1975年の国際婦人年を起点に、「女性の地位向上」を目的として1975年、1980年、1985年、1995年に国連世界女性会議が開かれました。中でも1995年に北京で開かれた第4回世界女性会議(北京女性会議)では、女性のエンパワーメントに関する議題として行動綱領が策定されました。
北京女性会議では「人種、年齢、言語、民族、文化、宗教、障害などを理由に、あるいは先住民族であるために、エンパワーメント及び地位向上に対する多様な障害に直面しているすべての女性及び少女のあらゆる人権及び基本的自由の平等な享受を保障するための努力を強化する」という、マイノリティ女性についての言及がなされた点が画期的でした。それまで、ジェンダーの問題と民族・人種などの問題はそれぞれ別々に議論されてきました。しかし、女性であるということ以外の理由でさらなる差別を受けている女性がいるということが北京女性会議において明言されたのです。
女性差別の問題を女性であるということだけで考えることはできず、人種差別などの問題もジェンダーの視点から考え直す必要があると宣言されたことで、マイノリティ女性の存在とその問題が可視化されました。それにより、当事者であるマイノリティ女性による運動が活発に行われるようになりました。