9月10日、ヒューライツ大阪はSDGsジャパン、関西NGO協議会との共催で、SDGs採択8周年国際シンポジウム 「日本に国内人権機関を、そして国際基準の人権保障を!」をドーンセンターで開催しました。
対面とオンラインのハイブリッド形式で開催
シンポジウムの前半は2つの基調講演からなり、日弁連国内人権機関実現委員会副委員長を務める弁護士の藤原精吾さんと、元韓国国家人権委員会委員で現在は社団法人国連人権政策センターの理事長を務める申 蕙 秀(しん へす)さんにお話しいただきました。
藤原さんは、訪日調査を行った国連ビジネスと人権作業部会による訪日調査終了時声明にも挙げられている人権侵害に晒されやすい人々(女性、LGBTQ+、障害者、部落、先住民族と民族的少数者、技能実習生・移民労働者、労働者と労働組合、子ども・若者)の人権を保護するためには、人権救済機能と政策提言機能、そして人権教育機能を揃える政府から独立した国内人権機関が必要であると述べました。
司法による救済は強制力を持つものの、日本の裁判所が国際人権法の適用に消極的で現行の国内法の枠内に縛られているためにヘイトスピーチ問題に適切に処罰できていないことや、費用面や訴状の準備など手続きが煩雑なことから、例えば入管施設における医療ネグレクトなどの人権侵害に対して被収容者が救済を得られていないなどの課題があるとし、国際人権基準に照らして迅速に調査・勧告し再発防止の指導・教育ができる、人権救済の駆け込み先として国内人権機関の役割が重要だと述べました。
また、人種差別撤廃条約や拷問等禁止条約、女性差別撤廃条約など日本も締約国である人権条約の条約機関ならびに国連人権理事会の普遍的定期的審査(UPR)において再三にわたって国内人権機関設立の勧告を受けていることに対し、誠実に向き合わない政府を動かすためには、市民、そしてそれぞれの領域で人権課題に取り組むNGOなどが連携して運動を広げることが大切だと訴えました。
藤原精吾さん
申 蕙 秀さんの講演では韓国で2001年に国内人権機関として国家人権委員会が設立されるまでの過程と、それ以降の歩み、そして、国内人権機関の存在価値と有用性についてお話しいただきました。
韓国では民主化後の金泳三(キム・ヨンサム)政権下の1996年に、法務部が国内人権機関設立を検討していることを明らかにし、1997年に大統領選挙で国内人権機関設置を選挙公約として掲げた金大中(キム・テジュン)候補が当選、翌年4月に国家人権委員会設立準備団が発足しました。しかし、法務部の構想では法務部傘下の特殊法人として位置づけ、人事における独立性にも問題があるものでした。申さんは、政府のこのような構想に抗して「正しい国内人権機関」の実現のために市民社会組織、人権活動家が結束して幾度のハンストを含む運動を展開したことが、2001年の臨時国会にて国家人権委員会法が非常に僅差ながらも(賛成137名、反対133名、棄権3名)成立した背景であることを述べました。
そうして2001年11月に発足した韓国の国家人権委員会ですが、これまでに3度の危機を経験してきています。1度目は2008年1月に李明博(イ・ミョンバク)大統領職引継ぎ委員会が国家人権委員会を大統領直属の機関に転換する組織改編案を発表したとき。2度目は2009年4月に監査院が、国家人権委員会の組織の効率化を求め定員を大幅に縮小したとき。3度目は2009年7月~2015年8月という6年間もの長期にわたります。人権委員として求められる人権問題に関する専門知識や実績がまったくないにも関わらず、玄炳哲(ヒョン・ビョンチョル)教授が委員長として任命されたことに、市民社会は大きく反発、人権委員会内部でも反対の意を込めて2名の常任委員と1名の非常任委員が辞退するほどでした。市民の国家人権委員会の独立性に対する信頼が失われた状態が続き、人権委員会が機能しない状況であったと申さんは述べました。
それぞれの危機を乗り越えて独立した機関としての存続を維持し、現在では専門性を持った人物が委員長職に就き再び機能するようになった国家人権委員会について、申さんは、申立ての手続きが簡単で、親身な対応をし、そして迅速に結論が出ることがメリットであると述べました。
また、行政、立法、司法、市民社会が一緒に、さまざまな人権問題について議論し、理解を深め合うための場作りも国家人権委員会が担う重要な役割であると述べました。
申 蕙 秀さん(写真右)
