ヒューライツ大阪は7月13日、移民ルーツの子どもたちの状況に関してボランティアをしながら取材を重ねている朝日新聞大阪本社記者の玉置太郎さんを講師に迎えてセミナー「移民の子どもの隣に座って考えたこと~大阪・ミナミの『支援教室』でのボランティア経験から」を、NPO法人おおさかこども多文化センターと共催しました。
関西屈指の繁華街である大阪・ミナミの島之内地区(大阪市中央区)に、両親、あるいは親のどちらかが外国籍である移民ルーツの子どもたちを支援する「Minamiこども教室」が、2013年9月に立ち上がりました。島之内に住み、夜の飲食店での仕事と、子育ての両立に悩んでいたフィリピン出身のシングルマザーが子ども2人と無理心中を図り、地元の小学校に入学したばかりの長男が亡くなるという痛ましい「事件」が同年4月に起きたことがきっかけでした。その小学校の当時の校長が移民の子どもの支援に関わっている人たちに呼びかけて発足しました。
玉置さんは、毎週火曜日の夜に公的施設を借りて開かれるようになった「教室」のスタートから半年後の2014年春からボランティアをしながら、島之内に居を構えつつ取材を続け、それをまとめた書籍『移民の子どもの隣に座る-大阪・ミナミの「教室」から』(朝日新聞出版)を2023年に出版しました。玉置さんによると、島之内地区は、住民約6千人のうち3割強がフィリピンや中国をはじめとする国々からの移民の集住地域であり、多くが近くの繁華街で働いています。
玉置さんは、セミナーの冒頭、6章からなる本の構成について説明しました。
第1章「大阪ミナミの教室で」(教室ができるまでと教室との出会いなど)
第2章「教室につながる子どもたち・親たち」、(心の居場所、言葉の壁・心の壁など)
第3章「教室を形づくる大人たち」(ボランティアの多様性など)
第4章「ロンドンの教室で」(2017年から2年間の留学と移民ルーツの子どもへのボランティア体験)
第5章「コロナ禍という『危機』に」(仕事を失った親たちなど)
第6章「『支援教室』という場所」(「支援教室」とは何かなど)
玉置さんは、「教室」にやってくる移民ルーツの子どもたちへの学習支援を通して、言語や制度の壁に悩んだり、保護者の不安定な就労形態に左右されているという状況を目の当たりにしながら、居場所としての「教室」の意義を実感したと語ります。学習支援だけではなく、話を聴くことを通じて、子どもたちの自己肯定感につながっていると説明しました。玉置さんがロンドンに留学中に飛び込んだ難民の子どもたちを支援する「ソールズベリーワールド」という団体での活動を通しても同様に体感したといいます。
「支援教室」では、教えることが基本である一方、子どもたちの「違い」にふれることによって、一方的に支援をしているわけではなく、自分も学ばせてもらうことがたくさんあり、そのなかで自分が変化してきたと玉置さんは述べます。
玉置さんは、本の第2章で「ルーツとルーツ」という項目を設けています。たとえば「フィリピン人」や「ブラジル人」という固定されたルーツ(roots)=「起源」だけでなく、その人がたどってきたルーツ(routes)=「経路」に意識を傾け、一人ひとりの「違い」に着目し、耳を傾けることが大切ではないかと説きます。点としての「起源」ではなく、線や面としての「経路」に思いを馳せるならば、「外国人」や「移民」として一括りにされがちな人々の個としての豊かな姿が浮かびあがってくるのではないかといいます。
玉置さんは、親たち、そして子どもたちは、よりよい人生をつかもうとして、選択をしながらここにたどり着いているという主体性をみることが大事であると語ります。同時に、なにもかも自由な選択でここにたどり着いたわけではなく、構造的な背景、すなわち歴史的な経緯や国の政策上の帰結としてここにたどり着いているという両方をみることが大切であると説明しました。
玉置さんは、「教室」に通い、子どもの隣に座る時間の蓄積を通じて、それらを実感したと語りました。
「Minamiこども教室」の取材を本にまとめてひと段落した2023年10月以降、玉置さんは後輩記者と二人で、在日コリアンの集住地域として知られる大阪市生野区を舞台に、外国にルーツをもつ子どもたちを集中的に取材し、2024年5月から7月初頭にかけて32回の連載記事を執筆しました。
セミナーには、「Minamiこども教室」の発足を呼びかけた山崎一人元校長や、当初からボランティアとして関わる坪内好子さんが参加し、発足時から現在までを振り返るとともに、玉置さんの「教室」への真摯な関わりを称えました。参加者は32名でした。
<参照>
https://www.asahi.com/rensai/list.html?id=840&iref=com_matome
共生のまち 生野(朝日新聞)