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安田純平さん講演会「シリア人質40カ月の深層に迫る」を開催しました(5月19日)

 ヒューライツ大阪は、5月19日に大阪市内でジャーナリストの安田純平さんを講師に招いて講演会「シリア人質40カ月の深層に迫る」を開催しました。安田さんは、2015年6月に取材のためにトルコから入国した紛争下のシリアで武装集団に拘束され、2018年10月に解放されるまで、40カ月(3年4カ月)ものあいだ「人質」となっていました。
 講演会の冒頭には、2012年8月にTBS「報道特集」で放送された「内戦のシリアに潜入した日本人ジャーナリスト」が紹介されました。これは、安田さんが同年にシリアで5週間にわたって反政府勢力の「自由シリア軍」の支配地で取材した記録です。
 講演は、シリアやパレスチナなど紛争地を取材しているジャパンプレス所属のジャーナリストの藤原亮司さんとの対話形式で行われました。藤原さんは2016年1月に安田さんの足取りをたどるためにトルコに行き、武装組織の関係者などに会い情報収集に努めました。
 安田さんの講演の概要は次のとおりです。

なぜ紛争地を取材するのか
 報道をきっかけに戦争がなくなればと願い取材しているがなかなか効果がない。イスラム国をはじめ反政府勢力は初期の頃は外国人ジャーナリストの取材を受入れていたが、人質にとって身代金を要求するという方向に変わってきた。
 近年の戦争報道は、ジャーナリストだけでなく現地の人も取材活動し、SNSで発信している。そのため、外国人が行かなくてもよいではないかとう考え方もある。しかし、現地の人は当事者である。空爆で怪我をしても、それは嘘だと政府側に打ち消される。「反政府側の情報はフェイクニュースだ」、「反政府側の仕業だ」「米国の陰謀だ」などと大量の情報を政府側が流しているのである。だから、われわれ外国人ジャーナリストが第三者として現場に入っている。それでもアメリカの手先だとさんざん言われている。
 2004年、イラクで取材中にスパイ容疑で地元の自警団に捕まり、3日間拘束された。紛争地に入ろうとすればかならず疑われるのである。このとき「人質」にされたと誤報道され、日本政府が私のために身代金を支払ったというデマが流れたのである。

「人質」となって
 今回の取材に際して、人脈をつてに武装組織と連絡をとり調整していたのだが、2015年6月22日にトルコ・シリア国境付近の暗闇で待機していたとき、集中力を欠き違う方向に行って拘束されてしまった。当初、スパイ容疑で尋問されたが2日間で疑いが晴れた。しかし、監禁が解かれなかった。同年7月下旬、日本政府に身代金を要求すると伝えられた。
 その頃、日本政府は拘束を把握し、ニュースになった。それを受けて、多額の手数料と引き換えに解放交渉の仲介を売り込むセキュリティ専門家や在日シリア人などさまざまな人たちが家族や外務省に接触してきた。
 ある仲介者は、私しか答えられない質問を妻に考えてもらい、現地のブローカー経由で2016年1月はじめに私のもとに送ってきた。正しい答えを返せば私の生存証明になるのである。それは解放交渉では重要な情報となる。質問はたとえば、私が仕事で使っている椅子をどこで買ったかというもの。英語とアルファベットで答えを書いた。その際、「Harochaakan」(ハロチャアカン)「Danko6446」(ダンコムシシロ)「Bujifrog」(ブジフロッグ=カエル)といった翻訳サイトを使っても判読されないような暗号メッセージを忍ばせた。拘束されて半年たっていたが、そのやりとりでまるで家族と話している気分になれた。待ってくれていると元気づけられ、「無事に帰るよ」という気持ちを伝えたかった。
 しかし、妻が回答を目にしたのは2年8か月後の2018年8月のことであった。仲介者からではなく日本テレビの取材班からの情報であった。
 2014年にシリアでイスラム国の人質となり2015年に殺害されたジャーナリストの後藤健二さんなどのケースから、日本政府は身代金を絶対に払わないと思った。私には日本政府の動きは伝わってこなかったが、身代金交渉をせずに解放を考えていたようだ。
 拘束されている間、頭に浮かんでくるのは過去のことばかり。たくさんやり残したことがある過去をひたすら悔やみ続けた。こんな状態がいつまで続くのだろうか。自暴自棄になり、部屋の壁をボコボコに蹴ったこともある。それでも、生還できることを信じ、やり直すのだと自分を励ましていた。
 拘束されてからちょうど40カ月目の2018年10月22日、解放してくれと強く訴えたところ、「今から帰す」と告げられ、翌朝に車でトルコ国境まで移動し、解放された。

子どもたちへのメッセージ
 講演の最後に参加者から子どもたちに伝えたいメッセージを聞かれ、安田さんは次のように答えました。「好きなことをやってください。新しいものをみつけるには、人がやっていないことをすること。泥水のなかに手を突っ込むと噛まれるかもしれないけど、そうすることで初めて浮かび上がってくるものもある。何か新しいことをしようとすれば非難されることがありますが、そういう人がいないと社会が進んでいかない。そのような行動を互いに認め合い、見守ることで社会が発展していくのではないかと思います」。

参加者の感想より
 講演会の参加者は108人でした。そのうち40名がアンケートに回答し、「話を聴くことができてよかった」という以下のような主旨の感想が寄せられました。同時に、メディア報道のあり方に関するコメントが多くありました。
「安田さんが取材された戦地における日常は、遠く離れた地にいる私たちへ、彼らへの共感を呼び起こしてくれます」
「40カ月をのりきった安田さんは本当に強くて、ジャーナリストとして、こうやってつらい経験として伝え続けている姿がすごいなあと思いました」
「安田さんのお話を実際に聞いて、テレビで伝わってくる姿とかなり差があると改めて思いました。メディアのあり方も改めて考えさせられました。メディアの力はとても大きく、私自身、誤解してしまっていることがたくさんあったように思いました。情報を選択する力を身につけなければと思いました」
「メディア報道と実際があまりにかけ離れていて驚きました。イラク戦争が現在のシリアの現状を作った。そのイラク戦争に参加した日本が、シリアの現状に無関心なことにどう関われるか、と考えました」

 

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報告する安田純平さん(右)と藤原亮司さん