み込む」とした。また、「学校を人権教育の実験場所にする」は22%であった(表16)。国のレベルでみると、日本の場合、回答者の21%もがこの問いに答えなかった。
イ. 学校の雰囲気と人権
表17. 人権の見方
学校は異なる見解を認める |
インド 2039名
|
日本 2635名 |
フィリピン 2001名 |
合計 6675名 |
||||
|
F |
% |
F |
% |
F |
% |
F |
% |
決してない |
442 |
21.7 |
655 |
24.9 |
228 |
11.4 |
1325 |
19.85 |
ときどき |
1073 |
52.6 |
967 |
36.7 |
1459 |
72.9 |
3499 |
52.42 |
しばしば |
468 |
23.0 |
675 |
25.6 |
275 |
13.7 |
1418 |
21.24 |
無答 |
56 |
2.7 |
338 |
12.8 |
39 |
1.9 |
433 |
6.49 |
合計 |
2039 |
100 |
2635 |
100 |
2001 |
100 |
6675 |
100 |
表18. 人権の見方
生徒は人権について自由に見解を述べる |
インド 2039名
|
日本 2635名 |
フィリピン 2001名 |
合計 6675名 |
||||
|
F |
% |
F |
% |
F |
% |
F |
% |
決してない |
234 |
11.5 |
560 |
21.3 |
109 |
5.4 |
903 |
13.53 |
ときどき |
826 |
40.5 |
1131 |
42.9 |
1244 |
62.2 |
3201 |
47.96 |
しばしば |
936 |
45.9 |
701 |
26.6 |
628 |
31.4 |
2265 |
33.93 |
無答 |
43 |
2.1 |
243 |
9.2 |
20 |
1.0 |
306 |
4.6 |
合計 |
2039 |
100 |
2635 |
100 |
2001 |
100 |
6675 |
100 |
多数の回答者が「学校当局とは異なる生徒の見解を『ときどき』受け入れる」と答えた(表17)。「ときどき」と「しばしば」を合わせると74%になる。しかし、「決してそんなことはない」とする回答がインドでは22%、日本では25%もあり、全体でみると20%であった。これは決して少ない数字ではなく、さらに分析が必要である。
インドと日本では半数未満(それぞれ平均すると41%と43%)が「生徒は『ときどき』人権についての見解を自由に述べる」とした一方、フィリピンでは多くの生徒(62%)がそう回答した。しかし、「しばしば」と答えた割合はインドでは46%と比較的多く、日本とフィリピンではそれぞれ27%と31%であった(表18)。全体では、回答者の半数未満が、人権についての見解を「ときどき」述べる、とし、「しばしば」は34%とそれより少なかった。
表19. 人権の尊重
学校は生徒の人権を尊重する |
インド 2039名
|
日本 2635名 |
フィリピン 2001名 |
合計 6675名 |
||||
|
F |
% |
F |
% |
F |
% |
F |
% |
決してない |
213 |
10.4 |
695 |
26.4 |
113 |
5.6 |
1021 |
15.30 |
ときどき |
734 |
36 |
1205 |
45.7 |
1129 |
56.4 |
3068 |
46 |
しばしば |
1060 |
52 |
491 |
18.6 |
737 |
36.8 |
2288 |
34.28 |
無答 |
32 |
1.6 |
244 |
9.3 |
22 |
1.1 |
298 |
4.46 |
合計 |
2039 |
100 |
2635 |
100 |
2001 |
100 |
6675 |
100 |
表20. 人権尊重
生徒は人権を大切にする |
インド 2039名
|
日本 2635名 |
フィリピン 2001名 |
合計6675名 |
||||
|
F |
% |
F |
% |
F |
% |
F |
% |
決してない |
166 |
8.1 |
403 |
15.3 |
109 |
5.4 |
678 |
10.16 |
ときどき |
581 |
28.5 |
1348 |
51.2 |
1244 |
62.2 |
3173 |
47.54 |
しばしば |
1261 |
61.8 |
638 |
