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8月3日(土) 「サンカップ・デイケア・センター」(サンカップ託児所)

「サンカップ・デイケア・センター」(サンカップ託児所) SANGKAP Daycare Center & Payatas(パヤタス地区)

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1.リザ・クラモル(Liza Clamor)「フィリピンのこどもたちの未来のための運動」(CFFC)のマニラ・スタッフ
2.ロジャー・デロレス  サンカップ(パヤタス近隣組合)の委員長(託児所で最初に挨拶した男性)

● パヤタスの位置、くらし、環境
  • 廃棄物投棄場のあるスモーキー・バレーはホーリースピリット、フェア・ビュー、バゴンシラン、パヤタスA・Bと5つのバランガイからなる。本日訪れるのはB地区。
  • B地区はさらに4つにわかれ(フェイズ1~4)、その内第二区には21の通り(小路)があり、2万人が暮らす。この第二区には9つの組織があり、その内の一つがSANGKAP。
  • 一日500台以上のダンプカーが入ってくる。運び込まれたゴミの中から、プラスチックやビニール袋、金属類などを拾い出し、リサイクル商に持ちこみ生活している。ファーストフード店などの食べ残しは持ち帰り暖め直して食べている。
  • 2000年7月10日にゴミの山が倒壊してからは、ケソン市からのゴミだけしか搬入が許可されなくなった。
  • マニラの水源であるラメサダムがパヤタス地域の隣にある。しかし、パヤタスは水源の目の前にありながら、2~3年前まで水が供給されていなかった。また、周囲の中流住宅地はパヤタスが水を汚染しているのではないかと反対している。
  • ケソン市のゴミだけが搬入されるようになってから、他のごみはリサール州サンマテオに搬入されるようになった。また、現在のケソン市市長は、ここをゆっくり閉鎖する意向のようである。先月新たな投棄場が同州モンタルバン渓谷に開かれたばかりである。
● コミュニティの成立
  • 1988年コミュニティができた。ケソン市の強制立ち退きが最高潮に達したときで、ケソン市の都市貧困層が再定住のために移転してきた。ここは「約束の地」(Lupang Pangako)という名前の土地だった。
  • 元市長が土地を与えると約束し、2回以上行われた強制立ち退きの犠牲者がここに移転してきた。しかし「約束の地」とは名ばかりで、草深い、水も電気も基本的なサービスも交通へのアクセスもないただの土地だけがここにあった。人々は自分で掘っ立て小屋を建て、ハエが多いため最初はカヤの中で食事もしていた。乗り物まで5キロくらい歩かなければならず、時間も早く終わってしまうので、仕事を早く切り上げなければならないありさまだった。
  • 割り当てられた土地は1家族あたり56m2
  • こうした状況の中で、組合を組織化した。Sangkapは政府に対して基本的サービス提供を求めるため、組織化された。
  • 1990年上半期に電気がついた。これは貧困地域電化計画によるもの。また近隣にジプニー停車場を求めて通るようにした。水は、以前は深い井戸からとっていたが塩気が強くて飲めなかった。そこで必要な水は1容器あたり5ペソも出して購入しなければならなかった。これも2001年10月、水道が設置された。ただし、実際に水道を使えるようになったのはようやく02年の1月から。また1日に30分くらいしか水が使えないので、みんな午前二時といった早朝に起きて、水を待つのが習慣になってしまった。また、通りによっては水道が壊れて水がないところもある。
  • 当初、この谷は小規模な投棄場であったのが、ゴミが増え続けやがて山になってしまった。
  • 倒壊事故の直接影響を受けた496世帯は、さらにモンタルバンのカシグラハンなどに移動した。犠牲者の埋葬、入院費用は要求が通り支給されたが移転先の費用は自前。これは人災なのだから無償の家屋支給を求めている。しかし政府は、家は与えるがそのローンは払えといっているのでこれを拒否。またカシグラハンのような遠いところでは仕事がなく暮らせないため、多くの人々がここに戻ってきている。そのほか、行政交渉の結果、被災住民に対して見舞金が合計120万ペソ(約300万円)支払われた。
  • 犠牲者の家族たちは「犠牲者の会」を結成して、当時の市長やメトロ・マニラ開発局長、投棄場を事実上所有するとされる会社、ゴミを運びこむトラック会社などを相手取って民事・刑事の集団訴訟(class suit)を起こした。(※刑事訴訟に関しては、2002年8月6日に住民の訴えが棄却された)
● 就労
  • 70%は失業...大半の人はごみ収集、建設現場での仕事など以外に定期的な仕事がない。
  • 20%は自営業...露天商、せんたくなど他人のためのサービス、トライシクルの運転など
  • 10%が政府関連機関の雇用者...教師など
  • ゴミ収集を8時間すると、150ペソほどの収入が得られる。これは平均6人の家族には足りない。ちなみに現在の法定最低賃金は280ペソである。人々は150ペソのうち、米に45ペソ、おかずに50ペソ、その残りを交通費や子どもに必要なものを買うのにあてている。1日1食(altanghap 朝昼夕食の単語を組み合わせた造語)とか、塩ご飯(de sabog=振りかけるという意味)という造語ができているほどである。
  • ある母親の話:朝4~8時ころまでごみ収集をし、子どもや家族の世話をして、昼前から午後5時くらいまでまたごみ収集をしている。最初のころ慣れないので、一日10ペソがやっとだったが、今では80~100ペソの収入を得ている。
● サンカップ・デイケア・センター
  • 住民組織としてのSANGKAPは、以前は170世帯くらいで組織されていたが、倒壊事故の後は300世帯くらいになった。1家族6人として、1,800人くらいがメンバー。
  • 子どもを学校にやると費用がかかる。そこで就学前を子どもを対象に、教室を開いた。
  • 6才になれば読み、書き、計算を身につける権利がある。ちなみに、フィリピンでは小学校への入学率は100%近いが、ハイスクールに進むのは60%だけである。またそのうち60%が卒業前に学校を去り、カレッジに進むのは10%くらいである。
  • 午前・午後で交代制とし、それぞれ20人ずつのこどもをみている。夏はサマースクールを開き、普段学校にいけない小学生も対象にしている。人数に制約があるので、もっとも貧しい家庭にプライオリティを置いている(他の組織でも類似の活動をしているが、授業料をとっている)。
● ルパン・パンガコ小学校(Lupang Pangakoは、約束された土地という意味)
  • 4000人が学ぶマンモス校のため、6~10時、10~14時、14~18時の三部制で授業を行っている。1クラス65人程度。
  • 時間的な制約から、価値教育、音楽、美術をすべてマカバヤン(民族主義教育)という科目に統合している。