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韓国の障害児者の教育・福祉 一日見聞記
初瀬まり子 (元養護学校教諭・知的障害者通所授産施設スタッフ)
ヒューライツ大阪の朴君愛さんにお願いして、4日目の午前中に「走夢再活院」(「走夢」リハビリセンター)を見学し、午後は、障害福祉関係者にインタビューをすることができました。日本に10年間住んでおられた崔さんとその娘さんの智英さんが通訳をしてくださいました。
「走夢再活院」は、朝鮮戦争勃発の際、撃たれて歩けなくなった金基寅(キムギイン)さんが、1985年に設立した社会福祉法人走夢財団の施設です。施設は、ソウル郊外の南東部の住宅地にあり、敷地2,004坪、建坪2,619坪(地下1階、地上4階)です。この施設の中に「再活院(入所リハビリ養護施設)」、「再活医院(リハビリ医院)」、「走夢学校(幼稚部1年、小学部6年、中学部3年、高等部3年の養護学校)」、「自立作業場」があります。「再活院」には、事業部30人(部長1、社会リハビリ教師4、職業リハビリ教師1、生活リハビリ教師22、支援教師2)、診療部2人(部長1、看護師1)、治療部11人(部長1、理学療法士6、作業療法士2、言語聴覚士2)等、総員59人が働いています。
土曜日だったので、「再活院(入所リハビリ養護施設)」で、生活しているところを見せていただき、その他は、施設だけの見学でした。「再活院」に入所しているのは、3歳から30歳までの、両親のいない障害のある児童、生活保護家庭の障害のある児童、未婚の母を持つ障害のある児童です。現在は、脳病変障害による身体不自由の人66人、知的障害の人1人、合計67人が入所しています。入所者は、3人から7人で1つのグループになり、居間2部屋と簡単な台所付きの共通の部屋(全部で22畳位の広さ)と大きなトイレ(トイレの横にシャワーがある)を使って、寝泊り、生活をしています。1つのグループの生活とリハビリを2人の生活リハビリ教師が24時間交代で支えます。月から金曜日の日中は、入所者の57人が「走夢学校」で学習、高等部卒業後の人達は「自立作業場」で作業をし、必要に応じて「再活医院」で、一人30分間のリハビリ治療を受けます。
生活をしている所を見せていただいたグループは、就学前位と小学低学年位のグループでした。子どもたちは体が不自由で、這ったり、座ったり、寝ている子が多かったのですが、「アンニョンハセヨ」と声をかけると、にっこりと笑ったり、恥ずかしそうにしたり、「ハセヨ」と答えたり、いっしょに写真をとろうと誘いに来てくれました。子どもたちの服装が、それぞれ明るいきれいな色で、女の子の髪の毛が様々な形に結んであり、可愛いリボンが結んであったのが心に残りました。グループの部屋はゆったりと広く、個性的に飾られていました。
「走夢学校(養護学校)」は、幼稚部から高等部まで、それぞれの学年に、身体障害学級と知的障害学級が1学級ずつあり、合計26学級で特殊教育が行われています。近隣からスクールバスで通ってくる230人と合わせて約300人が学び、教師は60人働いています。人数から考えると、およそ生徒5人に対して教師1人の配置になりますが、授業がどのように行われているのか、見学出来なかったことが残念です。児童・生徒の内、必要な人には、個人リハビリを「再活医院」で行っています。運営費は、障害者無償教育で99%を国の教育部が支援しています。
「再活医院(リハビリ医院)」は1階にあり、内科、小児科、リハビリ学科の診療と治療を行う医務室と、それぞれ専門のリハビリ室があり、器具、教具、設備があり、よく整頓されていました。リハビリ学科では、専門医が常勤診療して、診断治療、障害者登録、装具の処方および構成をしています。リハビリ室の一日利用者総数は、110人(1人30分間)です。他に、歯科診療室があり、週一回ボランティアで歯科医が来ます。
「自立作業場」は、職業リハビリサービスの一環として運営されています。高等部を卒業した入所者と外部の人達に、各種工芸技術や金銀細工の技術を身につけて、就職する準備をする所です。貴金属自立作業場に2人、手工業自立作業場に10人が作業しています。広い作業場には、作業道具、ミシン、鞄、ポーチ、ろうそく等の自主製品がありました。
まとめてみますと、「走夢」リハビリセンターは、福祉施設、教育施設、医療施設が相互交換性を持ちながらコンパクトに同居していて、利用者にとって使い勝手の良い施設でないかと思われます。案内してくださった広報責任者のホーさん(女性)は、韓国で一番の施設だと言っていました。