24.2 |
628 |
31.4 |
2527 |
37.86 |
無答 |
31 |
1.5 |
246 |
9.3 |
20 |
1.0 |
297 |
4.44 |
合計 |
2039 |
100 |
2635 |
100 |
2001 |
100 |
6675 |
100 |
学校が人権を尊重しているか、という問いに、「ときどき」と答えたのは半数未満(46%)であり、比較的多く(34%)が「しばしば」と答えた。インドでは過半数(52%)が、学校は人権を「しばしば」尊重していると答えたのに対し、フィリピンでは過半数(56%)が「ときどき」と答えた。日本では半数未満(46%)が、学校は「ときどき」人権を尊重していると答え、26%もの多くが「決して尊重していない」と答えた(表19)。
生徒が人権を尊重しているかという問いに、回答者の半数未満(48%)が「ときどき」と答えた。この比率は、平均すると日本とフィリピンではそれぞれ51%と62%であったが、インドでは29%であった。しかし、インドでは62%は「しばしば」と答えている。3カ国で「ときどき」と「しばしば」を合計すると、75%~90%という数字になった(表20)。
表17、18、19、20をみると、日本ではインドとフィリピンに比べて、かなり多くが「決して尊重していない」と答えている。
表21.人権の推進(ともに取り組む)
人権教育のためにみんながいっしょに取り組んでいる |
インド 2039名
|
日本 2635名 |
フィリピン 2001名 |
合計 6675名 |
||||
|
F |
% |
F |
% |
F |
% |
F |
% |
決してない |
163 |
8.0 |
529 |
20.1 |
141 |
7.0 |
833 |
11.7 |
ときどき |
842 |
41.3 |
1287 |
48.8 |
1162 |
58.1 |
3291 |
49.4 |
しばしば |
998 |
48.9 |
573 |
21.7 |
674 |
33.7 |
2245 |
34.77 |
無答 |
36 |
1.8 |
246 |
9.3 |
24 |
1.2 |
306 |
4.1 |
合計 |
2039 |
100 |
2635 |
100 |
2001 |
100 |
6675 |
100 |
平均すると回答者の約半数が、人権を推進するために「ときどき」いっしょに取り組んでいると答え、およそ3分の1が「しばしば」と答えた。平均して12%が「決してない」と答えたのに対し、日本では回答者の20%がそのように答えているのは注目される(表21)。
表22.人権の推進(校則)
校則は人権を推進している |
インド 2039名 |
日本 2635名 |
フィリピン 2001名 |
合計 6675名 |
||||
|
F |
% |
F |
% |
F |
% |
F |
% |
決してない/いいえ |
136 |
6.7 |
597 |
22.7 |
165 |
8.2 |
898 |
12.53 |
ときどき/ある程度 |
1118 |
54.8 |
1062 |
40.3 |
1013 |
50.6 |
3193 |
48.57 |
しばしば/かなりの程度 |
741 |
36.3 |
691 |
26.2 |
795 |
39.7 |
2227 |
34.07 |
無答 |
44 |
2.2 |
285 |
10.8 |
28 |
1.4 |
357 |
4.8 |
合計 |
2039 |
100 |
2635 |
100 |
2001 |
100 |
6675 |
100 |
およそ半数の回答者が、校則は「ときどき」人権を推進していると答え、「しばしば」は三分の一であった。「ときどき」と「しばしば」を合わせると、インドとフィリピンでは約90%になるのに対し、日本では66%であり、また日本では「決してない」が23%となっている。インドとフィリピンの生徒に比べて、日本の生徒は校則が人権推進にそれほど役立っていないと考えている(表22)。
表23. 規律の扱い方
|
インド 2039名 |
日本 2635名 |
フィリピン 2001年 |
合計 6675名 |
||||
|
F |
% |
F |
% |
F |
% |
F |
% |
生徒と話し合い |
1021 |
50.1 |
935 |
35.5 |
1010 |
50.5 |
2966 |
45.37 |
保護者と話し合い |
530 |
26.0 |
331 |
12.6 |
667 |
