アイデンティティとは、自分が自分であること、さらにはそうした自分が、他者や社会から認められているという感覚のことです。日本語では「自我同一性」と呼ばれたり、「存在証明」と訳す人もいます。
アイデンティティ概念を最初に提唱したエリクソンは、おとなでもなく子どもでもない青春期には、自分が自分であることと、自分が社会から認められることとのあいだのずれ(アイデンティティの危機)が生じるため、そこで乗り越えられるべき心理的・社会的課題として、アイデンティティの確立をあげました。
アイデンティティが「存在証明」とも訳されるように、通常人間は、自分の存在を価値あるものとしてとらえたい。それは単なる自分の思い込みではなく、他者から「あなたはかけがえのない人だ」「あなたの能力はすばらしい」と、認めてもらうなかでアイデンティティの感覚が生まれます。しかし、社会から否定的に評価され、否定的なアイデンティティをもたらしてしまう属性もあります。そうした属性のことをスティグマと言います。
スティグマの概念を提唱したゴッフマンは、人種・民族・宗教、身体的ハンディキャップ、犯罪歴や精神疾患などをその例としてあげています。スティグマのある人たちの心理的な負担は大きく、自分には価値があると思いたいのに、周りから否定的な評価を受けてしまい、アイデンティティの危機を経験することが多くなります。
そうした状況の中で、スティグマのある人はアイデンティティを管理することをより強く強いられます。たとえば、バレる恐怖がつきまとうけれども、隠せるスティグマであれば隠し続ける。また、スティグマが目立たなくなるくらい社会的に成功することを目指す場合もあります。あるいは、スティグマをスティグマとして容認させない、差別をなくすための社会運動をすることもあります。しかし、もっとも簡単なのは、「あいつらよりましだ」と、他人を差別することで自分の価値を高める方法をとることです。
「存在証明」としてのアイデンティティは、人間として生きていくうえでなくてはならないものです。しかし、すべての人にあてはまりますが、アイデンティティ管理の方法しだいでは、差別を生み出すことにもつながってしまいます。
誰もが人間の尊厳を認められ、肯定的なアイデンティティを持つことができる社会を、私たちは作ることができるでしょうか。