外国ルーツがあるひとを安心させてあげようと思って「なに人とか関係ないよ」「なに人とか気にしないよ」と言うことがマイクロアグレッションになると聞くと、「なぜ??」と不思議に思うかもしれません。
人種民族や国籍を理由に今まで何度も繰り返し否定的なメッセージを受けてきたり、不利益をこうむってきた人にとって、「なに人」であるかはその人の人生に大きく関係しています。外国ルーツであることをできるだけ隠そうと色んな努力をするかもしれません。あるいは、否定的な評価をしてくる社会が間違っているという怒りを感じたり、自分の出自に誇りを示すために積極的にルーツのある国の文化を表現する人もいるかもしれません。
民族名と日本名のどちらを名乗ろうか?お弁当に入れるおかずはどうしよう?
このファッションやメイクだと「違い」が目立つ?友達を家に招待しても大丈夫だろうか...
日常のいたるところで〈どっちにする?〉と選択をせまられる、そんな経験をしているかもしれません。
人種・民族や国籍の他にも、性のありかた、障害...などにおけるマイノリティにとってその属性(その属性に備わる特徴)はいろんな意味で「気にする/気になる」対象となることがあります。気にせざるをえない環境をマジョリティ側が作っているからです。
そのため、マジョリティの立場から「私はなに人とか気にしない」と発せられることに対して、マイノリティにとっては「気にしないでいられる」というマジョリティ特権にうつるために反発を覚えることがあります。「では、なんと言ったら良いの?」と思うかもしれませんが、いつでも・どこでも・誰にでも通用する「正解」はありません。目の前にいるその人が経験してきたこと、感じてきたこと、世界の見え方に対して、重みをもって受けとめる姿勢を示すことをこころがけましょう。