33.3 |
1528 |
23.97 |
生徒に懲罰 |
440 |
21.6 |
550 |
20.9 |
295 |
14.7 |
1285 |
19.07 |
無答 |
48 |
2.4 |
819 |
31.1 |
29 |
1.4 |
896 |
11.63 |
合計 |
2039 |
100 |
2635 |
100 |
2001 |
100 |
6675 |
100 |
回答者の半数未満が、規律違反については生徒との話し合いで対処すると答えた。四分の一未満が保護者との話し合いとし、生徒に懲罰と答えた割合もほぼ同じであった。国別では、日本の回答者の31%はこの問いに答えておらず、フィリピンの1.4%、インドの2.4%という数字に比べると、無答率がきわめて高かった(表23)。
表24. 生徒間の問題はどのように解決されているか
|
インド 2039名 |
日本 2635名 |
フィリピン 2001年 |
合計 6675名 |
||||
|
F |
% |
F |
% |
F |
% |
F |
% |
生徒自身によって |
430 |
21.1 |
547 |
20.8 |
286 |
14.3 |
1263 |
18.73 |
教師が生徒に話す |
1310 |
64.2 |
1257 |
47.7 |
1373 |
68.6 |
3940 |
60.2 |
学校による調査と懲罰 |
267 |
13.1 |
344 |
13.1 |
319 |
15.9 |
930 |
14.03 |
無答 |
32 |
1.6 |
487 |
18.5 |
23 |
1.1 |
542 |
7.07 |
合計 |
2039 |
100 |
2635 |
100 |
2001 |
100 |
6675 |
100 |
全回答者の過半数(60%)が、生徒の問題をはかるために教師が話して指導する、と答えた。次いで多かったのは、生徒が自分たち自身で解決するという答え(19%)であった。学校が問題を調査し、生徒に懲罰を与えると答えたのは平均してわずか14%であった(表24)。これは、表23において、生徒の規律違反に対して「懲罰を与える」と答えた比率が19%であったこととも関係しており、学校における生徒の問題解決にあたって、懲罰が一般的方法ではないことを示唆している。
4.人権教育の効果
表25. 生徒が活動的になる
|
インド 2039名 |
日本2635名 |
フィリピン 2001名 |
全体 6675名 |
||||
|
F |
% |
F |
% |
F |
% |
F |
% |
決してない/いいえ |
168 |
8.2 |
74 |
2.8 |
249 |
12.4 |
491 |
7.8 |
ときどき/はい、そんな生徒も |
820 |
40.2 |
892 |
33.9 |
1108 |
55.4 |
2,820 |
43.17 |
しばしば/はい、多くの生徒が |
1011 |
49.6 |
1410 |
53.5 |
614 |
30.7 |
3,035 |
44.6 |
無答 |
40 |
2.0 |
259 |
9.8 |
30 |
1.5 |
329 |
4.43 |
合計 |
2039 |
100 |
2635 |
100 |
2001 |
100 |
6675 |
100 |
回答者のおよそ45%が、人権教育の結果、「多くの生徒が活動家になるだろう」と答え、43%が「中にはそのような生徒も」と答えた。二つを合わせると、大多数(88%)が、人権教育により生徒たちが人権活動をするだろうと答えたことになる(表25)。インドの報告書でもこの傾向が確認されたが、ひとつの州(タミール・ナドゥ)では「いいえ」の比率が35%と高かった。全体平均では8%であり、同州では活動的になることにあまり関心がないことを示している。
表26. 人権侵害の減少
|
インド 2039名 |
日本 2635名 |
フィリピン 2001年 |
合計 6675名 |
||||
|
F |
% |
F |
% |
F |
% |
F |
% |
決してない/減少しないだろう |
338 |
16.16 |
511 |
19.4 |
338 |
16.9 |
1187 |
17.78 |
ときどき/減少するかもしれない |
735 |
36 |
1333 |
50.6 |
838 |
41.9 |
2906 |
43.54 |
しばしば/減少するだろう |
930 |
45.6 |
569 |
21.6 |
797 |
39.8 |
2296 |
