韓国・ソウル市に隣接する京畿道(キョウギド)で移住者を支援している4つの団体―(社)アジアの窓(軍浦市)、(社)安山移住民センター、南揚州市外国人福祉センター、烏山移住民センターが、「京畿圏移住児童保育ネットワーク」というネットワーク組織を作り、2018年11月に正式発足しました。このネットワークから日本の多文化保育の先進的な実践を学びたいという要望を受け、ヒューライツ大阪が、2019年6月14日~15日に21人の訪問団の受け入れ、大阪で多文化保育・人権保育の現場訪問と、多文化保育に関心のある日本の人たちとの交流学習会をコーディネートしました。
同ネットワークは、「移住児童」(注:韓国の国籍を有さず、韓国に住んでいる18歳未満の子ども)の人権保障のために活動を進めています。韓国の移住児童は、2018年12月の政府統計だけでも10万人を超えており、京畿道はその3割にあたる約3万2千人の子どもたちが生活しています。ここには、オーバーステイなどの非正規滞在の子どもや出生登録がされず無国籍の子どもは含まれていません。同ネットワークは、保育対象年齢の移住児童が、保育を受ける権利を含め行政支援から除外されている課題の解決、そして多文化保育の理念やカリキュラムの充実に大きな関心を寄せています。今回の訪問団のメンバーは、移住児童の保育をしている保育士と移住者の支援をしている活動家が大半でしたが、弁護士や道議会議員も参加し、若い層からベテランまで多様でした。
大阪で二つの多文化保育・人権保育の保育現場を訪問
6月14日午後は、大阪市生野区にある大阪聖和保育園を訪問しました。生野区は現在、人口13万人のうち、約2万8千人が外国籍住民で、そのうち、韓国朝鮮籍が2万1千人をしめます。朝鮮半島が日本の植民地になった時代より朝鮮半島出身者―特に、済州島出身者の集住地域であり、今も全国最大のコリアン・コミュニティがあります。大阪聖和保育園事務局長の森本宮仁子さんは、生野区の状況を説明しながら、同保育園が大切にしてきた「あなたはかけがえのない存在、あなたはあなたのままでいい」ことを受けいれる保育の理念に照らして「民族保育」の取り組みを紹介しました。実際に在籍している園児のうち、在日コリアンは約70%(日本国籍でルーツがある子を入れると90%)を占めるそうです。
同保育園は、異年齢の子どもたちでクラスをつくる「縦割り保育」も積極的に進めています。同年齢の集団の場合はできる・できないを比べてしまいがちになりますが、異年齢の集団だと、人によってできることが違っていて当たり前であること、また自然と年上の子が年下の子を助ける場面が増えるというメリットがあるとのことです。訪問した時は、保育士さんが韓国朝鮮語で手遊び歌を歌っていました。
6月15日午前は、大阪市西成区の通称「釜ヶ崎」にある、わかくさ保育園を訪問しました。釜ヶ崎は、全国最大の日雇い労働者のまちでしたが、今では日雇いの仕事が激減し、労働者も高齢化して、福祉のまちになりました。そして、釜ヶ崎は依然、危険/汚いと言われ、差別をされるまちであり、貧困問題もまた大きな課題です。2019年3月までわかくさ保育園に保育士として勤めておられ、現在は、同じ福祉法人が運営する大国保育園の園長である西野伸一さんが、釜ヶ崎の歴史と現状から保育園の子どもの人権を守り、自己決定を尊重するという理念や、まちの人たちと共に子どもを見守る活動をしていることが紹介されました。
さらにまちを巡回することもこの保育園の大事な仕事であり、そこで緊急のサポートが必要な人たちを見つけているという活動が紹介されました。西野さんが保育士をしていた当時のわかくさ保育園での外国にルーツのある子どもたちは約3割。また、まちを巡回した結果つながった、DVから逃れてきた外国人女性とその子どもや外国人の父子家庭の事例が紹介されました。
訪問団一行は、在日コリアンの現状や生野区の形成の歴史、釜ヶ崎について初めて知る人が多く、熱心に質疑応答がなされました。
日韓の多文化保育の実践と外国ルーツの子どもたちの現状を学ぶ交流学習会
6月15日午後6時から8時半の日程で、(公社)子ども情報研究センターとの共催で、大阪市の弁天町にあるHRCビルにおいて「日韓の多文化保育の実践と外国ルーツの子どもたちの現状を学ぶ交流学習会」を開催しました。参加者は54人でした。
まず、今回の訪問団について、「アジアの窓」常任理事のイ・ヨンアさんが紹介しました。
次に、日本側から、常磐会短期大学教授の卜田(しめだ) 真一郎さんが、「多文化共生保育の理念と実践の今」というタイトルで報告しました。多文化共生保育のめざすところを説明しながら、関西では、部落差別をなくす当事者運動から出てきた「同和保育」の積み重ねから発展してきたことや、保育所の多文化化の状況の違いによる実践の違いなどについて調査研究の結果をふまえた説明がありました。
続いて、韓国側から、「コシアンの家」保育園長 キム・ヨンイムさんが、「私たちのめざす多文化保育」というタイトルで報告しました。「コシアン」とは、「コリアン」と「アジアン」の合成語で、「コシアンの家」は、工業団地が誘致され、外国人住民が集中して住んでいる安山市に1994年に設立された安山移住民センターの活動の中で誕生した、移住児童のための支援拠点です。これまでの活動の歴史をふりかえりながら、今後、めざしていく多文化保育の内容を紹介しました。
また、「移住児童の人権保障をめぐる現状と課題」というタイトルで、安山市にある元谷(ウォンゴク)法律相談所代表で弁護士のチェ・ジョンギュさんが、保育対象年齢にある移住児童をめぐる法制度について報告をしました。こうした状況の下、現在、京畿道で、「移住児童支援条例」制定をめざしている議員の一人であるキム・ヒョンサムさんが条例案についての説明ととともに、この条例に反対するグループが勢いを増している中で市民団体と共に奮闘している状況を報告しました。
報告の後は、日韓の両方の参加者から質問や意見が活発に出ました。参加者からのアンケートでは、日本でも実際に保育の現場で、様々な外国にルーツのある子どもたちを受けいれ、コミュニケーションを含め、どのように保育を進めるべきか悩んでいる声や、今回の日韓の経験を聞いて、言葉は通じなくても心は通じ合うと確信したこと、あるいは、多文化保育は、差別する側になるかもしれないマジョリティに対して必要という言葉に共感したなどの意見が寄せられました。
交流学習会に先立っては、訪問団から日本国籍の有無や在留資格による行政サービスや教育・保育での処遇の違いなどについてあらかじめ質問を受け、藤本伸樹研究員がそれに答えるという時間を設けました。
韓国に住む外国籍の子どもたちは、京畿道で実施されているような一部の福祉制度(保育費支援、正規滞在のみ)を除いては、福祉制度の利用において国籍の壁があります。一方、日本は、1980年代はじめに国際人権規約と難民条約に加盟したときに展開された在日コリアンの人権運動によって、社会保障においてはかなりの国籍要件がなくなりました。しかし完全に保障されているわけではなく、非正規滞在の子どもたちが無権利状態にある点では、韓国の現状とよく似ています。
交流学習会の終わりに、多文化保育の推進を含め、外国にルーツのある人たちの人権保障に情熱をもって取り組む日韓の現場の人たちに対し、双方が感銘を受けたという話が出ました。同時に、残念ながらどちらの社会も外国人に対する差別排外的な意識が強まっているという現実も確認しながら、だからこそ、多文化共生をめざす私たちの国を越えた連帯がより重要であるという思いを共有しました。