2014年7月12日、ジメジメとした暑さの中、今年度第2回目の「大人の遠足」を実施しました。今年度は、ヒューライツ大阪と大阪大学未来共生プログラムが共催して企画することになり、第2回目も第1回目と同様に、未来共生プログラムの大学院生が中心になって企画・進行を担いました。当日は暑い中、足を運んでいただき、総勢20人に近くなりました。
今回は豊中市「蛍池・刀根山・待兼山」地域を舞台として、かつて旧日本軍の飛行場、戦後は米軍基地であった大阪空港の歴史や江戸時代にこの地域を領有した麻田藩の歴史等を踏まえながら、戦後と開発と人々の暮らし通じて自然環境がどのように変容してきたかを見つめました。
案内人をつとめていただいた刀根山高校の松本馨先生は、この地域と自然環境の変容について、刀根山・待兼山地域を中心に歩きながら語りました。戦後、郊外化によって住宅が増え、道路が整備され中国自動車道が開通したことによって自然環境と人々の生活が激変したことを知りました。かつては田畑が土地の多くを占め、ため池も数多くあったこの地域では人間が自然に手を加えながら維持していくことによって「自然」が育まれてきたことが分かりました。松本先生は同時に「人権」という概念の人間中心主義的な側面を指摘しておられました。人権を拡大するということとその過程で自然との関係をどのように考えるのか、人間の権利ばかり考えていいのか、ということは私たちが考えなければいけない論点だと提示されました。
同じく案内人をつとめていただいた大森実先生からは、蛍池が「基地の街」であったことについて詳しい解説がありました。かつては旧日本軍の飛行場であり、米軍接収後はテキサス通りと呼ばれる歓楽街があり、朝鮮戦争勃発時には、ここから爆撃機が飛び立った等、この地域と空港の歴史を語られました。今でも伊丹空港と言われるのは、米軍基地であった頃の名称が「イタミ・エアベース」だったからではないかと言われているそうです。
今回の「大人の遠足」は大阪空港の歴史を含めてさまざまな開発が人権や自然環境にもたらす影響を、身近なところから実感できる機会でした。「人権」「自然」「共生」といった何気なく使っている言葉を根本から考え直し、多様な生態系とそのなかの人間社会のあり方を考えるきっかけとなる一日でした。
(大阪大学大学院未来共生プログラム 尾崎俊也)