34.40 |
無答 |
36 |
1.8 |
222 |
8.4 |
28 |
1.4 |
286 |
4.28 |
合計 |
2039 |
100 |
2635 |
100 |
2001 |
100 |
6675 |
100 |
回答者の半数未満が、人権教育は「ときどき」人権侵害の減少につながるとし、34%が「しばしば」と答えた。日本の場合、51%が「ときどき」、22%が「しばしば」と答えた。インドとフィリピンでは、「ときどき」がそれぞれ36%と42%で、「しばしば」は46%と40%であった。インドとフィリピンでは回答が「しばしば」と「ときどき」に分かれているのに対して、日本の場合は「ときどき」が多数であった(表26)。
インドの報告書は、このような結果をより肯定的にうけとめている。「ときどき」と「しばしば」を合わせると、回答者の80%が「人権を教えることは肯定的な効果につながりやすい」と考えている。他方、日本の報告書では表25に示された結果について、日本の回答者の混乱のあらわれとして解釈している。つまり、人権教育は「しばしば」(56%)生徒を活動的にするとする一方、51%は人権教育の減少に「ときどき」つながるととらえているのである。
表27. 人権に関する生徒の振る舞い
|
インド 2039名 |
日本 2635名 |
フィリピン2001名 |
合計6675名 |
||||
|
F |
% |
F |
% |
F |
% |
F |
% |
自らを守るために権利を主張する |
365 |
17.9 |
638 |
24.2 |
582 |
29.1 |
1585 |
23.75 |
権利を乱用する |
205 |
10.1 |
495 |
18.8 |
210 |
10.5 |
910 |
13.63 |
権利と責任を行使する |
1444 |
70.8 |
990 |
37.6 |
1189 |
59.4 |
3623 |
54.28 |
無答 |
25 |
1.2 |
512 |
19.4 |
20 |
1.0 |
557 |
8.34 |
合計 |
2039 |
100 |
2635 |
100 |
2001 |
100 |
6675 |
100 |
人権教育の影響について、回答者の多数(54%)は人権教育が権利と責任の行使につながると考えていた。インドとフィリピンの回答者の多く(それぞれ71%、58%)は、人権教育が「権利と責任」の行使につながるとしたが、日本ではそのような考え方を支持するのは平均38%と比較的低かった(表27)。
日本とフィリピンでは、かなりの回答者が(それぞれ24%、29%)、人権教育は人々が自らを守るために権利を主張するように導くと考えていた。インドで同じ答えをしたのは18%であった。「権利や責任を行使する」と「権利を主張する」を合わせると、インドとフィリピンではおよそ90%になり、日本では62%とかなり低かった。
5.フォーカスグループ討議
調査の一部として、インドとフィリピンでは回答者と教員からさらに突っ込んだ意見を収集するためにフォーカスグループ討議が行われた。インドとフィリピンの議論では、学校における人権教育に関するいくつかの重要な問題が浮き彫りにされた。
フィリピンでは、以下のようなポイントがあげられた。
ア. 世界人権宣言の規定よりも、(子どもの権利条約にもとづいて)子どもの権利を教える方がやりやすいと教師たちは考えていた。
イ. 価値教育はおもにキリスト教的価値をその内容に含むため、ムスリムが居住する地域では人権教育があまりおこなわれていなかった。
ウ. ムスリム地域の学校は、キリスト教生徒とムスリム生徒(さらにムスリム生徒同士の場合も)の対立が教室を超えて広がることにつながらないようにするため、ディベートを避けていた。
エ.ムスリム生徒は、社会の周辺的立場に置かれ、また居住地域で武力紛争に巻き込まれることで人権侵害を受けるため、人権教育活動により多く参加していた。
オ.教員たちは生徒が人権侵害から自らを守るために人権について学ぶことを願っていた。しかし、同時にそのような学習を通じて「生徒たちを戦闘的、攻撃的にさせるような考え方を信奉する」ことにつながったり、「権威を侮り、政府に反逆する可能性」を高めるようになったりすることに対して、懸念をもっていた。
カ.公立学校において、人権教育のための教材や施設が不足しており、そのような状況において人権を教えるために、教員は創造的でなければならなかった。
インドのフォーカスグループ討議では以下のようなポイントがあげられた。
