第二次大戦の惨禍にたいする反省から、国連(国際連合)は人権を平和の基礎と位置づけ、国際社会で共有すべき人権基準作りに取り組みました。しかし冷戦下においては、それを普及することは容易ではありませんでした。米国とソ連を核とした東西イデオロギーの対立が大きく影を落としてきたからです。
こうした状況を乗りこえて、国際社会において「人権」を積極的に普及することが可能になったのは、1989年の冷戦が終わってからのことです。国際社会でもイデオロギーの対立を越えて、人権が普遍的かつ不可分なものであり、相互依存的であることが1993年にオーストラリアのウィーンで開催された世界人権会議において再確認されました(「ウィーン宣言および行動計画」)。また、この会議で、民主主義的な価値を育て、人権と基本的自由の尊重を強めるための人権教育の重要性が触れられ、「人権教育のための国連10年」(United Nations Decade for Human Rights Education)を求める決議を行いました。これを受けて国連は、1995年から2004年までを「人権教育のための国連10年」とすることを決議しました。
国連は、「人権教育のための国連10年」を具体的に実施するための行動計画を作りました。その文書では、人権教育とは「知識と技術の伝達及び態度の形成を通じて、人権という普遍的な文化を構築するために行う研修、普及、および広報(情報提供)の努力」と定義されています。また、行動計画は、5つの基本目的を示しました。その5つとは、1.ニーズの把握と戦略の形成、2.国際社会、国際的な地域(regional)、国(national)、地方(local)の各レベルでの人権教育プログラムの立案と、その強化、3.人権教育教材の開発、4.マスメディアの役割強化、5.「世界人権宣言」の普及でした。
また、こうしたさまざま取り組みを政府、政府内組織、NGO、専門家組織、個人、そして市民社会の幅広い領域との協力の上で行うことが求められており、各国は政府やNGOの幅広い連携の上に人権教育のための国内委員会を設立し、すべての人を対象とした包括的、効果的、かつ長期的に「持続可能な(sustainable)人権教育の国内行動計画を策定・実施するよう期待されました。
日本政府は1995年12月、内閣に「人権教育のための国連10年」推進本部を設置し、1997年7月「国内行動計画」を策定しています(首相官邸ホームページ: http://www.kantei.go.jp/jp/singi/jinken/)。また、多くの地方自治体でも同様の計画が策定されました。さらに、2000年には「人権教育および人権啓発の推進に関する法律」が制定・施行されました。
なお、「国連10年」の国連による評価としては、2000年に実施した「中間評価」(A/55/360、 7 September 2000)、ならびに「10年の成果と欠陥及び、当該領域における国連の今後の取り組みについて」(E/CN.4/2004/93 、 25 February 2004)があります。