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第8回じんけんカタリバ「東日本大震災から10年の軌跡~福島から避難して~」を開催しました。(2/28)

 2021年2月28日、第8回じんけんカタリバ「東日本大震災から10年の軌跡~福島から避難して~」を、オンラインで開催しました。
 講師の森松明希子さん(原発賠償関西訴訟原告団代表)は震災直後、子どもと一緒に母子で大阪に避難してから10年の間、子育てと仕事をしながら、休日には講演会などの活動を続けてきました。

 報告の要旨は以下の通りです。

 2021年2月13日の夜、福島県などで最大震度6強の地震が起きました。その時、今も仕事の都合で福島県で暮らしている夫の安否を確認しているあいだもずっと、原子力発電所は大丈夫かと心配でたまりませんでした。10年前は、地震から身を守ることをまず考え、直後に起きた原発事故のことなど想像もしませんでした。安全だと聞かされていた福島第一原子力発電所は事故を起こし、周辺に住む人々は放射線にさらされました。    

 2011年5月、放射線から幼い子どもを守るため、当時0歳と3歳の子どもと一緒に大阪に避難してきました。この10年間ずっと、なぜ子どもと避難してきたのか繰り返し考えながら説明するなかで、自分は何の権利を侵害され、どういう状況に直面し続けているのかについて話し続けています。

 最も守らなければならないものは何かを問い続けてきた10年ですが、2020年から始まったコロナ禍での生活は、原発事故の被害に似ています。コロナも放射線も目に見えず、人々の命や健康を脅かすものです。
 これまで私は声を上げてきましたが、それは福島から避難した人たちだけのことを正当化するためではありません。

 100人いれば、100通りの避難があります。避難を余儀なくされる人、避難することを選ぶ人、福島に残ることを選ぶ人、それぞれに選択した理由があり、選択する権利があります。だからこそ、それぞれの権利に応じた施策が必要なのに、どの人たちにも必要な施策がしっかりとられていない。そのことに対しておかしいと思ったから声を上げています。避難する・しないに関わらず人は誰もが放射線から身を守る権利、放射線被ばくから免れ健康を享受する権利があります。私は2018年3月、スイスのジュネーブで開催された国連人権理事会でそのことをスピーチしました。しかし、このように国内外で発信している声を、復興を妨げる発言だと言って抑えようとする人たちがいます。子どもの体調が悪くなったり鼻血が出たという事実を話した母親たちがバッシングを受けました。私自身も避難する権利を訴えた時、「福島に残ることを選んだ人たちは権利を行使していないのか」と反論されました。被害を受けた人たちのなかで、福島に残った人と、福島から避難した人とのあいだで分断が起きています。

 自主避難という言葉があります。国から避難指示を受けたわけではないけど、私のように被ばくを心配して、避難をしている人に対して使われる言葉です。避難したくてしたわけではないのに、避難の背景を知らない人たちからは、しなくてもいい避難をしたと人と誤解されます。言葉は簡単に人の認識を真実とは違う形に変えてしまうのです。

 被ばくしない権利、放射能を浴びない・浴びたくない権利は、私たちが本来持っている権利であり、手放してはいけない権利です。このことがわかっていれば原発事故の本質は放射線被ばくの問題だと気付くことができると思います。被爆から逃れるために子どもと一緒に避難をし、10年経った今も夫が残る福島の家には帰ることができません。

 原発で侵害された権利、手放してはいけない権利が10年経っても回復されていなければ声を上げ続けなければならない。侵害された権利にきちんと私たちが目を向けていくことが大切だと思います。

報告用写真.png

原発被害者訴訟原告団全国連絡会共同代表
原発賠償関西訴訟原告団代表
東日本大震災避難者の会 Thanks & Dream(サンドリ)主催

森松 明希子さん