ヒューライツ大阪は2013年7月から9月にかけて、表現の自由、思想、良心、宗教の自由、政治参加の権利、生命の権利、プライバシーの権利などについて規定する「市民的及び政治的権利に関する国際規約」(自由権規約)に関して五・七・五の句を募集したところ、156名の方から455もの作品をいただきました。
全日本川柳協会常任幹事/ノエマ・ノエシス主宰の高鶴礼子さんとヒューライツ大阪所長の白石理で構成する選考委員会による選考の結果、受賞作品が決定しました。応募していただいたみなさまにお礼を申しあげます。
選考結果
高鶴 礼子・白石 理 共選
特選
木漏れ日
入選
田岡 弘
竹里
かずお
しげのり
光風雫
選外佳作
選考委員による選評
高鶴礼子
今回の応募総数は四五五句。数的には前回の社会権規約をテーマとした募集を少し上回る結果となりました。何よりもまず、今回もまた、大勢の方々が、さまざまな状況における自由権のありようを切り口として、ご自身と向き合う時間を句作の内に過ごしてくださったということに対して感謝を捧げたいと思います。句を書くというまさにそのことによって、傍観者としてではなく《わがこととして》私たちをとりまく事象や問題を考えてみる――、ひょっとしたら、そんな姿勢で書いてくださったのではないかと思える作品にも出会うことができて、嬉しい限りでした。
ただ惜しむらくは、「自由権」を、それ本来の意味ではなく、「自由気まま」という時の「自由」という感覚で捉えておられるのではないかと思える作品が少なからず見られたことです。また、訴えの中味が自由権ではなく社会権の範疇に属するのではないかと思えるものも残念ながら何句かありました。そうした作品は、たとえいい句であっても、テーマから外れているということで選外とせざるを得ません。もったいないことです。せっかく、発想や着眼に見るべきものを含みながら、作品としての昇華が不充分なためにセツメイや日常報告の次元から抜け出られないでいるものも多かったように思います。これまた、とても残念なことでした。これを書こう、と、手に取ってくださる時、句のモチーフは食材と同じです。今後は、それらが、それ本来の味と力を存分に発揮できるよう、腕によりをかけて調理した上で読者に供するということを試みていただけたらと思います。
それでは入選作品をみていきましょう。
特選句、顔を上げて前を見つめる人のまなざしの清新さ、のびやかさに打たれます。「澄んだ水を飲む」という具体的な所作を書き入れたことによって、句頭に置かれた「真っ直ぐに生きよう」という措辞が、単なる観念であることを超えて美しい意志の表明となっているのがおわかりいただけるのではないかと思います。句の中心となる想――この句の場合は「決意」――を、直接的な文言によってではなく具体的な事物に託して語る、そのために最も適切な具象を選ぶ、といった短詩型文芸の表現の基本がここでは、しかと踏まえられています。他の追随を許さないトビキリの一句であるといえましょう。
入選、一句目、明色の句調にのせて、精神的自由権を高らかに宣しておられるところに惹かれます。「選びます」という主体性に満ちた結語の、なんと凛々しいこと。自由権が保障され、人生における自律的選択が保証された状況下においては選択者自身がその選択の責任をまっとうする、その姿勢を引き受けるからこその自由である、という認識が、しっかりと句の中に見てとれるところも魅力でした。
二句目、「戦争はイヤだ」と言っただけで違法となり、拘束を余儀なくされるといった時代がかつて、私たちの国には存在していました。戦争をイヤだと「言う自由」は「言える自由」でもあるのだということを、この句は私たちに教えてくれています。ここでも、句想の中心となる思いを「青い空」という具象に託した叙法が効果的。「空」という語のもたらす空間的な広がりと「青」という色が醸し出す透明感は、自由権の確立されてある状況の心地よい晴れ晴れしさを爽やかに指し示してなお余りあるものとなっています。
三句目、その通り! と、思わず声を掛けたくなりました。自由権というものは、私たちがオギャアと生れ落ちた瞬間から私たちひとりひとりに属するものなのですよね。それを看破した作者の目の確かさ、ズバリと言い切った潔さが光ります。
