スタディツアーを振り返って
ジェファーソン・プランティリア(ヒューライツ大阪)
フィリピン・スタディーツアーに関して感想をまとめるのは非常に難しいが、まとまらないなりにいくつかの点があげられる。ここにはツアーの中で思いついたいくつかの問題を述べてみる。
ゴミ産業
パヤタスに入り、私は写真を取り始めた。目的はゴミに関わる産業の様々な側面をカメラでとらえることである。
その時に考えたのは、(単に貧しい人達の地域というだけではなく)ビジネス区域にいるんだということだった。トラックが何台も走っており、人々は忙しそうにゴミを扱っていて、ゴミ業者の店も多く出ている。ゴミの山の頂上を目指して登る間、工場の中にいるという印象は強まった。大きな重機械(トラック、クレーンなど)がフル稼働しているような大きな工場の一場面のようで、人々(老若男女)はゴミを処理する労働者のようだった。
ようやく15年前初代のゴミの山であるスモーキー・マウンテンのNGOプログラムで学んだことを理解した。そこでは、NGOが「ゴミ収集者」(私は労働者とよびたい)にゴミを運ぶための台車を提供していた。おそらくそれは労働者が自分たちが蓄積したゴミ資材を運び、適切な価格で売る手段を提供することにより、そのゴミのコントロールを確保できるようにしようとするためであろう。
パヤタスのゴミ集積場に関してCFFCが送ってくれた資料を見ると、何百万ペソ規模のゴミ産業の図が浮かび上がってくる。他の多くの産業のようにどれだけの資本と利益が関わっていようと、その中で厳しい労働に携わる人達の一番利益が少ない。パヤタスのゴミ集積場では労働者は一生懸命働くが、その努力に対して適切な収入を得ていない。集めたゴミの仲買人(業者)とトラック所有者がより大きな利益を得ている。
ここの労働者のため人権教育プログラムをつくるとしたらどのような内容のプログラムになるだろうか。
都市近郊の農業従事者
アンティポロの農民は実は兼業農家である。4月(下見の際訪問した折り)PAKISAMA(農民組合)のスタッフはアンティポロの農家は都市近郊農家とみなされていると教えてくれた。ここに言葉の矛盾が見られる。農家は地方にあり、都市にはない。しかしアンティポロの農民は都市部に非常に近く、メトロ・マニラで働きながら同時にアンティポロで農業を営むことができる。
われわれはこの情報を参加者に伝えることを忘れてしまった。しかしそれはアンティポロ農民との交流の価値を損なうことはなかった。農民が農業しか生活し、働く手段がない片田舎には見られない農民の多様性を示している。都市から離れると農民は土地しか生活手段がない。
そこにも状況の違いがある。アンティポロの農民はメトロ・マニラの政府サービス、情報やNGOなどへのアクセスが多く、1時間もジープニーに乗ればたどりつけるのである。
アンティポロは山で作った果物で知られており、農業が盛んなところである。しかし都市化の影響が農業に及んでおり、山にも住宅地ができている。アンティポロの農民は土地問題を多く抱えているがそれも一つの原因である。農民達が耕作している土地の(名目上)所有者は土地を住宅地もしくは工業地に変えたいと考えている。利益追求のための土地の非農業用地への転換が70年代以前には開発されていなかった地域で土地に関する紛争が生じている大きな理由である。
「開発」追求のさなかでどのように人権を議論していけばいいのだろうか。
インパクト
PAKISAMAの事務所で行われたブリーフィングは、参加者になじみのない詳細な話も含み、理解しづらいものだった。さらに午後の一番眠たい時刻であり、前日の飛行機での移動で疲れていない人にとってもついうとうとしてしまう恐れがあった。
しかしプレゼンテーションの中で重要だと考えたのは土地改革の中の優先事項として大規模私有地に焦点を当てるという考えである。主な理由は簡単:インパクトである。
大規模私有地(アシエンダ)はフィリピン農民の問題の象徴であり、改革を義務づける法制にも関わらず政府が管理できない巨大な壁として立ちはだかっている。PAKISAMAおよびその仲間にとって農地改革プログラムの成功は政府がどれだけ大規模私有地を分割し、農民に分配するかにかかっている。
したがってPAKISAMAのプログラムの大部分をアドボカシー、つまり政府が特定のターゲットに対して農地改革法制を実施するようロビー活動することが占めることは不思議ではない。またトレーニング・プログラムもアドボカシー・スキルの強化に向けられていることも理解できる。
法的エンパワーメント
PAKISMAとSALIGAN(オルターナティブ法律支援センター)にとって教育プログラムの主な焦点は法律である。いかにして法律を社会の弱者の部分の利益になるよう使うか。
参加者からの質問は法律を理解することの困難に関するものであった。
実はパラリーガル・トレーニングとは、法に関する無知はその法を守らないことの抗弁にならないという法の(スペインおよびアメリカの法の伝統から派生したとも言える)基本原則を実現する手段である。法に関する知識がないからといって法的責任を免れることはできない。法律が政府機関(官報)によって公布されれば、それで7千5百万のフィリピン人にその法について知らせたことになるのである。しかし誰が官報を読むのだろう。どこに行けば読めるのだろう。
法に関する知識の欠如は貧しい人にとって多くの問題を引き起こす。しばしば法がその人たちにとって不公平に適用されることもある。適切な法的支援を得られなければ、厳しい結果を招くことにもなる。残された道は法を使って抵抗することである。この事はアンティポロの農民の事例にも見られる。
他にもパラリーガルが農民や他の集団の権利を守った例があれば法的エンパワーメントの考え方が参加者にとってもっと分かりやすくなったであろう。