ア.生徒たちは人権について肯定的な見方をしているが、人権の実現を妨げている法執行上の問題を認識していた。インド憲法のもとに定められた権利の一部として人権について学習し、経済的・社会的・文化的権利を重視する傾向が見られた。
イ.校則の厳格な実施、とくに学校における人権の遵守に影響を与える懲罰に関する規定の実施を望んでいなかった。問題に対処するために他の措置をとることを求める傾向がみられた。
ウ.教員と校長を両義的に見ていた。ある面では、生徒の状況に対して共感的で好意的だが、他の面では成績のよい生徒を好むように見られていた。
エ.人権を学校で教えることには同意していた。しかし、試験の対象としてではなく、また教室外でのさまざまな課外活動を含むべきだと考えられている。
オ.人権教育はよりよい市民になるのを助け、また公正な社会をつくる道を開くものとして共通認識されていた。
カ.人権についてよりよく理解するための機会を与えるような調査も歓迎されていた。そこで、学校における人権教育は「現実の生活状況に見られる具体的な問題に焦点をあて、あまり形式ばっておらず、また理論ぽくない」ようなものであるべきだと示唆されていた。
この2つのフォーカスグループの話し合いの結果は、一方が教員の見方を示し、他方が生徒の見方を示しているので、相互に補完的である。
6.調査の変数
インドとフィリピンの報告書では、さまざまな変数を使って調査結果を分析している。類似した変数が調査結果に与えた影響に関する両者の知見はかなり異なっている。二つの報告書には、ジェンダーおよび学校タイプ(都市型か地方型か)に関する類似した変数が含まれている。
ジェンダーに関して、インドの報告書では一般的に男子生徒の正答率の低さをあげていた。フィリピンの報告書では、ジェンダーは全体の調査結果にあまり影響を与えなかったとしている。
学校のタイプについて、インドの報告書では、英語を使用し、また大都市圏に位置する学校で、人権の面でも比較的すぐれているはずの学校が、そうではないと指摘している。「教育が遅れた州」の生徒が、人権については概してより高いレベルを示しているのである。報告書では、相対的に恵まれた生徒よりも、比較的恵まれない生徒の方が人権についてよりよい理解をしているとしている。
フィリピンの報告書では、地方の学校の生徒が、最初はすぐれているように見えたものの、人権についての全体的な結果によると、都市部の私立学校の生徒の方が良好であったとしている。ただ、首都地域(マニラ首都圏)の外に位置する地域(リージョン7:セブ地方やセブ市を含む東ヴィサヤ地方)の学校の生徒の場合は、人権理解が一貫して良好であった。なぜ他の地域にくらべてこのような結果になったのかについては、さらなる調査が必要である。フィリピンのリージョン7に見られる状況は、インドの「教育が遅れた州」の生徒が人権について高いレベルの理解を示していることと関係している。
インドの報告書ではまた、「過激な政治的、社会的、文化的運動が行われているものの、他の州に比べて必ずしもより高い人権理解を示していない」州の学校の生徒についても記述している。おそらく「内容や教育過程の無視」によるものであろう。
全体の結果
人権教育は、フォーマルな教育制度において主流化したのだろうか。
4つの国の政策に示されるように、人権教育が公教育制度の一部になり、また学校における人権教育の存在が一般に肯定されるようになったといえるだろう。しかしインドやスリランカにおいて人権教育についてのより具体的な政策が不足しているという点で、現状が不十分であることを示す指標は数多く、また、人権教育政策が(政策自体の不十分性も考慮したうえで)どの程度まで実施されているのかという問題もある。言い換えると、人権教育は公教育制度の一部として認められているものの、確立した研究領域としての地位をまだ得てはいないのである。
学校プログラムにおける既存の人権教育は、公教育制度の全体とどのように関係しているのだろうか。
一方では、4カ国の報告書が示すように、学校カリキュラムの異なった教科に人権が統合されることにより、人権教育は教育の全体的目標の達成を助けるということができる。
他方で、学校カリキュラムの異なった教科にどの程度一貫して、また継続的に人権が統合されてきたのかを問う根拠もある。本調査プロジェクトで扱ってはいない、人権教育政策あるいは関連する教育政策の実施メカニズムに関する多くの問題がある。この調査は、さらに検討し、研究すべき多くの領域を明らかにしている。
生徒は教育政策ゆえに人権を学んだのか?