シンポジウム後半は人権課題に取り組んできた市民社会組織からのメッセージとして、「性的マイノリティ」の人権をテーマに森本智子さん(弁護士、「結婚の自由をすべての人に」訴訟関西弁護団)、「子ども・ビジネスと人権」をテーマに堀江由美子さん(公益社団法人セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン アドボカシー部部長)、そして「部落差別」をテーマに髙橋定さん(部落解放同盟大阪府連合会書記長)に登壇いただきリレートークを行いました。また、「ヘイトスピーチ、入管問題」をテーマに安田菜津紀さん(メディアNPO Dialogue for People副代表/フォトジャーナリスト)からビデオメッセージをいただきました。
森本さんは、同性婚をめぐって全国の弁護団が訴訟を提起しており、5カ所の地裁判決のうち大阪地裁以外は同性婚を認めないことを「憲法に反する」と判断しており、現在高裁で審理中であることを報告しました。「人権の最後の砦」である司法が性的マイノリティの人権を保障するために機能する必要がある一方で、司法判断までにかかる時間は長く、本訴訟も提起から4年が経過するなかで原告の1人が病気で亡くなりました。国内人権機関があることで迅速に人権侵害だと判断し政府に対して早急な改善を求めることが可能になれば、当事者の希望や安心感につながると森本さんは言います。また国内人権機関が、市民に対して性的マイノリティに関する正しい認識に基づいた教育、啓発活動を行うことによって、社会の価値観が変わっていくことへの期待を述べました。
2人目の堀江さんは、2023年4月に「こども基本法」が施行され、こども家庭庁が発足したことについて、子どもの権利保障を進める第一歩として歓迎できるものと捉えつつも、政府から独立した立場で子どもの権利の状況のモニタリング・調査・勧告を行う子どもコミッショナーの設置が見送られたことは課題として残るとし、独立した子どもの権利擁護機関や国内人権機関の設置は子どもの権利委員会からも繰り返し勧告されていると指摘しました。
また、ビジネスと人権の視点から、ジャニーズ事務所の性暴力加害について外部専門家による再発防止特別チームが出した調査報告書に、「ビジネスと人権に関する指導原則」という国際基準が位置付けられたことは注目に値するとし、被害者がより迅速に、費用をかけずに救済申立てを行い、是正措置をはかることができるように、社会で弱い立場に置かれた人々に寄り添える権利擁護機関として国内人権機関の存在の必要性についての理解を促進していかなければならないと述べました。
髙橋さんは、2016年に成立した「部落差別解消推進法」について触れ、「部落差別解消」という文言に画期性があることを認めつつも、理念法に留まらない包括的な人権救済制度が必要であると指摘。その上で、過去の人権委員会設置法案の廃案の経緯も踏まえながら、差別に対する法的規制や踏み込んだ救済措置に対して一貫して消極的な政府の姿勢を批判しました。
また、2016年に「示現舎・鳥取ループ」が、全国の部落所在地、部落名、戸数、人口、職業、生活程度等をまとめた「全国部落調査」復刻版を出版しようとした事件に対して、東京高裁が「差別されない権利」の侵害だとする判決が出たことにも触れ、これを武器にしながら、被差別の立場に置かれる人たちとの連帯を通して国内人権機関を含む包括的な人権救済制度、差別禁止法の制定を求め、闘っていくと決意を述べました。
リレートークの様子(左から森本智子さん、堀江由美子さん、髙橋定さん)
安田さんは、「多様性」という言葉が溢れるようになった一方で、日本社会において本当に多様な人々の人権が守られているのか、その仕組みがあるのか問題提起を行いました。入管施設への収容をめぐっては身体の自由を奪うものであるにも関わらず、司法の介在がなく入管の恣意的判断で期間の制限もなく収容を可能にする仕組みの問題があることを指摘しました。
また、自身がヘイトスピーチの標的となり裁判で救済を求めた経験について、資金や時間、そして負担がかかるものであったと振り返り、人権侵害に対して裁判に訴え出ることができない人たちが多くいる可能性があるなかで、安心して駆け込めて迅速に対応できる国内人権機関の創設が急務であると述べました。
安田菜津紀さんからのビデオメッセージ
参加者からは、韓国の経験が参考になり、日本において国内人権機関の設立に向けた課題も良く分かったという声がたくさん寄せられました。
参加者は会場とオンラインをあわせて約170名でした。