しかし法を学ぶことは難しくないのか。そうでもあり、そうでもないといえる。伝統的な方法では難しい。法律家や法学者がラテン語の格言をあげたり、長い法文を引用したり、専門用語や概念を用いた講義を行えば、誰が本当に法を理解するだろう。しかしパラリーガル・トレーニングのように非伝統的な方法に則り行えば、法を理解し利用することができる。(オン・ザ・ジョッブ・トレーニングを含む)実践的な演習によって法規定をより具体的で実践的に学ぶことができる。どのようにパラリーガル・トレーニングが行われているかよい例があればよかったと思う。
しかしパラリーガル・トレーニングや他のどのような法学教育プログラムもそのプログラムの範囲は対象者に関連する法に限定されることを明らかにした方がよい。関連がある(トレーニング対象者の問題に影響を及ぼす)から法を理解する関心も高い。またパラリーガル・トレーナーは法の「神秘性を剥ぎ」、それが真に「人民の法」となるようにする。
交流
ネパタリ・ゴンザレス高校訪問は大きな驚きだった。高校が訪問のために本格的なプログラムを準備するとは思わなかった。人権を教えているクラスを視察するのが目的であり、人権教育のデモンストレーションが行われるとは予定していなかった。
参加者がデモンストレーションを予行演習したスキットとして考えるのではないかと心配した。そのためにデモンストレーションが終わってすぐ参加者に生徒に質問するよう提案した。それによって生徒達がすぐ答えられるかどうか試すことができると考えたからだ。
生徒達はデモンストレーション中と同じように参加者からの質問にも直ちに答えることができて安心した。正直に言って私も生徒達の答えに感銘を受けた。私自身高校生の時にそのように答えることができたかどうか疑わしい。
生徒達の答えは自分たちに関連する問題について高い意識、自信と率直姓を示していた。
参加者が生徒達に質問されていたのはさらに喜ばしい出来事だった。学校訪問の二番目のハイライトだったと思う。参加者と生徒達の練習や予行演習のない真の交流であり、参加者と生徒の間に隔てる壁が取り払われた、家族となった時であった。
BHRAC(バランガイ人権行動センター)
BHRACが人権委員会の主要プログラムであるにもかかわらずあまり知られていないと聞いて残念だった。4月、NGOやPOに尋ねたときにそのことは既に分かっていた。なぜ知られていないのか。本当にそのプログラムはバランガイにあるのだろうか。
ツアー中には答えが見つからなかったが、その後に一つの答えに思いついた。
ラグナの故郷に帰ったとき、市議会の議員にそれについて質問してみた。彼によると人権委員会がその町でBHRACについてセミナーを開催したそうである。町の40以上のバランガイが支援し、代表をセミナーに派遣し、最初はバランガイも関心を示していた。しかし最後には見方を変えてしまったそうだ。
BHRACが何なのか分かると、支援するかどうか疑問に思ったそうだ。その人たちにとって(バランガイ政府が運営、事務所などの資金提供を行う)BHRACは最終的には敵に回るかもしれないと思われ、脅威としてみなされたのだ。
これを聞いてレーガン政権下の米国を訪れたときのことを思い出した。レーガン大統領は無料法律扶助への政府支出を廃止した。なぜいずれ政府を訴える機関を政府が支援しなければならないのか、という理由だった。レーガン政権の政策と故郷のバランガイ指導者の反応の類似は明らかである。
どうしたら人権が脅威にならないようにできるのだろう。
ある種の結論
スタディー・ツアーは大きく二部に分けられる。非定型と定型の人権教育プログラムである。文部省のプログラムは明らかに人権に関する教育を含んでいる。人権委員会のBHRACプログラムもそうである。
一方NGOの非定型教育プログラムは人権という言葉をほとんど使わない。そこで、人権はどこにあるのか、という疑問が起こる。
ここに若干の皮肉が見られる。政府の方がNGOやPOよりも「人権」という言葉を多く使っている。通常は逆だと思うだろう。
しかしこれには理由がある。政府は人権の保護、促進と実現を要求する法に従わなければならない。「人権」という言葉を使うのは法に適切に従うことである。
一方NGOやPOは特定の法に関連する具体的な問題に直面している。人権概念は素晴らしいが、どちらかというと一般原則である。そのような人達が必要としているのはより実践的に使えるものであり、それは関連現行法である。
政府プログラムとNGOやPOのプログラムの間の格差を埋める必要はあるのだろうか。答えはある、であるがどのようにして埋めるのか。それはまだ考えなければならない。
(翻訳・岡田仁子・ヒューライツ大阪)
(原文)
Reflections on the Study Tour on Human Rights Education in the Philippines
Jefferson Plantilla (HURIGHTS OSAKA)
It has been quite difficult on my part to put together a very coherent reflection on our study tour to the Philippines. I have several things in my mind which I cannot connect together to form one whole piece.Thus I am making several comments on some issues that struck me during the tour.