四句目、反語的にも読める叙述の背後から、こんなことを自国の民に問わせて、ほんとうにそれでいいのか、という悲痛な声が聞こえてきそうです。それはきっと、作者が感受された現況に対するやり場のない哀しみと憤り、そして無念さから来ているのでしょう。そんなことを問わせるなんていいわけはない、と断じられた作者の思いに熱く共感します。
五句目、禁色などというものはレトリックの世界の話のみにしておいていただきたいものです。出自や社会的地位によって人に差別的状況を受け入れさせることは自由権を侵犯させることにつながります。「何色を好きと言ってもいい」という、一見、単純かつ無邪気で些末的に思えるような措辞に託して、この句が主張している事柄は、実はとても深い、本質的なものなのです。
「選外」として挙げた九句は、さまざまな場面における自由権についての言及で、それぞれに見るべきものを感じさせる作品でした。ただ、同時に、たとえば韻律の乱れや平板さ、答えが出過ぎている感といった残念な印象をちょっぴり宿している作品でもありました。そうした点が解消されれば、より心に響く作品となったのではないかと惜しまれます。九句の中では、一句目に挙げた鈴木良二さんの作品に底流する《力強い抒情》に最も惹かれました。「自由は風でない」と、断定形に記された修辞が秀逸です。
白石 理
今回も前回の「五・七・五で詠む社会権規約」のときと同様多くの応募がありました。応募下さった皆様に御礼申し上げます。
自由権規約と一般に呼ばれるものは、正式には市民的及び政治的権利に関する国際規約という条約です。経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(社会権規約と呼ばれる)と一対となって1966年に国際連合総会で採択されました。1948年に採択された世界人権宣言を受け継いだ人権条約です。共に1976年に発効しました。日本は1979年にこれらの二つの規約を批准して、条約加盟国となりました。日本は、そのようにして条約上の義務を果たすこと、日本国内でも条約で規定された権利を保障することを国際社会にむけて約束をしたのです。
自由権規約で規定されている人権には次のようなものがあります。
生命に対する権利、拷問又は残忍な刑や扱いを受けない権利、奴隷及び強制労働の禁止、身体の自由。恣意的逮捕又は拘留をされない権利、自由を奪われたもの及び被告人が人道的にそして人としての尊厳をまもられて取り扱われる権利、不法に追放されない外国人の権利、公正な裁判を受ける権利、遡及処罰の禁止、法律の前に人として認められる権利、プライバシーの権利、思想、良心及び宗教の自由、表現の自由、戦争宣伝及び差別唱道の禁止、集会の権利、結社の自由、家族の保護及び婚姻の権利、子どもの権利、政治に参与する権利、法律の前の平等、少数民族に属する人の権利。
自由権規約は、このように多くの具体的権利を規定しています。だれにとっても、生きるという最も基本的な権利である「生命に対する権利」から始まり、市民社会で幸せに生きるために欠くことができない権利が挙げられています。「自由権規約」という名前から「自由」という言葉だけにこだわった応募作が多く見られましたが、漠然とした「自由」の感覚だけでこれらの人権を理解することはできません。一人ひとりが生まれながらに持つとされる人権を具体的に知っていることは、自分を守るとともに他者を大切にし、公正で公平な社会を維持するためにきわめて大切です。
自由に考え、自由に話し、自由に意見を表明できない社会。自由に動きまわれない社会。人が人を強制し、搾取することが日常的に起こる社会。理由なく逮捕され、拘束され、あるいは夜の闇に行方不明になってしまうようなことが起こる社会、公正な裁判を受けることができない社会。差別や外国人排斥を声高に扇動することを容認する社会。そんな社会で人間不信と恐怖におびえながら生きていては、人としての幸せを期待することはできないでしょう。残念ながら、そんな社会が、世界にはまだ多くあります。
応募作品の多くが、人として、尊厳を持って生きるために「自由」がいかに大切であるかを語ろうとしていました。そのような「自由」に対する本能的な希求をこの上なく大切に思います。
ヒューライツ大阪セレクト
本当に多くのご応募をいただいた中から、ご紹介できるのはわずかでしかないのが残念です。そこで、選考委員の選とは別に、ヒューライツ大阪から「これは」と思った作品をご紹介させていただきます。
2011年に募集した『五・七・五で詠む社会権規約』の入選作品はこちらをご覧ください。