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エンパワメントを得たのは誰だったのか -インドスタディツアー報告-

真嶋潤子

1 はじめに

  伝統的民族衣装をほとんど捨て去り、「西洋化」して国民総ジーンズ化した日本から見ると、ほぼサリーかパンジャビ・ドレスの女性しか見られないインドは、不思議で魅力ある国である。裸足で歩く人も多いIT先進国というのも社会の複雑さを示唆している。
  小稿ではこのツアーのうちデリーで訪問した女性保護連盟ナリ・ラクシャ・サミティ(NRS)とアーメダバードの都市計画パートナーシップ(UPP)ならびにDisaster Mitigation Institute (DMI) での見聞を中心に報告したい。

2 NRS女性保護連盟の見学

  NRS (Nari Rakusha Samiti) はヒンディー語で女性保護連盟という意味で、貧しく社会的弱者である人々の中でも、殊に弱い立場にいる女性を支援するNGOである。その1951年の設立には、ネルー夫人やインディラ・ガンディー女史も関わり、しっかりした組織としてその活動は国内外に認知されているようだ。
  女性保護連盟の主な活動は、1)持参金問題(持参金が少ないと言って婚家から虐待を受ける女性が後を絶たない)の相談と女性支援、2)人身売買の防止への努力、3)赤線地帯での「移動薬局」のサポート、4)女性の識字・パソコン教室と裁縫教室の運営、5)その支部による低所得層の産婦人科医療相談施設、6)学校に行けない子どもたちへの教室などである。インド社会で貧困線以下の生活をしている女性たちの問題は多岐に渡る。私たちがNRSのリーダーたちの親切な取り計らいで、訪れる事の許された施設もまた多岐に渡った。
  まず、赤線地帯の「移動薬局」と、「警察官の護衛」を手配してもらっての売春宿見学をした。「赤線」の意味さえ知らなかったこちらのツアー参加者の女子学生にとって、幼くしてどこかから売られて来た女の子が、狭く、暗く、不衛生な環境で、1回50ルピー(125円相当)からという報酬で売春をさせられているという現場は、ショック以外の何物でもなかったはずだ。その建物の中で「見た」(言葉も通じないし、「会った」とは言いにくい)女性たちは、いずれも背が低くて細い。警官に怒鳴られてドアを開けて案内してくれた一番気丈な女性は、「経営者が入院中でいないので、何も話せない」ときつい表情でにらむ。我々が通された3階のタイルばりの床に衣類をこすって洗濯していた女性は、目を合わせてくれない。そのそばにいた子どもは少しおびえている。案の定父親がわからないという。蠅が飛んでいる。居心地の悪さを感じた。
  移動薬局の車で週2回その地域に来ると言うドクターは、「どんな薬が一番よく出ますか」の問いに「風邪薬や頭痛薬」と答えてくれた。どうしてなのかはわからない。しかし、彼もこの赤線地区で働く女性を支援する一人であることは、事実である。
  女性保護連盟事務局に戻った我々は、その2階で授業料無料の裁縫教室とパソコン教室を見せてもらった。「外国からお客様が来るからちゃんとしていなさい」と言われたのだろうなと思わせる整列とお行儀のよさ。若い女性ばかりである。数台あったパソコンはWindows 98 を使っているのか、その画面を画用紙に描いたものが黒板に貼ってあった。裁縫教室のほうは、全員がミシンを床に置いて、使い方を習っているようだった。
  組織のリーダーは、「売春婦であれだれであれ、素性を明かさずに上の教室で学ぶことができる。私ですら、学んでいる人の素性は知らないのだ」と、プライバシーの保護に配慮をしていることに自信ありげだ。このNGOを運営するリーダーたちは「中流階級の上」と自称する、生活に余裕のある女性たちである。彼女等の活動は全てボランティアでやっているが、運営資金は政府の援助と個人的寄附にたよっているらしい。
  私たちの女性保護連盟事務局での最後は持参金虐待の被害女性二人との対面であった。一人は、子どもが二人ある非識字の女性で、夫は失業しており持参金が少ないと虐待される。もう一人は、教育を受けたという若い女性で、夫の暴力のせいで足をけがしており、痛々しく脚をひきずって入って来た。我々のいる部屋中を悲痛な感情が支配した。結婚の2日目から持参金が少ない、バイクはどうした!と、夫から暴力を受け続けていると言う。そして今は夫の両親共に、彼女を追い出そうとしていると言う。でも彼女は夫と別れたくないという。
  我々が驚き困惑したのは、その事務所に問題の元凶の夫なる人物が来ていたことである。部屋に呼びましょうかというリーダーの申し出に、我々のだれも会いたいと言わず、結局部屋の外で「この人が...」と軽く紹介された。自分の店も持っていてお金に困っているわけではないという立派な男性であった。「どうして...?」という疑問は解けない。今思えば部屋に入ってもらって直接尋ねれば良かったのだ。我々は、疲れて困惑していた。
  インドの社会で持参金問題が悲痛なのは、女性が離婚できない、または離婚したがらないからである。離婚した女性、夫に先立たれた女性は、身寄りのない女として、実家の両親(のいる共同体)も受け入れを拒否し、行くところがないという。売春宿にでも売られるか、社会からはじき出された女性が悲惨な生活をしている姥捨て山にも似た地域に行くか、そんなことならやはりどんな夫にでもしがみついているほうがましか、という話になるのだろう。
  それにしても、インドの新生児の男女比が1000人対933人というのは、不自然である。この国では、出産前性別診断も妊娠中絶も違法だという。
  この他に女性保護連盟が取り組んでいるネパールなどからの人身売買については、それを防止すべくインド政府と関係国との交渉が始まろうとする段階だという。まだ、道のりは遠いと言わざるをえない。
  女性保護連盟では女性が手に職をつければ、そして経済的に自立できれば、生きて行くことができるからという主旨で、教室を運営していると言う。我々が出会った女性たちは、様々な問題を抱え逆境にありながらも必死で生きている様子だった。これらの施設を見学しこの目で現状を見、人々の生の声を聞く機会を得たことは、強烈なインパクトを持って記憶に残ることであった。
  私たちは、この前日に女性刑務所の見学をしていた。そこでは、持参金問題に絡む(例えば姑が嫁に危害や拷問を加えた)罪、麻薬所持の罪などで収監される女性が多い事、裁判待ちの未決者の拘置所が刑務所と区別されていないことなどを目の当たりにした。この刑務所で見た囚われの身の女性たちと、翌日女性保護連盟を通じて知った女性たちの姿が交錯して、インド女性たちの痛々しい姿が幾重にも重なるのだった。女性刑務所は刑務官の配置が適当であるが、男性刑務所の方は、収容人数をはるかに越える人たちが少ない刑務官に管理されているので、条件が劣悪であると聞かされた。