Garbage industry
As we enter the Payatas area, I begun taking pictures of the place. My purpose was to capture in photographs the different aspects of the industry involving garbage.
My feeling at that time was that I am entering a business area (not simply an area of the poor). I see numerous trucks moving about, people busy with the garbage materials, and many shops of garbage material traders. My sense of being in a factory was heightened by the climb up to the top of the garbage mountain. I found the scene as if it is inside a factory where big, heavy machines (trucks, lifts, etc.) work in full blast. I see the people (young and old, men and women) as workers processing the garbage.
Now I understand what I learned fifteen years ago about an NGO program in Smokey Mountain, the original garbage mountain. This NGO supplied carts to the "scavengers," who I prefer to call workers, to move garbage materials from place to place. And probably they are meant to make the workers gain control of the garbage materials they have accumulated by having the facility to move them about and sell them at the right price.
Reading the background material sent by CFFC about Payatas garbage dump provides me the picture of a multi-million peso garbage industry. As in many industries, no matter how much money is involved as capital and profit, those who work on the hard part receive the least financial benefit. In the Payatas dump, the workers are working hard and yet they do not get the appropriate income from their effort. The buyers (or traders) of the collected garbage and the truck owners are the ones who profit more.
If a human rights education program will be developed for these workers, what would the program contain?
Urban farmers
The Antipolo farmers are actually part-time farmers. A PAKISAMA staff informed us in April (during our preparatory visit) that the Antipolo farmers are considered urban farmers. There is a contradiction of terms here. Farmers are in the rural areas not in the towns and cities. But since the Antipolo farmers are very near the urban areas they can work in Metro Manila and at the same time be farmers in Antipolo.
We forgot to provide this information to the participants. Such omission however did not lessen the value of the interaction with the Antipolo farmers. But it shows a variety of farmers that is not found in more remote rural areas where farmers have no other choice but to live and work as farmers. The land to these farmers is the only source of livelihood.
This also shows the difference in situation. The Antipolo farmers have access to more resources found in Metro Manila such as government services, information, and NGOs. These resources are at least an hour of jeepney ride away.
Antipolo is known for fruits grown in its mountains. It is a place where agriculture thrives well. But the reach of urbanization is taking its toll on the agricultural industry. Residential areas are being established in mountain areas. This is one reason why the Antipolo farmers are facing a lot of problems with the land. The claimants of the land they till would like the area to be converted into residential or maybe industrial areas. This drive for more profit by converting the land to non-agricultural purpose is the major reason why land conflicts arise in areas which have remained undeveloped for decades prior to the 70s.
How does one discuss human rights in the midst of drive for "development?"
Impact
The briefing done at the PAKISAMA office was quite difficult to understand in view of the many details presented which are largely unfamiliar to the participants. Added to this is the fact that it was in an afternoon when the danger of dozing off is highest even for those who are not tired from a plane trip the day before.
But one thing I find important in the presentation is the idea of zeroing in on the big private lands as priority for land reform. The main reason is simple: impact.
The big, private lands (called haciendas) are symbols of the problem of the Philippine peasants. They stand as the powerful entities that the government cannot control despite the law requiring their reform. To PAKISAMA and its allies, therefore, the success of the agrarian reform program is determined by the extent of the government's effort in breaking up the big, private lands and distributing them to the peasants.
It is thus not surprising that a major part of PAKISAMA's program is advocacy - lobby for the enforcement of the agrarian reform law by the government on a specific target. It is thus also understandable that its training program is focused on strengthening skills on advocacy.
