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ヒューライツ大阪は
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トーク「温又柔×三木幸美『ここで暮らす KOKO DE KURASU.』」を開催しました (1/26)

 日本には、さまざまな文化・ルーツを持った人びとが暮らしていますが、お互いの存在と違いを認め合い、権利が保障される「ダイバーシティ」(多様性)の視点が近年ますます重要になってきています。そうしたなか、移住者と連帯する全国ネットワークが推進する「移住者の権利キャンペーン2020」に呼応し、在日コリアン青年連合(KEY)やヒューライツ大阪などの団体や個人が実行委員会を組織し、多様な人たちが参加し意見を出し合う「ここにいるKoko ni iru.大阪企画」を2018年から実施してきました。食文化、名前、日常のもやもやなどをテーマにシリーズで企画を行い、その4回目として1月26日にトーク「温又柔×三木幸美『ここで暮らす KOKO DE KURASU.』」を大阪市内で開きました。約80人が参加しました。
 温又柔(おんゆうじゅう)さんは台湾生まれの小説家で、台湾人の両親とともに3歳のときに渡日して以来、東京で暮らしています。中国語や台湾語を織り込んだ「ニホン語」で小説・エッセイを執筆しています。三木幸美(みきゆきみ)さんは、フィリピン人の母と日本人の父とのあいだに生まれ大阪で育ちました。とよなか国際交流協会職員。講演や執筆、ダンス・ワークショップなどの活動を続けています。
 トークでは、コトバを通した自分のアイデンティティをめぐる思いがそれぞれ語られました。温さんも三木さんもコトバをとても大切にしながら発信していることを強調しました。しかし、自分の発したコトバが、ときとして安易に「わかった」と解釈した聞き手から「切り取られ」、自分が望んでいないイメージを植え付けられることがあると述べました。
 温さんは、かつて中国人らしい、台湾人らしい中国語を話そうとして苦悶した日々を経て、「私らしい中国語」を話せばよいと思うようになったという心の変遷を述べました。
 日本語環境で育った三木さんは、幼少期からハーフだと意識しながらフィリピンの言葉を話すことができず、学ぼうとして挫折を繰り返したという葛藤を語りました。三木さんは、「日本人」であり「外国人」でもあると自己認識しています。しかし、「結局、どっちなん?」と迫ってくる人たちがいるといいます。
 二人は、「切り取らせない言葉」を発信することを通じて、「わからない」という自分の限界を知りつつも「わかろう」とする人たちや、安易な共感を目標とせずに一緒に考えてくれる人たちを増やしていきたいと異口同音に語りました。
 温さんは、とにかく「ここにいる」というだけで楽しめるという、そんな場がどんどんできていけばよいと語りました。

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温又柔さん(左)

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三木幸美さん(右)

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左から 李明哲さん(司会), 温又柔さん, 三木幸美さん