ヒューライツ大阪は2011年7月から9月にかけて、労働の権利、社会保障の権利、教育の権利、食糧、住居を含む生活水準の権利、健康の権利などの保障について規定する「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約」(社会権規約)について五・七・五の句をホームページなどを通して募集しました。
137名の方々から441句もの応募をいただきました。そのなかから、全日本川柳協会常任幹事/ノエマ・ノエシス主宰の高鶴礼子さんとヒューライツ大阪所長の白石理で構成する選考委員会による選考の結果、受賞作品が決定しました。応募していただいたみなさまにお礼を申しあげます。
ヒューライツ大阪は、今後も社会権規約についてフォローし、みなさまにお知らせしていきたいと考えています。
高鶴 礼子・白石 理 共選
特選
矢吹 香奈
入選
そんなひろし
中年やまめ
チュンコすずめ
かきくけ子
辻のぶこ
選外佳作
高鶴礼子
応募総数は441句。句をお寄せくださったみなさんの「なんかヘンだぞ」「これでいいのか」「こうあってほしい」という思いが、しっかりと伝わってくる内容でした。権利の侵害という事態が存在してしまっているということに、まず、気づくことが、人権尊重とその回復のための取り組みの起点であるとするならば、大勢のみなさんが「社会権」を切り口にして、句を書くことに向き合い、考え、費やしてくださった時間こそが、まさにそれであったといえるでしょう。
ただ、「句」としての公募ですから、内容的には優れたものを含んでいても、それだけでは充分とはいえないのが残念なところでした。「句」は文芸。標語やスローガンではないわけですから、何を書くか、と同時に、いかに書くか、という視点が必須となります。そのため、惜しくも選外とせざるを得なかった作品も多く見られました。今後、句を書かれる時には、《表現行為である》ということを念頭において書いていただけたら嬉しいです。それでは入選作をみていきましょう。
特選句、一見、理が勝ちすぎているかのような印象がありますが、「長らえば」と「尋う」の二語によって、《にんげん》が鮮明に炙り出される作品となりました。暮らし向きゆえの、あるいは身体的・精神的状況ゆえの逼塞でしょうか。老境のど真ん中で「こんなになってまで、私が生きているということに、意義などあるのでしょうか」と痛切な問いを発する人と、絶句する思いでそれを聴いている人の対置が胸に迫ります。生の崖っぷちギリギリのところで、問われているのは私たち全員であるのかもしれません。
入選、一句目、私たちはみんな同じ「ヒト科ヒト」という生き物。非本質的な差異なんてどうでもいいじゃないか(まして、そんなことで差別なんかするなよ)という認識は実に的を射たものです。現存種のホモ・サピエンスを示す生物学の語を用い、人間を俯瞰する視座を採ったところが効きました。二句目、「さらわれてたまるか」という語調の強さがいいですね。東日本大震災の津波をも髣髴させる修辞で、一気に読ませます。三句目、生き甲斐を問われ、こうして介護と向き合わせていただいている「今」こそがそれであると、答えることのできる「妻」の凄さはどうでしょう。きっぱりと、そう言い切れるようになるまでに、この「妻」が、そしてその「夫」が、重ねてきた時間と思いの数々を思います。四句目、働いている日があるからこその「休日」なのですよね。働きたいのに働けない日は働いていなくても「休日」とはなりえない。「ありがたさ」を書くことによって、そうした「ありがたさ」を享受しえていない人たちの存在を示唆する手法で、奥行きのある作品となりました。五句目、句に底流する、戦争は最大の人権侵害であるという思いに大きく共感します。
白石 理
社会権規約と一般に呼ばれるものは、正式には経済的、社会的および文化的権利に関する国際規約という。市民的および政治的権利に関する国際規約(自由権規約と呼ばれる)と一対となって1966年に国際連合総会で採択された。条約としての発効は共に1976年である。1948年に採択された世界人権宣言を受け継いだ人権条約であった。日本は1979年にこれらの二つの規約を批准して、条約加盟国となった。日本はそこで条約上の義務を果たすことを国際社会にむけて約束した。
社会権規約では、労働に関する権利、社会保障についての権利、家族に対する保護と援助を保障される権利、食糧、衣服、住居など、人としての尊厳を持って生きるために必要な生活水準を維持する権利、健康を享受する権利、教育についての権利、文化的な生活に参加する権利などが規定されている。これらの権利は、もちろん差別されることなく、すべての人が平等に保障されるべきである。
応募作品のほとんどが今の世相を反映している。人権の保障があるといわれながら、それに反する現実の厳しさに生きづらさを表現したものが多い。人として生きるという当たり前のことが難しい現実に、「私の人権はどうしたのか」という叫びが感じられた。
仕事や失業についての不安や抗議の声、年金、老後や医療保障についての不安、社会から疎外されていく境遇、職場での理不尽、原子力発電所の事故からくる生きることに対する不安や怒り、育児の問題、子どもの安寧、将来への希望と不確かな将来への不安、格差、貧しさ、ホームレス、その他社会で弱い立場にある人、社会の隅に追いやられる人などに社会権の保障を求める叫び、職場など、社会のいろいろの場所である女性差別に対する異議、命や平和に関わる主張。個人の努力だけではどうしようもない社会の問題である。このように社会権のあらゆる課題が作品に込められていた。それでも希望を失わないという必死の声も五・七・五から聞こえてきた。
権利の保障と現実の溝を埋めるためには、生きづらさを日々背負っている人の権利の実現のために、何ができるのか。当事者として人権を知り、人権の保障を求めていく。私を含め、市民すべてに投げかけられた課題である。
応募作品を一つ一つ読むことは私にとって貴重な体験であった。応募くださった方々に感謝申し上げたい。
ヒューライツ大阪セレクト
このたびは本当に多くのご応募をいただきましたが、ご紹介できるのはわずかでしかないのが残念です。そこで、選考委員の選とは別に、ヒューライツ大阪から「これは」と思った作品をご紹介させていただきます。