3 都市計画パートナーシップUPP

  デリー市から飛行機で1時間程度の西南に、グジャラート州アーメダバードという織物業で昔から栄えた町がある。マハトマ・ガンディーが運動を始めたガンディー・アシュラムがある。そこのUPP(Urban Planning Partner)というNGOのオフィスでパソコン、ハイテクを駆使した都市計画、特にスラムの改善計画の概要に関するプレゼンテーションを見せてもらった。人工衛星を使った正確な地図と、それに重ね合わせた数々の地図や図表。熱心に説明をしてくれて「社会のためになる仕事ができて満足だ」「この仕事は一生続けたい」と言い切る聡明そうなリーダー格の女性が印象的だった。ちなみにこのUPPで働くスタッフたちは皆大卒であるという。
  その後車で案内された現場は、上下水道とも完備し、「スラム」のイメージとは異なった整備された地区だった。「雨が降っているので今日は学校が休み」だというので、地区の子どもたちがわいわいとみんなで出迎えてくれた。地区の長老らしい男性や若い男女のスタッフが、集会所で地区の物事の決め方や地区の特徴について説明をしてくれた。
  ここでも、途中で「マサラチャイ」(スパイス・ティー)が振る舞われた。熱いお茶なので遠慮なくいただく。雨降りにもかかわらず、建物の中は、乾燥していて清潔にされているようだ。路地も家の周りも、手が入れられていて、無駄なものはなくすっきりしている。しかし、雨降りだったからトタン屋根にもかかわらず、暑さを感じなかったのだろう。

4 災厄緩和研究所DMI

  都市計画パートナーシップUPPの後で訪れた災厄緩和研究所DMI (Disaster Mitigation Institute)では、いかにも教育を受けて洗練された感じのディレクターが、よどみなくその組織の歴史や主旨を説明してくれた。2001年にこの地方を襲った地震などの天災と、翌2002年のヒンドゥー教徒とイスラム教徒の主として「宗教対立」による暴動(ヒンドゥー教徒の乗った列車がイスラム教徒によって焼き討ちされた事件への報復として、数百人ものイスラム教徒が殺され、多数が難民化するなどの問題が生じた)が、同じカテゴリーで「対処するもの」とされているのに、私たち日本からのツアー参加者は少しなじめなかったのではないかと思う。宗教対立をどのように納めようとしているのかに、ツアー参加者から質問が相次いだが、宗教、人種、カースト等もからんでいるらしい暴動の「災厄緩和」など、短時間で語り尽くせるものでも、簡単に解決できるものでもないことがわかった。
  この研究所のスタッフの案内で、「元スラム」の地区を訪ねた。そこの一軒で、小学生の補習教室・パソコン教室・裁縫教室が開かれている。以前は自分の名前すら人前で言えなかったという女性たちが、堂々と自分たちの活動を自信たっぷりに説明している横顔はまぶしくすら見えた。都市計画パートナーシップUPPで尋ねたフィールドと、二重写しに感じられた。インドでは、複数のNGOが少しずつ違った形でスラムの改善に取り組んでいるという現状を見る事ができた。

5 インドで会った人々とエンパワメントということ

  限られた時間ながらも、今回出会った多くの人たちから私が受けた共通点は「誇り高い人々」だということである。富める者も貧しい者も、みんなが頭を上げて、こちらの目を見てはっきりものを言っている。私には、彼ら彼女等から私たち外国人に対して、「あなたの国ではどうですか?」という質問が一度も出なかったのが不思議だったのだが、これも各々が誇りを持って精一杯生きている証だろうか?
  豊かな国だと言われる日本の我々が、自分たちの生活や社会に自信が持てず、むしろこのツアーでは貧しい国だと言われているインドの人たちから、たくさんの元気をもらったように思う。私の向けるカメラに喜んで、素朴で素直な反応を示してくれた元スラムの老若男女の人たち、もう会うこともないかもしれないけれど、一期一会を感じた旅だった。
  この度縁あってこのインド・スタディツアーに参加して、以前から気になりながら機会のなかったインドの大地を踏み現地の人々に出会うことができた。現地事情に詳しいスタッフと通訳の皆さんのお蔭で大過なく過ごせたので、好き嫌いのわかれるインド評だが、私は「好き/魅力を感じる」方に仲間入りできた。お世話になった日本とインドの方、一人一人に感謝している。