この「走夢」の入所リハビリ養護施設で入所者は、快適な生活区間と専門家を含む豊かな人手に支えられて楽しげに生活しています。しんどい境遇の子ども・人達をこのように大切にしていることは、すばらしいと思いました。この思想は、韓国独自のものなのか、キリスト教精神から来るものなのかと考えています。
午後は、ソウルのホテルで2時間程、聖公会大学附属聖ペトロ養護学校の小中学部の教諭のパクさん(女性)、ハンシン大学のリハビリテーション学科の教授キョンさん(女性)、韓国障害者団体総連盟の事務総長のキムさん(男性)にインタビューしました。それをまとめると次のようになります。
(1) 附属聖ペトロ養護学校は、知的障害の養護学校で、小学部、中学部、高等部があり、200人が通っている。1学級は7~8人で、教師が2人で受け持ち、1人が、教科のプランナーになって教え、もう1人が全員の補助をする。プランナーと補助は、交代でする。
強度行動障害の状態になり易い人(自傷や他害、物壊し、パニックになり易い人)の教育は、他の人と同じプログラムで教育するが、自閉症の人への扱いと同じにして、[1]最近は、薬で抑制する、[2]激しい行動を自己表現と捉え、相手に合わせて、暗い所が好きな人には、暗い所に入れる等のように環境整備をする、[3]思春期の自閉症の人に強度行動障害が現れる時は、性ホルモンの関係から特有のものとして考えている、とのことだった。
この養護学校では、2~3年前から、児童・生徒の放課後の生活を保障するために、学校内にデイケアのようなものが設置された。外部から、先生を招いて、クラブ活動(ジャズダンス、洋画指導)が行われている。強度行動障害の状態になり易い人達を、教師で特殊資格を持つ人が指導して、学校内のヘルスセンターで運動、散歩、山登り、プールでスイミングをしている。このデイケアの費用は一定額を国が出している。このように、放課後を過せるようになったのは、働く親が多く、放課後に世話が出来ないと、他の養護学校の父母会と連帯して、頭を刈って、関係機関に座り込んで要求した結果だということである。
(2) 韓国では、義務教育段階では、障害児・生徒の50%が普通学校へ行き、その傾向は増えつつある。普通学校では、取り出し型の特殊教育が行われている。残り50%が養護学校へ行く。親の運動の結果、08年4月から、高等部の義務化が始まる。普通学校の高等学校の義務化より先に実施されることになった。
高等部卒業後の進路では、自力通所が可能な70%位の人達は、福祉館へ通って、作業指導、職業指導を受ける。5年間、食事代だけを払って通える。5年後が問題で、親達が模索している。20%~30%の人達は、無認可の委嘱入所施設に入る。韓国には、この無認可委嘱施設が1,000ほどあり、種々の宗教団体が作っており、施設には、専門家が少なく、事故が起っているので、国が買い上げる方針といっているが、実行されておらず、問題となっている。軽度の人の中には、就職をする人、大学へ進学する人もいる。
インタビューで、特に感じた事は、障害児者の親達の運動が盛んだということです。韓国の障害児の親(母親)が働くために、放課後のデイケアを要求して、他の養護学校の父母会と連帯して頭を刈って、実力行使をしたというその親達のパワーに感心しました。また、韓国では、女性が働くことが、当然と考えられてきているのかとも思いました。日本では、養護学校内で、放課後の生活を保障しているケースは耳にしたことがありません。
2006年12月に国連で「障害者権利条約」が採択されましたが、韓国では「障害者差別禁止法」を制定しました。韓国は、障害福祉分野で、先進国の道を歩もうとしています。その姿勢に大いに学びたいと思います。一方で、韓国で、日本の「障害者自立支援法」の"障害者が受けたサービスの1割を応益負担として払う"を見習ってはどうかという考え方も出てきているということです。今後、両国の障害福祉分野は影響し合っていきますが、障害児者の視点にたって、お互いに学び合っていきたいと思います。
外国の施設を見学し、外国の人に、インタビューをしたのははじめてでした。文化の違いの大きさを感じると共に、日本の障害児者の教育・福祉を見直すきっかけになりました。
「走夢」案内を日本語に翻訳したり、休日に出勤して、案内をして下さったホさん、快くインタビューに応じて下さったパクさん、キョンさん、キムさん、一日難しい通訳をしてくださった崔さんと智英さん、本当に有り難うございました。