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知りたい!人権Q&A

人権の概念や内容に関すること
「ジェンダー」の視点は、人権史上の「大発見」だと言われます。なぜでしょうか?

Answer

近代市民革命と、「女性の権利」

 1789年のフランス革命は、特権階級だけでなく「市民」が権利の主体であるということを打ち立てた、世界史上の画期的なできごとした。しかしこの時、フランスの人権宣言は、女性を権利の主体とは想定していませんでした。
 フランス人権宣言の正式な名称は、「人および市民の権利宣言」(Déclaration des Droits de l'Homme et du Citoyen)です。ここでいう「人」であり「市民」(市民としての権利を持つ人)でもある者とは、男性だけを指し、女性が含まれていませんでした。フランス革命では、ヴェルサイユ行進など民衆蜂起の場面で、女性が重要な役割を果たしたにもかかわらず、女性には集会結社の自由も、政治的な集会への参加も、路上で5人以上で集まることすら禁じられていました。オーランプ・ド・グージュは、これに異議を申し立て、「女性および女性市民の権利宣言」(1791)を公表しました。そこには、次のような記述があります。

女性は断頭台のぼる権利をもつ、従って女性は演壇にのぼる権利をも有するものである」(第10条)

 グージュは、女性も男性と同じように断頭台に登る権利があるのだから、選挙権も同様にあるべきだ、と記しましたが、皮肉なことに、1793年反革命の罪により、自身の言葉通り断頭台で処刑されました。 またグージュは、単に「男性なみの」権利を列挙したのではありません。次のような記述もあります。

「思想および意見の自由な伝達は、女性の最も貴重な権利の1つである。それは、この自由が、子どもと父親の嫡出関係を確保するからである。したがって、すべての女性市民は、法律によって定められた場合にその自由の濫用について責任を負うほかは、野蛮な偏見が真実を偽らせることのないように、自由に、自分が貴方の子の母親であるということができる。」(第11条)

 ここでは家族の中の、男性による女性の支配が批判されています。フランス革命は封建制度と特権階級を否定しましたが、家父長的な家族制度を封建制度の問題としては、とらえきれてはいませんでした。近代が解放したのは、個人ではなく、家族(=家長の男性)である、と言われるゆえんです。

 

公的世界から、私的世界へ

 とはいえ、歴史的・文化的に形成されてきた家父長制や、家族の問題に目が向くまでには、まだ時間が必要でした。むしろ、初期の女性解放運動の目標は、「男性と同等の」権利を得ることにあり、その中心は「参政権獲得」でした。こうして19世紀末から20世紀初め、女性の参政権が広がりました。

 参政権の獲得により、社会契約の主体の中に、女性も含まれるようになりました。しかし人権は何も、天下国家の話だけではありません。公的領域における男女格差だけを見ていると、グージュが指摘したような、私的領域の権力関係や抑圧が見えなくなってしまいます。こうして1970年代のフェミニズム運動は"個人的なことは政治的である(the Personal is Political )" というスローガン掲げ、夫婦・恋人・家族などの私的世界に存在する、権力関係の問題を指摘するようになりました。私的な世界の構造は、より大きな社会構造の中に組み込まれており、それに目を向けなければ、問題は解決しないと考えたからです。また、路上で人に暴力をふるって怪我をさせたら犯罪になっても、夫婦やカップルの間で起こる暴力は、私的な問題として放置されたままでした。ようやく東アジア諸国で、DV(ドメスティック・バイオレンス)防止の法律が成立したのは1990年代以降のこと、日本では2001年のことです。

 こうした変化は、人権の歴からみれば「ジェンダーの大発見」ともいうべき、画期的なできごとでした。なぜなら、人権とは、近代市民革命以来、公的な世界のこと、天下国家を論じることだと多くの人が考えていたからです。ジェンダーの視点は、私的な関係の中に潜む権力関係と人権侵害に目を向けさせ、それまでの、「国家 vs 市民」という人権観を大きく転換させたのです。

(阿久澤麻理子)