人権、平和、開発発展は、互いに深く結びついているといわれます。相互に支え合う。どの一つが欠けても他の二つが危うくなる。人権が守られないところでは、争いが起きることが多い。また平和がなければ、人権が無視されることになる。戦争は命を奪い、人間らしい生活を奪い、思想や表現の自由を奪う。これは 世界の経験から言えることです。国連憲章も日本国憲法もこのことを言っています。
第二次世界大戦後にできた国連憲章は、「戦争の惨害から将来の世代を救い」、「基本的人権と人間の尊厳及び価値」を確認し、「国際の平和及び安全を維持するために」世界の人々が力を合わせることを求めます。そして1948年に出された世界人権宣言は、世界のすべての人、一人ひとりの尊厳と平等、そして譲ることのできない権利を認めることが、世界における自由、正義及び平和の基礎であると言います。
日本国憲法は、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利」を持つことを確認します。
2010年6月国連人権理事会では、「平和に対する人びとの権利」について決議があり、「平和に対する人びとの権利宣言」を人権の視点から起草しようという動きがでてきました。これは、1984年に国連総会が「平和に対する人びとの権利宣言」を採択してからこれまで続いてきた流れに沿ったものです。2010年に世界各地から集まった市民団体の会議で出された平和人権サンチアゴ宣言で「平和に対する権利は人権である」とされたことなどとあいまって、2012年6月に人権理事会に提出された「平和に対する権利宣言草案」は、「平和に対する権利は、集団としての「人々」ばかりではなく「一人ひとりの個人」にも認められる人権であるとしています。
「平和に対する権利宣言草案」に書かれている「平和に対する権利」はまったく新しい人権を作るものではありません。平和の大切さを人権という視点から考えなおしたもので、それ自体に意義があると言えるかもしれません。すでに認められている人権と平和の原則が述べられるとともに、次のような、関連する課題にも触れています。人間の安全保障、軍縮、平和教育とトレーニング、良心的兵役拒否、民間軍事保安会社、抵抗と抑圧に対する反抗、平和維持、発展の権利、環境、人権侵害被害者と社会的弱者グループ、難民と移住者です。
これには反対もあり、世界人権宣言とその後できた二つの国際人権規約で規定された人権にこだわる国ぐにがあります。まだ、しばらくは国連の場で駆け引きが続くことでしょう。かつて1986年に「発展の権利宣言」が国連で採択された時も同様でした。「発展の権利」は人権ではないという国が未だにあるのです。人権といっても国連ではしばしば国際政治がらみになるということのよい例でしょう。
(白石 理)