2021年1月27日、東京大学大学院総合文化研究科 「人間の安全保障」プログラム(HSP)、持続的平和研究センターとヒューライツ大阪の共催によるセミナーがオンラインで開かれました。2020年にオックスフォード大学出版から出された “The United Nations Commission on Human Rights: A Very Great Enterprise”「国連人権委員会:極めて偉大な一つの企て」と題する新刊書の著者、ジョン・パチェ(John P. Pace)氏の話が中心の企画でした。続いて、三輪敦子・ヒューライツ大阪所長と高橋宗瑠・大阪女学院大学教授が加わってのパネリスト対話があり、参加者から寄せられた質問や意見に答える形で議論が進みました。セミナーの進行役は、キハラハント愛・東京大学持続的平和研究センター副センター長でした。
ジョン・パチェ氏は、1966年から1999年まで国連の人権分野で働きました。人権委員会の運営サポートの責任者を16年、1993年の世界人権会議では準備段階からコーディネーターを、また、国連の人権分野の活動の拡大の時期に特別手続、人権分野の技術協力プログラム、調査研究部門などの責任者を務めました。また、世界各地の人権侵害の現場で国連による数多くの問題調査、情報収集活動に加わりました。国連退職後も大学や研究機関のほか、インドネシア、イラク、リベリアなどで人権関連の仕事をしてきました。今回紹介された著書は、長年の豊かな経験と、人権に関する知識や洞察に裏打ちされたものです。
国連の人権分野の成果を総合的に辿る
「国連人権委員会:極めて偉大な一つの企て」は、目次を入れると900ページに及ぶ分厚い本です。国連の人権分野での体制づくり、国際人権基準の拡充、人権保護促進と履行確保に関して、国連が創設された1945年から始まって2019年までの過程を、国連機関の決議と公式文書に拠って詳細に記述しています。極めて複雑で、時には矛盾するようにも見える個々の出来事をまとめあげながら、国連75年の歴史的な流れの方向性と全体の広がりがわかるようにしているのは、特記に値します。 脚注が多いことは、著者によれば9,000以上の決議と公式文書を網羅したことの証しでもあります。著者は、「偉大な企てのこれから」と題するエピローグ(結び)は別として、できる限り私見と価値判断を挟むことは避けたと述べています。これは人権入門書でも、人権活動のためのマニュアル書でもありませんが、国連の人権分野での成果を総合的に辿り、原典にまで遡る人権研究のためには、貴重な参考書であると言えます。
市民社会の果たしてきた役割と現状
ジョン・パチェ氏の話の中心テーマは、市民社会が国連人権制度形成に寄与してきた貢献と課題でした。今日まで国際社会における人権の保護促進の進展は世界各国の政府ばかりではなく、市民社会の実質的な関わりがあってこそ可能であったとした上で、国連人権委員会から人権理事会への改組以降、市民社会の参加が制限され(一例として、国連加盟国全ての人権状況を定期的に検討する制度である「普遍的・定期的審査」(UPR)では、市民社会団体の対話への参加は認められていない)、それまでのような人権課題に関する実質的な貢献が難しくなってきたと述べました。市民社会の人権分野で果たす重要な役割が、人権理事会において十分認められる必要があるとして、国連の加盟国全てからなる常設人権理事会の中に市民社会のための部会(Chamber for Civil Society)を設けることを考えるべきであると語りました。
現在の多様な人権問題や人権活動の課題
パネル・ディスカッションでは、今の人権課題、特に新型コロナウィルス感染の世界的拡大(パンデミック)と人権、人権現場の状況と国際的な場での人権議論の乖離、人権理解と文化的伝統的観点からの人権否定論に対する懸念などが語られました。三輪氏は、パンデミックを「誰も取り残さない」とする人権の保障を基盤としたSDGs(持続可能な開発目標)の大切さを確認する機会とするべきと語りました。高橋氏は、パンデミック下の現状が「新しい日常」として定着するものではなく、決して持続可能ではないことを、社会で起きている格差の顕在化に例をとって語りました。三輪氏は、地球上のインターネットアクセス可能人口の割合も示しつつ、パンデミックで余儀なくされているオンライン会議などは、インターネットとIT機器に容易にアクセスできる人と地域でなければ、参加は難しいとしました。