文字サイズ

 
Powered by Google

MENU

ヒューライツ大阪は
国際人権情報の
交流ハブをめざします

  1. TOP
  2. マイクロアグレッションについて学ぶ
  3. 4.コラム
  4. (1)日常のマイクロアグレッションを生き抜くマイノリティの強さ

4.コラム

(1)日常のマイクロアグレッションを生き抜くマイノリティの強さ

ヒューライツ大阪
朴利明(ぱくりみょん)

マイノリティは脆弱な"はれ物"ではない

1970年代にマイクロアグレッションという言葉を提唱したアフリカ系アメリカ人のチェスター・M・ピアースを引き継いで、2000年代以降のアメリカにおいて、この概念の普及に大きく貢献したアジア系アメリカ人のデラルド・ウィン・スーは、自著のなかで次のように書いています。

"マイクロアグレッションの悪影響について認識する際に起こりがちな、問題のある見方について指摘しておくことは重要である。それは、有色人種、女性、LGBTの人々は弱く、救いがなく、過度に敏感で、無力な犠牲者であるという認識である。"(『日常生活に埋め込まれたマイクロアグレッション』p151)

わたしは、自身も在日朝鮮人という民族的マイノリティとしてマイクロアグレッションをずっと経験してきたことを振り返るなかで、スーによるこの一節に深くうなずきます。

マイクロアグレッションによって、ときには傷つきや怒りを感じたり、それなのに相手に何も言えなくて不甲斐ない思いをしたこともあれば、ときには、「こんなことあってさー」と同じ在日の仲間と共有して笑い飛ばしたり、またときには、相手に毅然と言い返すことができた自分を誇りに思えたこともあります。

今でも反応に困るようなマイクロアグレッションもあれば、昔のように傷ついたり動揺したりすることなく「ああ、またこれか」と受け流す術を身につけれることも増えました。

相手の言動の何が問題なのか、顔を赤らめながら必死になって説明をこころみても返ってくる反応によって余計に断絶を感じたことも(数多く)ありますし、今では、多くの場面でもっと余裕をもって相手に共感を示しながら諭すような技術も身につけたり、それで伝わらなくても「そういうものだ、そのうち気づいてくれればいいほうか」と相手に期待しないことで自分を守ることもできるようになりました。

こうした現実は、マイノリティがマジョリティと上手くやっていくために我慢や譲歩を強いられている状況を示している一方で、不平等がある現実のなかで日々を生き延びるためのスキルやレジリエンス(逆境に立ち向かう力、回復力)をマイノリティが培ってきたことをあらわしてもいると思います。

スーも、マイノリティにはこの社会に存在する不平等が存在するなかで生き延びていくために発達させてきた強さや資源があること指摘しています。たとえば、マジョリティが偏見や固定観念によってしばしば現実を正確に捉え損ねてしまうのに対して、マイノリティはより正しく現実を認識する能力に長けており、また、コミュニケーションの非言語的なサイン(表情、トーン、間のとり方、仕草など)を読み取る力や、異なる文化に対する柔軟性においても優れていることが示唆されています。


マイクロアグレッションという概念を手に入れて

マイクロアグレッションという概念もまた、マイノリティが自分たちの経験している状況を捉え、そこに潜む差別・抑圧を可視化し、そして抵抗するために発達させた〈資源〉だと言えます。それは、アフリカ系アメリカ人であるピアースが、同じアフリカ系アメリカ人たちの経験を通じて日常の差別・抑圧をマイクロアグレッションとして概念化し、それをアジア系アメリカ人のスーがさらに発展させたという歴史にもあらわれています。今では人種・民族のみならず、ジェンダー、セクシュアリティ、障害、階級など...この社会の中でマイノリティ性を生きる人たちが自らの経験をマイクロアグレッションというレンズを通して語るようになってきました。

それは、マイクロアグレッション概念の理論の根底に、歴史的に疎外され、軽視されてきた人びとの生きた経験に対するリスペクト(敬意)があるからでしょう。

「それはあなたが気にしすぎなだけ」とこれまでマイノリティ側の受けとめ方に問題があるように言われてきたことや、「悪気があって言ったんじゃないんだから」と軽く扱われてきたことに対して、差別は悪意の有無にかかわらず起こり、真摯に向き合うべき問題であることを社会の常識にしていく、つまり、差別に対する社会の規範をアップデートしていけるよう、マイノリティが発達させた資源としてのマイクロアグレッション概念を有効に使っていきたいと思います。