教育政策が(その制約や欠陥をもちながらも)学校に影響を及ぼすといえる根拠はある。生徒は人権に関する全般的知識を主に学校で得たとしているからである。人権がさまざまな教科で教えられ、多様な社会的問題と関連付けて議論できることを生徒は知っている。また、所属する学校が人権に関するさまざまな取り組みに関与しているとし、人権教育の肯定的な結果を認識している。生徒は一般的に、学校で人権教育が取り組まれることを望んでいた(独立した教科として、既存教科に統合して、あるいは人権の実験場としての学校という形で)。
しかし、検討すべき重要な課題がある。人権についての理解と適用に関する問いに対する正答率の低さ(インドとフィリピンの回答者)、主な人権文書(世界人権宣言と子どもの権利条約)に関する知識の弱さ、人権教育へのアプローチに関する生徒の混乱、関連教科の教育において教師が国際人権基準を十分に活用していないこと(おそらく、教育政策上明確に規定されていないことや教材・情報が不十分なことがその理由)、人権に関する学校の取り組みに学生が十分に参加できていないこと、そして人権教育によって生徒たちが活動的になること(またイデオロギー的に政府に異議申し立てを行うこと)への懸念を教師がもっていること、などである。
これらの問題は、生徒たちが学校でどのように人権について学ぶのかに影響する。
課題
政策分析や調査結果は、慎重に留意すべきいくつかの重要課題を浮き彫りにする。これらは、学校における既存の人権教育の改善、あるいは新しいプログラムの確立に対して課題を投げかけている。
ア.国際人権基準に基づいた人権に関する知識。「人権概念の理解と適用」と題された調査項目に示されたサンプル事例への人権概念の適用に関して、低い点数が示されたことに対処する必要がある。国際社会が合意した概念にそった人権理解をどのように確保することができるのだろうか。もし人権に関する知識が間違っていた場合、生徒にとってどの程度人権の実践がありうるのだろうか。
イ.教師、学校管理職、教育行政担当者の人権に関する知識と実践。これらの人々が国際人権基準を十分に理解していない場合、学校における人権教育は実践できるのだろうか。自分たち自身が確実に理解していない概念の効果的理解を、どのようにしてなしうるのだろうか。調査結果に示された学校環境と人権に関する生徒の認識(とくに表現の自由に関わる)もこの問題に深くかかわっている。これは、人権に関連する問題についての教師、学校管理職、教育行政担当者の姿勢と実践を反映する。これは、研修、教材、および人権教育について適切な経験をもつ者からの指導など、一連の問題にかかわるものである。国レベルでみた場合、これは大きな課題である。
ウ. メディアが人権に関する主な情報源である。学校に次いで、メディア(テレビ、ラジオ、新聞、雑誌)は人権についての知識を提供している。メディアから発信されたこのような知識は、学校でどの程度議論され、分析されてきたのだろうか。人権について議論し、学習するために、どの程度メディア資料がつかわれてきたのだろうか。
エ.まだまだ活用されていない人権情報源としてのインターネット。調査に対する回答結果をみると、インターネットは他のメディアと違って、人権に関する知識をえる主な情報源とみなされてこなかった。今日インターネットが提供する幅広い人権関連情報に生徒はアクセスできていない。学校における人権教育にとってインターネットをさらに活用するために何が必要か。学校における人権教育活動において、インターネットとメディアを相互補完的にうまく活用するためにどうすればよいか。学校教育プログラムにおいて、これらは人権教育の重要な部分になるべきであろう。
これらの諸課題は国レベルの教育政策に関わっている。学校教育プログラムにおける人権教育の推進を求める適切な政策が必要である。例えば、教師や教育行政関係者の研修、教材開発、教授・学習、課内・課外活動、学校運営、学校と地域社会の連携等に関わる政策を、既存の限られた資源・機会を活用しながら一貫して継続的に、また適切に実行しなければならない。これらの政策は、現在取り組まれているいかなる人権教育であっても、その改善に資する大きな役割を果たすものである。
結語
本調査研究を実施した我々は、そのさまざまな限界を十分認識している。とくに、フィールド調査に関わってである。調査に比べるとそれほど困難ではないものの、政策分析に対しても批判があるかもしれない。しかし調査を通じて、重要な問いが投げかけられるだろう。各国における調査サンプルがどれほど代表的といえるのか、疑問がもたれるかもしれない。回答者は2000人以上に及ぶが、すべての地域や州をカバーしていないためである。また、質問項目が適切なのか、あるいは明確な質問内容になっているか、質問紙に関わる疑問もあるだろう。
このような技術的な問題にもかかわらず、フィールド調査の結果は貴重なものである。3カ国における学校の人権教育の現状が示されているからである。また、このことはプロジェクト開始時点で明確に期待されていた。これらの調査結果は、人権教育プログラムの実施に関するさらなる研究の基盤を提供するものである。学校における人権教育の成果としてどのようなものがあるのか、また人権教育プログラムが対処できていない状況などを示している。効果的で包括的な人権教育プログラムに必要なすべての措置をとった国がないとしても、より多くの生徒たちに働きかけ、人権の行使をその日常生活の一部にするために可能な措置を明らかにするために必要な情報を提供するものである。
参考文献
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