これを受けて、パチェ氏は、デジタリゼーション(デジタル技術による通信、情報収集、蓄積、分析、発信など)は有用な道具ではあるが、そこで引き起こされる人権課題に取り組むことを忘れてはならないと述べました。また、国連での人権の取り組みが現場の人権の状況とかけはなれていること、移住の機会を求めて地中海を渡りヨーロッパを目指して命を失う多くの人の例を挙げて、関係国政府や国際機関が人権課題を人道問題として扱う事態にたいして、市民社会が人権の現実を直視するように国連に促すことができるはずであると語りました。また、市民社会と条約機関(人権条約のもとで加盟国の条約履行を監視し、政府報告を検討し、加盟国が同意することを条件に個人からの訴えを審査するもの。個人の資格で選ばれた専門家で構成される)の協力の強化やUPRに市民社会が有効な関与をする必要が語られました。パチェ氏は、この議論は人権理事会の改革の必要を裏付けるものであると述べました。
議論はさらに、政府によって作られ、あるいはその影響下にある非政府組織(Government-Organized Non-Governmental Organization -GONGO)の存在に及びました。このような団体は、表向きは自律的な非政府組織(NGO)のようにふるまいながら、実態は人権基準の実現を目指すものではなく、国連でも問題となっている現状があるとされました。それに対し、人権NGOがはっきりと、人権の実現を追求する姿勢を貫くことで、自ずからGONGOとの差異は明らかになるとのコメントがありました。これに関して、パチェ氏は、政府が人権保障義務を負っていることに言及して、このような手を使って人権の現実を隠蔽したり否定したりすることのないようにと釘を刺しました。
日本における課題への示唆
最後に、パネル・ディスカッションでは、質問に答えて、人権理念や人権の普遍性という捉え方が日本社会に根付いていないという懸念が語られました。パチェ氏は、人権の普遍性を理解するには、人権規範が確定し、やがてそれが法規範となってきた根底には、一人ひとりが尊い存在(人の尊厳)であり、等しく人間であると認めることが必要であると語りました。高橋氏と三輪氏は、日本社会での人権理解は政府の人権教育啓発方針に影響され、「思いやり、親切、優しさ」が一般的であり、国際基準にあるような権利規範としての人権ではないとしました。日本における人権活動の難しさを思い知らされる発言でした。
今回のオンラインセミナーは、パチェ氏の個性あふれる話とこれに応えるパネリストの議論展開で、大いに刺激され、考えさせられるものした。
追記
私(白石 理)のジョン・パチェ氏との付き合いは40年近くになります。国連の人権分野での仕事では約15年間、彼の下で人権委員会の運営サポート、1993年の世界人権会議の準備段階から会議事務局に関わり、近くで彼の仕事をつぶさに見、また関わることで実に多くを学びました。
国連の人権委員会、人権理事会では加盟国が多数決で決議を採択し、そのようにしてできた合意形成の積み重ねで人権体制が形作られてきました。しかし、否決された提案の中には、1975年から1979年にかけて発生したカンボジアの大量殺戮のような深刻な人権問題に関するものもありました。国と国の政治的駆け引きで、人権課題が認知されなかったのです。国際人権政治ともいうべき現実があります。世界ではしばしば、国家が人権を無視し、侵害することがあります。人権委員会ではそのような国も人権課題に関わってきました。2006年に人権委員会から人権理事会に移行したときに、新たな理事国は人権保護促進への貢献と約束を考慮して選ばれるとされましたが、実際にはこのような選択基準が守られることはなかったようです。パチェ氏が、国連がこれまで達成してきた成果は市民社会の実質的参加と貢献がなければありえなかったというとき、国だけで構成される人権委員会や人権理事会でのカウンターバランスとしての市民社会の役割を指しているのだと思います。
2019年のはじめに、パチェ氏から、世界のいくつかの場所で、著書の紹介と記念の講演をする計画があると聞きました。そこで日本での催しの可能性を探り始めましたが、新型コロナウィルス・パンデミックのために、パチェ氏の来日はかないませんでした。そこで、思い立って連絡をとった東京大学持続的平和研究センター長の佐藤安信教授の協力でオンラインセミナーを開くことができました。キハラハント愛・副センター長と春聡子さんがセミナーの準備、運営の労をとってくださり、Raymond Andayaさんがセミナーの記録をとってくださいました。感謝いたします。
白石理・ヒューライツ大阪会長