Legal empowerment
For PAKISAMA and SALIGAN, the main focus of their education program is law. How can we use law for the benefit of the weaker sectors of society?
Some of the questions of the participants refer to the perceived difficulty of understanding the law.
Paralegal training is actually a means to realize a basic principle in law (one may say civil law derived from Spanish and American legal traditions) that ignorance of the law does not excuse anyone from complying with it. One cannot escape legal responsibility by claiming lack of knowledge of the law. Once a law is published in the official government organ (gazette) it is considered to have informed the 75 million Filipinos about the law. But who reads this publication? Where can one find a copy?
This lack of knowledge of the law is a source of many problems for the poor. The law is often used unfairly against them. If they cannot get a good legal support, they are bound to suffer dire consequences. The only way therefore is to fight back using the law. This is exemplified by the legal cases of the Antipolo farmers.
Had there been more examples of the way paralegals used the law to protect the rights of farmers or other groups, the idea of legal empowerment would be clearer to the participants.
But isn't it difficult to study the law? Yes and no. Yes if it is done the traditional way. Lawyers or law professors can give lectures using legal maxims in Latin, quoting lengthy legal provisions, using technical legal language and concepts, and this would constitute the teaching of the law. Who would really understand the law in this way? But done in a non-traditional way as in paralegal training, the law can be understood and used. Paralegal training presents the law and legal concepts in simple ways. Practical exercises are held (including on-the-job training) to make the legal provisions more concrete and practical. I wish there were good examples given on how the paralegal trainings are done.
It may be good however to clarify that in paralegal training or any legal education program, the scope of the program is limited only to the relevant laws. Because they are relevant (they affect the problems of the trainees) the interest to understand the law is high. And also, the paralegal trainers "demystify" the law so that it becomes truly a "people's law."
Interaction
The visit to the Neptali Gonzales High School was a big surprise. I did not expect the school to prepare a full-blown program for the visit. The idea was to observe classes teaching human rights, not teaching demonstration.
I was worried that the participants would dismiss the teaching demonstration as a prepared skit. It was this worry that I immediately suggested to the participants to come forward after the teaching demonstration ended to ask questions to the students themselves. In this way, I thought we could test whether the students are really quick in answering questions or not.
It was to my relief that they were able to answer questions coming from the participants as quickly as they answer questions during the teaching demonstration. And, honestly speaking, I was impressed by the answers. I am thinking whether or not I would be able to answer in that way during the time when I was in high school. I have serious doubt I could.
The answers show high consciousness about issues affecting them, self-confidence, and openness.
It was an added happiness to see the participants being interviewed by the students. I thought it is the second highlight of the school visit. It is a real interaction among the participants and the students without any preparation or practice. It is also the time when there was no wall dividing the participants and the students - they are family, as the cliche goes.
BHRAC
It was a disappointment to hear that BHRAC is not that known though it is a major program of the Commission on Human Rights. I already knew this in April when we asked the NGOs and the POs about it. Why is it not known? Is it really existing in the barangays?
I could not think of an answer during the tour. But I found one answer afterward.
In my visit to my hometown in Laguna, I asked a member of the municipal legislative body about it. He said that the Commission on Human Rights organized a seminar in the town on BHRAC. The more than forty barangay governments of the town provided support. They sent representatives to the seminar. They showed interest at the beginning. But they changed their minds at the end.
Now that they know what the BHRAC is, they have second thoughts in supporting it. To them, BHRAC (which will be supported by the barangay government by providing funds for its operation, office space, etc.), may ultimately turn against them. They see BHRAC as a threat.
While listening to this, my memory went back to my visit to the US during the time of the Reagan administration. Reagan abolished the government fund for free legal assistance. He asked: why should the government support an office that eventually sues it (government)? The parallelism between the Reagan policy and the barangay leaders' reaction in my town is clear.
Indeed, how does one make human rights not threatening?
A kind of conclusion
The study tour is mainly divided into two parts - non-formal and formal human rights education programs. The program of the Department of Education clearly contain the study of human rights. The same is true for the Commission on Human Rights' BHRAC program.
The non-formal education program of the NGOs on the other hand hardly mention the words human rights. This prompted the question: where is human rights?
There is a little bit of irony here. It is the government using the words "human rights" much more than the NGOs and POs. One would normally think that it should be the reverse.
But of course there are reasons behind this irony. The government is bound to follow the law which requires the protection, promotion and realization of human rights. Thus using the words human rights is a very proper compliance with the law.
On the other hand, the NGOs and POs face concrete problems related to specific laws. Human rights concepts are fine but they relate more to general principles. They need something that they can use in a more practical manner - and those are the relevant domestic laws.
Is there a need to bridge the gap between the government programs and those of the NGOs and POs? The answer is yes, but how? That I have to think about.